2017年11月某日、東京・御茶ノ水。
昭和レトロな喫茶店「Voici cafe」にて、映画監督・坪川拓史さんと哲学者・鞍田崇さんの対談が行われました。
おふたりには共通して想いを寄せるひとつの建物があります。
福島県大沼郡昭和村で80年前に建てられた木造二階建ての「旧喰丸小学校」。1937年の開校から43年間、村の子どもたちの学舎として使われ、1980年に廃校となりました。それから37年──。
二度の解体危機を越えた校舎は、新たな活用に向けて改修工事が行われています。改修にかかる費用の一部をクラウドファンディングプロジェクトとして集めながら。
廃校舎のリノベーションはいまの時代、珍しい話ではありません。全国さまざまな地域で、取り組まれ始めているケースのようにも感じます。
そうしたなかで「旧喰丸小学校」を次の世代へつないでいくことには、一体どんな意味が込められているのでしょうか? 旧喰丸小学校に深いゆかりをもつ、坪川監督と鞍田さんのおふたりにお話をうかがいました。
鞍田 崇(くらたたかし)
哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学・環境人文学。総合地球環境学研究所を経て、2014年より明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、工芸・建築・デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりとして、現代社会の思想状況を問う。著作に、『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(単著、明治大学出版会 2015)、『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(編著、フィルムアート社2012)など。詳細はこちら。
探していた校舎を見つけたとき、いますぐ行かなきゃいけない気がした
── 坪川さんが旧喰丸小学校に出会ったきっかけを教えてください。
坪川拓史(以下、坪川) 僕が旧喰丸小学校(以下、喰丸小)にたどり着いたのは、取り壊し予定の3ヶ月前だったんですよ。
喰丸小を見つけたきっかけは2006年に撮影した映画『アリア(*1)。』で、ワンシーン廃校舎を見せようと思ったのが始まりでした。ネットで「廃校・画像」と検索をすると、木造二階建ての校舎と黄色く染まったイチョウが印象的な一枚の写真を見つけたんです。僕はその絵にどうしようもないほどに惹かれたけれど、校舎がどこにあるのか、現存するかもわからない。
だから映画『アリア』は、山梨県にある廃校舎で撮りました。だけど、撮影が終わったあとも木造二階建ての校舎と黄色く染まったイチョウの絵を忘れることができなくて、大きく引きのばしたその写真を、デスクの壁に貼っていたんです。
(*1)映画『アリア』:物語は、ピアノ調律士である主人公の太田が、店の客である空蔵から「質流となったピアノを探してほしい」と頼まれることから始まる。ピアノ探しに同行するのは、空蔵の弟子・千住と、空蔵の娘だという若い女性・伽子。太田はピアノの発見だけでなく亡くなった妻と約束していた砂浜を見つけることも旅の目的としていた。映画は2007年に完成、日本では未公開。脚本・監督・ピアノ演奏を坪川監督が手がける。(出演/塩野谷正幸 高橋マリ子 片岡正二郎 四谷シモン ミッキーカーチス 小松政夫 正司歌江)
坪川 2008年に新しい脚本の依頼があったので、デスクの壁に貼ったこの学校を舞台に物語を書きました。
鞍田崇(以下、鞍田) それが、2013年に公開された西島秀俊さん主演の映画『ハーメルン』?
坪川 そうです。完成した脚本をもっていくと、依頼先の会社が倒産していた。でも、どうしてもこの物語を映画化したくなって、一枚の写真を手掛かりに校舎を探すことにしたんです。
まずは、地元である北海道から探し始めたんですけど、道内の廃校はピカピカに残っているか、ひどく荒廃したところばかり。「これは見つからないや」と諦めかけていた2008年の年末に、「写真と似た感じの廃校が福島県にあるらしい」という情報を耳にしたんです。
坪川 僕はすぐにでも行かなきゃいけない気がして、とても雪深いと聞いていたその土地、「昭和村」を訪れることに決めました。
村に着くまでは結構大変でした。まだトンネルが開通していなかったから、「この先にほんとうにひとが住んでいるの? 前から除雪車が来たらどうしよう……」と不安になりながら。途中「昭和村」と看板があるんですけど、絶対にタイムスリップしたと思いましたもん(笑)。
鞍田 昭和時代に?
坪川 そうです(笑)。それで山道を抜けるとちょうど雪は止んでいて、靄がかった村が見えてきた。
鞍田 幻想的だったろうね。
坪川 ほんとうに。喰丸小に到着すると、ずっと探していた写真とおなじ木造二階建ての校舎が目の前にあった。
見つけたときはすごく嬉しくて、しばらくいろんな角度から校舎を眺めまわしたのを覚えています。それが僕と喰丸小との出会いです。
昭和村というつながりのなかで、生かされ守られてきた喰丸小学校
── では、鞍田さんが昭和村と旧喰丸小学校に接点を持ったきっかけは?
鞍田 僕が初めて昭和村を訪ねたのは、2008年です。
当時、農業と食のこれからを考える研究プロジェクトに所属していました。その関連で「焼畑」の調査をしていたのですが、かつて人々の生活全体に火が関わっていたことにフォーカスしたいと思ったときに、昭和村のことを知りました。
2007年に京都にある古布専門のアンティークショップで、昭和村ではいまも「からむし」という植物(上布の原料となる)の布作りが行われており、その栽培工程として焼畑をしていると教えてもらったんです。そうして翌年の雪溶けの季節に、福島県立博物館の学芸員さんに案内をお願いして、初めて昭和村を訪ねました。
坪川さんが『ハーメルン』の原型となる脚本を手がけられたころですよね。お互いおなじ頃に吸い寄せられるように昭和村にアクセスしてたって思うと感慨深いです。ただ、僕の場合は、その後何度かひとりでも訪れているのですが、喰丸地区には立ち寄る機会がなく、小学校の存在も知りませんでした。
鞍田 喰丸小を知ったのは震災後です。
そのころ初めて民藝に関する著書を書いたことをきっかけに、以前訪ねた際に挨拶していた元織姫さん(*2)。から「からむしの今後について相談したい」と連絡が来て再訪したときのこと。2013年、監督の映画『ハーメルン』が公開された年ですね。
(*2)元織姫さん:平成6年に昭和村で始まった「からむし織体験生『織姫・彦星』事業」を利用して村を訪れた女性を「織姫さん」と呼ぶ。「元織姫さん」は体験生を経て、村に暮らす女性たちの通称。
その後、ふたたび頻繁に村を訪れるようになり、いつしか喰丸小は、昭和村を包み込んでいる空気感を象徴する存在と感じるようになりました。訪れるたびに「おかえり」と迎えてくれるような。
昨年は、学生たちや研究仲間とともに、夏期フィールドワークの報告会を喰丸小で行わせてもいただきました。
坪川 たしかに、喰丸小は昭和村の空気感そのものですよね。たぶん、校舎だけが違う町にあったら『ハーメルン』はあそこまで丸ごと昭和村で撮影しようとは思わなかったと思います。
村を訪ねるたびに撮りたい場所が増えて、喰丸小の裏山の神社とか、一本の杉の木とか、本当にたくさんあるんですよ。だからそうなるともう、校舎だけの話ではなくて昭和村の雰囲気、あの空気を全体として捉えたかった。
鞍田 おそらく喰丸小は昭和村にいまなおある、ひととひと、それからひとと自然の“つながり”の象徴。校舎もいいけど、それだけじゃない。前にイチョウの大木があり、後ろに穏やかな里山が見守るように控えている。そうしたなかで生かされ、守られてきたものだったというか。
監督がおっしゃるように、違う町にあったら全く別物になってしまう。やっぱりこの村のこの空間のなかに喰丸小があることが大切で、その空気感をきちんとまるごと伝えようというのが『ハーメルン』からも、今日のお話からも伝わってきます。
テーマは「輪唱」。ひとの一生を超えて、愛されながら受け継がれていくものとは
── 『ハーメルン』の撮影始動から公開までの間に、東日本大震災がありましたよね。映画公開まで、昭和村と喰丸小学校はどんな軌跡を辿ってきたのでしょう?
坪川 映画の撮影は2008年に始動して、公開されたのが2013年。「制作に5年もかかっているなんてすごいですね」とよく言われましたけど、すごいのは僕ではなく、ずっと根気強く支えてくれた村のひとたちと応援団の方たちです。
鞍田 それは、「なんとかこの映画を形として仕上げたい」というみなさんの強い思いがあったのですか?
坪川 そうですね。震災前も、いくつかの場面は撮りためていました。でも、肝心のイチョウの紅葉シーンを撮る前に雪が降ってしまって、2010年も泣く泣く撮影は延期となりました。
2011年の震災のあとは、いろんな方が取材や応援に駆けつけてくれました。「イチョウの木はこのことを知っていたのかもしれない」「いまだからこそ、この映画を完成させてください」という応援メッセージがいくつも寄せられて。
ようやくプロデューサーも決まって、その年の秋、イチョウが満開に染まった。色づくまで3年待ったんですよ。
鞍田 冒頭で「オンブラ・マイ・フ」のメロディーが流れてきますよね。映画が始まった瞬間から、もしかしてって気がして。そしたら実際使われていて、すごく嬉しかった。じつは僕、あの曲がすごく好きなんです。
坪川 あれはあの歌詞だから挿入しているんですよ。
” Ombra mai fù di vegetabile, cara ed amabile, soave più ”
“ 樹木の陰において これほど いとおしく優しく 愛らしいものはなかった ”
「オンブラ・マイ・フ」はヘンデルのオペラの一部なんですよね。王様が遠征から帰る途中、一本のプラタナスの木に出会う。その木のことをいたく気に入ってしまって、勲章をあげて、木の下で歌うんですよね。
鞍田 喰丸小の前にイチョウの木があったから、そのイメージが重ね合わされたの?
坪川 そうですね。僕の映画で使う楽曲は、すべてちゃんと意味があって使っているんです。
鞍田 映画のなかで演奏されるパッヘルベルの「カノン」も?
坪川 『ハーメルン』のテーマは「カノン」なんです。カノンという言葉は「輪唱」と近しい意味合いをもつ。追っかけて追っかけて追っかけて追っかけて……無限に続いていく。
鞍田 そういえば、映画で元校長先生が、「僕は、昔の子どもたちと、これからの子どもたちのその真ん中に座っていることだけしかできないんだから。それに学校に誰もいなかったら、誰かが来たときに寂しいだろ」とつぶやくシーンがありますよね。
そもそも小学校という場所は、無限にバトンをつないで、つながっていく場所だという意味だったりするのかな。
坪川 まさにそういうことだろうなぁと。
「カノン」ってつまり、何億年も輪唱してきて、いまを越えてこれからに続くということなんだけど。だからきっと喰丸小学校という存在そのものも、「カノン」なんです。こんなこと、今日初めて言います。
鞍田 めっちゃ深いね!(笑)
鞍田 徐々にですが、いま建物のそういう点が見直されつつある気がします。ひとの一生を超えて受け継がれていくものだからこその役割というか。
僕の知り合いの建築家で、「愛される建築」をテーマに取り組む女性がいるのですが、それって「ひとりではできない建築」と彼女は言うんです。たとえば、「ガウディーのサグラダファミリア」がそうであるように、何世代にも渡って手がけられること。それが大事ではないか、と。
坪川 じゃあ、愛される建築とカノンには通じる部分がありますね。そういえば、喰丸小のいまの直し方は、まさにカノンです。
だってあそこまで老朽化が進んだ柱、丸ごと取り替えた方が早いですよ。にもかかわらず、「使える部分は極力使おう」と元からあった柱の使える部分をわざわざ残して、痛んだ部分を取り除いて新しい木を継いでいる。
鞍田 継いで継いで。まさにカノン。
古材を生かすというのはあっても、使える部分を残して継いでいくというのは、そうそうないでしょうね。大工さんも楽しいのかもしれないね。普段できないことだから、技の見せどころかもしれないし。
坪川 あとで見えなくなってしまう部分をそこまでして継いでるのは、ほんとうにすごい!
喰丸小は昭和村にとっての「キーストーンスピーシーズ」
── 坪川さんは『ハーメルン』撮影後、「旧喰丸小学校が取り壊されずに残るといいなぁ」という気持ちはありましたか?
坪川 僕は一回も「残したほうがいいですよ」とはっきりは言ってないんです。言うのは簡単ですけどね。でも実際には維持していくのも大変だろうし、外部のひとが言うことじゃないと思っていましたから。
鞍田 逆に撮っているときに、「この校舎は撮影が終わったら取り壊されるんだ」って思いもどこかにあったの?
坪川 なくなると思ってましたね。だって階段なんて、ガポッと傾いでいましたもん。「もうだめかぁ」って思ったら村の方が「ワイヤーで固定しといたぞ」って。
見に行ったらものすごい太いワイヤーで戻してありました(笑)。でっかいジャッキみたいなもので止めて、応急処置をしてくれたみたいで。そのくらい、ギリギリの状態での撮影でしたから。
坪川 でも、それほどの状態になってもなお多くのひとが、この建物に想いを寄せているんです。
鞍田 さっきの「カノン」というのは映画だけでなく、実際の喰丸小にもピッタリなんだよね。
喰丸小というカノンをこうして次世代に残していこうという方向に明確に舵を切ったとき、大事なことは、この現実の「カノン」の連鎖の担い手をつくり出していくことでもあるんだと思うんです。このたびのクラウドファンディングは単なる資金集めではなく、まさにそのための試みなんだろうと。
坪川 あの木造校舎は、当時の村びとみんなで建てたらしいんですよ。エキストラに出てくれた90歳のおじいさんが子どものとき、小学校の建設を手伝った話をしてくれました。
どこどこの山から木を切り出して、「みんなでつくろう」ってはじまった建物だったと。だから、あの校舎とイチョウには、なにかが宿っているんですよ。
鞍田 生態学(エコロジー)に「キーストーンスピーシーズ(キーストーン種)」という用語があるんですよ。キーストーンっていうのはアーチ構造の要石のこと。生態系って多様な種の連鎖から成り立っていて、お互いに持ちつ持たれつなんだけど、じつはそのなかには要石的な種があって、その種がなくなると、ガラガラガラーって全体が崩壊してしまうという考え方です。
僕は、地域社会にもそういうところがあるような気がするんですよね。なにか要になるものが失われた途端に、それまでとは一気に違ってしまうというか。昭和村ってまさに生態系じゃないですか。豪雪地帯の厳しい自然環境の中で、ひととひととが助け合い、からむしをはじめとして、身近な素材を巧みに活かした手業をいまなお暮らしに根ざしたいとなみとして育んでいる。
喰丸小は、そんな昭和村という生態系をギリギリながらも維持してきたつながりの象徴であり、キーストーンスピーシーズのような大きな存在じゃないかなって思うんです。いや、もしかしたら昭和村だけじゃない。大げさに聞こえるかもしれないけど、日本のキーストーンかもしれないとも。
鞍田 きっと、かつて日本中どこででも、次世代においてこそ実現される豊かさに対する期待とそこへの投資があったハズ。小学校って本来、そんな思いが結実した灯火ともいうべき場所だったと思うんですよ。
ところが、いま僕たちはなかなか未来に理想を描けず、どこか目先のことばかりに終始してしまっている。そうした現状の中であらためて「次世代を担う子どもたちに託したい」という思いを具体的かつ体感的に再確認することが大事なんじゃないかって。
喰丸小はまさしくそういう場所として、昭和村はもちろん、日本のこれからを照らし出す存在ではないかと思うんです。
坪川 無くすのは簡単ですけどね。冬には雪下ろしだって何回もしないといけないし、維持していくのはほんとうに大変。
でも、もし僕が『ハーメルン』を撮ったことで、喰丸小が残ることにつながったのであれば、お手数もおかけしていますが、でもほんとうに嬉しいです。
こんなに「撮ってよかった」と思える映画ってないですから。
それはやっぱり、村や応援団のみなさんに協力してもらって映画ができて、「イチョウまつり」も始まって、こうして残ることにもなってという過程を見れたからだと思うんですけど。
鞍田 喰丸小は、たぶんこうしてふたたび使われるために、廃校から37年間、ジワジワと朽ちつつも耐えて耐えてきたんだろうね。いつかみんなが気がつくことをひたすら待って。
映画『ハーメルン』がまずその機会を与えてくれたわけだけど、このたびの修復を通してさらに、喰丸小もイチョウも、この空間にあるすべてが、僕たちが忘れてはいけない”なにか”を気がつかせてくれる場になることを願っています。
カノンがつながる未来を想う
廃校から37年。
初めて「喰丸小」を訪ねたときのことが忘れられません。眩しい夏の日差しとは対照的に、その校舎はひっそりと寡黙で寂しそう。おそるおそる校内に足を踏み入れてみると、外側から感じた寂しさはスーッと薄まり、懐かしくあたたかな気持ちに包まれました。
階段の踊り場で見つけた、「トントントン ひそみ足」という掲示。柔らかな文字で記された手書きの教訓に嬉しさもこみ上げて。放置されているのではなく、ここは、丁寧に大切に使われてきた場所。いとおしい記憶の痕跡を、ソッとそのまま残しながら──。
いまなお親しまれ、愛されている「喰丸小」は、このたびの対談のおふたりが語っているように、土地に根ざし自然に寄り添う昭和村の暮らしといとなみの縮図そのものと呼べる存在です。
学校という学びの場、キーストーンスピーシーズ、そして映画『ハーメルン』。喰丸小が結びつけてくれたものを、ひとことで言い表すことはとてもできません。
ただ、かけがえのないこの場所も、村のひとたちの力だけでは守りきれない厳しさがあることもまた、現実で。
私たちにできることは、なにか。
もしかしたらそれは、「遠くはなれていても、想いを馳せること」だったり、「忘れないで心に留めておくこと」だったりするのかもしれない。
次なる「カノン」の担い手、喰丸小のつなぎ手として。
今回のおふたりの対談とクラウドファンディングが、昭和村を越えて、これからの未来を一緒に見つめる仲間と出会うきっかけになることができたらいいなと思います。
私たちの心に灯をともしてきた、イチョウの木とともに。
福島県昭和村・築80年木造廃校舎「旧喰丸小学校」を人が集う拠点へ。Ready forクラウドファンディングは12月28日まで現在進行中!
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)
文/中條美咲
編集/小山内彩希
写真/タクロコマ(小松崎拓郎)
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