東京都東上野。上野というと上野公園やアメ横が有名ですが、東上野はその反対側。上野駅のそばにも関わらず、住宅が多く、とても穏やかな空気が流れる一帯です。
そんな東上野にあるのが、廃工場をリノベーションした複合施設「ROUTE89 BLDG.」です。手がけたのはその一階に事務所を構える「ゆくい堂」という工務店。
「ゆくい堂」の成り立ちから現在までと、代表の丸野信次郎さんの物語は上記の記事でうかがいました。今回は、「松庵文庫」やROUTE89 BLDG.のことを指す「継がれゆく箱」プロジェクトのお話です。
「継がれゆく箱」プロジェクト
── 継がれゆく箱プロジェクトが、どういった想いで始まったのか教えていただいてもよいでしょうか。
丸野 信次郎(以下、丸野) 清澄白河に「深田荘」というアパートがあって、大家さんからリフォームのご相談をいただいたのが始まりですね。最初はシェアハウスにしたいとのことだったんです。でも、実際に建物を観てみたら、シェアハウスにするには間取りがちょっと効率が悪いと判断して「そのままでいいんじゃないですか?」とご提案しました(笑)。
── ははは(笑)、話が根底から変わってきますね。
丸野 むしろ耐震補強に力を入れたほうがいいと提案したんですね。畳は剥がしてベニアに張り替えました。共同で使えるトイレはつくりましたけど、手を加えたのはそれくらいです。大規模な工事をしなくても、素敵な空間をつくれるだろうと感じました。なぜかというと、もともとカッコよかったからです。
ゆくい堂としては、今のままでいいと思えるものをそのまま引き継いで使っていくことも大切にしたかったから、「このままでいい……このままがいい……」というコンセプトに当てはまる物件は「継がれゆく箱」プロジェクトとして扱うことにしました。
── ウェブサイトを見て、いいコピーだなぁと思っていました。
丸野 プロジェクト第二弾の松庵文庫も、最初はシェアハウスにしたいというご相談だったんです。初期の案では庭を全部ウッドデッキにするというお話だったので「ツツジは残したほうがいいと思うなぁ。一回観に行きますね」と言ってうかがったんです。
その段階ではすでにシェアハウスの図面があって、現場にいた建築家が設計して、うちが施工するという話になるのかなぁと思ったんですけど。実際に行ってみたら、そのままがいいと思ったので「岡崎さん、このままでいいんじゃないですか?」と伝えて、今に至ります。樹齢100年ツツジの木はそのまま残し、ウッドデッキはつくりませんでした。最初はシェアハウスという話だったのに「このままカフェをやったら上手くいくと思いますよ」と提案したら、採用された感じです(笑)。
丸野 松庵文庫は住宅街の中に、何十年も前からポツンとある。だからこそ、「このままでいい」なんですよ。「80年前からそこにあったかのようにつくろう」と決めました。どこをリフォームしたのか、行ったひとはわからないはずですよ。
── 継がれゆく箱プロジェクト第三弾の「mikijuku」は、どういった経緯があったんでしょうか?
丸野 もともと学習塾だった「三木塾」の教室を、そのまま部屋にしちゃったという建物です。90平米くらいあるので、その広さの物件を住宅として使う方ってなかなかいないんですね。効率を考えてシェアハウスにするというお話だったのですが、他のフロアはそのままで、教室の黒板もそのままにしました。バルコニー側にカッコいいシャワーを付けただけの、必要最低限のリフォームになりました。
── 継がれゆく箱プロジェクトは今後どうなっていくんでしょうか?
丸野 予定は、いまのところありません。
── 続けていかないんですか?
丸野 続けてはいくんですが、予定は立てられないんです。というのも、「出会い」があって、初めて動き出すものですから。建物やオーナーさんとの出会い以外に、自分たちで計画の立てようがないプロジェクトなんです。あるものを活かしつつ、僕らなりのフィルターを通してつくるプロジェクトなので、もしかしたら明日、オーナーさんから電話があって新しいプロジェクトが始まるかもしれないし、3年後も何もないかもしれない。
── ちなみに、ゆくい堂さんのオフィスが入っているROUTE89 BLDG.も、リノベーションされた物件なんですよね。
丸野 ROUTE89 BLDG.は、ゆくい堂の事務所を広くしたいと思って物件を探しているうちに見つかった場所です。最初に見に来たときに、一回の倉庫だけを貸し出していて、「広いし天井が高くていいなぁ」と思いました。
事務所ごと引っ越してきて、加工場もつくろうというイメージは最初からあったんですが、大家さんに「2階より上はどうするんですか?」と聞いたら「上は雨漏りしているし、ボロボロすぎて貸せません」と言われたんです。すぐに「何もしなくていいから、このまま貸してほしい」とお願いして、コツコツつくっていきました。
── ROUTE89 BLDG.をつくるのに、東上野を選んだ理由というのはあるのでしょうか?
丸野 最初はあくまで、建物で選びました。でも、東上野はおもしろい場だと思っていますよ。駅から徒歩3分なのに、住宅街じゃないですか。ただ、僕らはここで町おこしをしようと思っているわけではないんです。場をつくれば、誰かが使ってくれて、おもしろがってくれるひとが集まってくる。自然と化学反応が起こればいいかなぁと思っていますね。ここをシェアオフィスにしたら、たぶん今よりも儲かっているはずなんですよ。でも、それが楽しいか、ということですよね。
先日、地元の神輿のひとたちとバーベキューをやったんです。彼らからすると、10年間使っていなかった廃工場に、なんだかよくわからない会社が入ってきたから、最初は不思議に思ったと思います。夜中まで電気が付いているし、「ウロウロしているやつは大抵あそこのビルに入っていくぞ!」って見えたかもしれないし、変な宗教でも来たんじゃないかと思われる可能性すらあるので(笑)。
だからこそ、ご近所には絶対に迷惑はかけたくないですね。ご理解いただくために、時間はかかると思っていました。東上野にきて一年経って、やっと地元のひとたちにもなんとなくリフォームをやっているひとたちなんだなとご理解いただけてきたと思ったので、バーベキューを準備して、ごちそうしたんです。
地元のひとたちに愛される場にしたいという気持ちはあって。このビルを商売に結びつけたいわけではなく、公民館みたいな使い方もできると思っているんです。僕らも2015年の6月に引っ越してきたので、この街のことをまだまだわかっていない。今は、この街に僕らみたいな変わり者が来て、どうしたら受け入れてもらえるかなって試行錯誤している状態です。
── ゆくい堂というチームとしての今後の展望はありますか。
丸野 オーダーを受けてつくる通常のリフォーム事業と、継がれゆく箱プロジェクト。あとは、「僕らの住みたい家」というプロジェクトを進めています。これは、僕らの住みたい家をつくって、それに共感してくれるひとたちに販売するという事業です。僕らが60歳になったら、「僕らが住みたい家」と言っても、60代向けの家しかつくれないんですよ。だから、今、「僕らが住みたい家」をつくらなきゃいけないと思うんです。
これらを三本柱だと思ってやっています。会社としては拡大路線ではなく、少数精鋭で自分たちが住みたい家をつくって、提供し続けます。その上で、受け入れていただければいいなぁと思っています。この先も「やりたいことをやり続けること」と「好きなものをつくり続けること」をしようと思っています。ずっとそうやってきたので、いまさらそれ以外のことはできません(笑)。
お話をうかがったひと
丸野 信次郎(まるの しんじろう)
鹿児島県奄美地方(徳之島)出身。高校まで地元で過ごし福岡へ進学するも、違和感を覚え中退。20歳で上京。就職はせず公園で寝泊まりしながら、解体や内装のアルバイトをして過ごす。26歳で起業し1999年法人化。ゆくい堂株式会社設立。建築の経験がなかったため、職人さんやスタッフと試行錯誤の末、現在の「産地直送」がコンセプトのスタイルに至る。