「仕事は福祉タクシーの運転手。だけど自分のことを、看護師だと思っています」

宮崎県小林市で『福祉タクシー きずな(以下、きずな)』を営む四位純徳さんは、ご自身のことをこんなふうに語ります。

福祉タクシーとは、おもに歩行が困難な障害者や高齢者向けのタクシーのこと。医療機関への通院だけでなく、買い物代行などの生活支援、旅行・観光などに向かう際に利用されています。

お客さまやその家族が「できないだろう」「困難だろう」と思っていたことを実現する。そんな役割が、福祉タクシーにはあるのです。

けれど、きずなの取り組みは、ただお客さまの要望を叶えるだけではありません。

お客さまと一回きりではない関係性をつくり、話し相手になったり自宅に通ったりと、タクシーを利用する以外でも関わる人たちに寄り添い続けています。

そんな四位さんがいつも大切にしているのは、看護師の精神。

尊敬する父と約30年の看護師としてのキャリアが、四位さんなりの“寄り添う”を形づくっていきました。

(以下、四位純徳)

二千円をもらった日が開業記念日

福祉タクシーをはじめたのは、50歳のときのことです。

それまで約30年間、看護師として病院勤務していたのですけど、50歳を機に勤めていた病院を退職。誕生日の10月29日に、「福祉タクシー きずな」を開業しました。

その日たまたま、小林市内の郵便局に用事があって行ったんです。そうしたら郵便局に、なにやら困っている様子のおばあちゃんがいらして。

どうしたのか、と尋ねると「持ってきた印鑑がちがって、お金を下ろせない」とおっしゃる。「家に帰ったら正しい印鑑があると思う」と言うので、僕はおばあちゃんをタクシーに乗せてお家まで送り、一緒に印鑑を探すことにしました。

ご自宅で一緒にあちこち引き出しを開けて、印鑑を数本見つけ、すべて郵便局に持っていったら一本がヒットした。

そうして無事にお金を下ろせたおばあちゃんを、再び家まで送り届けたのですけど。車を降りるとき、おばあちゃんが「これ、もらって」と僕に二千円をくれたんです。

「ああ。自分が福祉タクシーとしてやりたいのは、こういうことだったんだ」

そんなふうに思い、その日をきずなの開業日にしました。

私がなにかを提案して人を呼び寄せるんじゃなくて、困っている人がいたらその人が求めていることをただ手助けする。そんな福祉タクシーがいいな、と。

父の姿と看護師の精神

仕事は福祉タクシーの運転手ですけど、いつも大切にしているのは、看護師の精神。

それは、看護師は誰より人に寄り添えると信じているから。病院を退職した今でも、自分のことを看護師だって思っています。

そもそも看護師という仕事に就くことを考えたのは、父の影響です。

父はずっと障害を持っていました。私が小さい頃は農業をやっていたのですけど、体に負担が大きいという理由で、中学になる頃には精神科の看護助手に転職しています。

私も父の職場に遊び行ったりしていたのですけど、そのとき父が患者さんと楽しげに会話している姿を見て、「こういう職場があるんだ」と新鮮に感じたことを覚えています。また、父は患者としても定期的に通院していたので、看護師さんと関わっている姿を見ることも多くて。

看護師って、病気の人や障害を持っている人、高齢者に、いちばん近くで寄り添える存在なのだと感じました。看護師さんだったら、その人の病気をわかるだろうし、その人の心にも寄り添うことができるだろうと。

そのときは今から40年も前。時代的に、看護師は女の人がやる仕事という価値観です。

けれども私自身は、中学でも高校でも、進路を決めるときに「看護師の道を進みたい」と言い続けました。学校の先生をはじめ、周りからは「なにを言っとるか」と半ば呆れられながら。

それでもやっぱりファーストキャリアとして選んだ仕事は、看護師。准看護師から正看護師になったあとは、より患者さんのことと医療の現場を理解しようと、救急救命士の資格とケアマネージャーの資格も取りました。

看護師にこだわり続けたのは、父に寄り添いたい気持ちと、父を尊敬する気持ちがあったから。

父は自由に動けない体だったけど、それでもよく地域の方々の相談相手になり、たくさんの人に愛されている人だったんです。

92歳のおじいちゃんと、お墓探しの旅

きずなを開業した次の年のことです。

宮崎市内の司法書士さんから一件のご依頼をいただきました。

「自分の被後見人のおじいちゃんが、ご先祖のお墓を探している。一緒にお墓に行ってきてもらえないだろうか。おじいちゃんは92歳で心臓の病気もあるけれど、看護師さんが一緒なら安心できるので、お願いしたい」という内容で。

そこからおじいちゃんとふたりで、ご先祖さまのお墓探しの旅が始まりました。

毎月2回、小林市から宮崎市までタクシーでお迎えに上がって、買い物や食事、外泊もしながらお墓を探しました。そうしているうちに、親類縁者が鹿児島市の方にいらっしゃることがわかって、私たちは鹿児島市まで。行ってみると、ご先祖さまのお墓もそこにありました。

けっきょくその方がお亡くなりになるまで、一緒にお墓参りに通い続け、1年半にわたるお付き合いをさせていただきました。

こんなふうに、きずなは一回きりのご縁だけでなく、いただいたご縁を続けていけるように利用者の方、その家族や近しい方々と関わっています。

それは私自身が、一度でも関わった方に、「もっと何かできることはあるんじゃないか」と考えてしまう性格だからかもしれないですね。それは病院に勤務していた頃からずっと。

だからこそ、病院組織にいた頃は、いち看護師であるがゆえにできることに制限がかかってしまうもどかしさを抱えていたりもしていました。また、デイケアの看護師をやっていた頃、「ご自宅からいらっしゃる患者さんの表情は生き生きしているなぁ」と在宅の良さを感じたりもして。

福祉タクシーという道を選んだのは、「看護師として、もっと目の前の人の想いを達成するためにできることをしたい」という気持ちがいちばん大きかったからでした。

「いつでも支えてくれる人がいる」と思ってもらえたら

きずなは昨年から、民泊事業もはじめました。「福祉タクシーでつながったお客さまの、家族とすごす時間が深まったらいいな」という想いからです。

普段は施設や病院にいる方も、お正月やお盆のあたりになると自宅に帰られ、家族と食事などをして過ごします。けれど何かあったらいけないので、数時間したらすぐにまた施設や病院に戻らないといけなかったりする。それを寂しく感じている方は、意外と少なくありません。

「だったら、きずなが民泊をやって、そこに泊まっていただくのはどうだろう? たとえたった1泊でも、自分のような看護師が常駐していることで、家族が安心してくつろげる時間をつくれるんじゃないだろうか」こんなふうに考えました。

何かあったらすぐに対応できる。それは僕が看護師だからできることだと思っています。

医療従事はしていないけれど、看護師だからこそ、信頼をしてもらえるし、安心して体を預けてもらえる。そしてやっぱり、その人の心にも体にもいちばんそばで寄り添えるのが看護師なんだと感じながら、福祉タクシーをしています。

よくお問い合わせいただくのが、「車椅子でもタクシーに乗れますか?」「寝たきりでも大丈夫ですか?」といった内容です。福祉タクシー自体、まだまだ認知度が低いので、こんなふうに自分自身やご家族の方が「これはできない」と思い込んでしまっているケースはたくさんあります。

私としては、自分たちのような福祉タクシーを利用してもらうことで、「お客さまがそれまでできなかったことを、もっと達成できるようになったらいいな」という気持ちです。

「いつでも支えてくれる人がそばにいる」。

寄り添うって、相手に、こんなふうに思ってもらえることだと思います。きずなも、お客様がこんなふうに思い続けてくれる状態を、ずっと続けていきたいです。

  • 福祉タクシー きずなの公式サイトはこちら

四位 純徳(しい すみのり)

宮崎県小林市出身。50歳の頃、「自動車二種免許」「福祉タクシー営業免許」を取得し、福祉タクシー きずなを開業。趣味はマラソンで、2020年の東京オリンピックでは聖火リレーを走る。

(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

文/小山内彩希
編集/小松崎拓郎
写真/土田凌

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