「ベトナム・ホーチミンを訪れるなら、必ず『Pizza 4P’s(ピザ フォーピース)』に寄りなさい」
そう私(書き手:伊佐)に告げたのは、1人や2人ではありません。「Pizza 4P’s」は、元サイバーエージェント勤務の夫妻が、ホーチミンへ移住して2011年に立ち上げた飲食店。
「Pizza 4P’s」の人気は今やベトナム国内にとどまりません。
ピザの美味しさやスタッフの笑顔や対応の気持ちよさ、店舗のデザイン性。さらには、これまでベトナムで生産されていなかったチーズの自社生産、国内の有機栽培農家と組んでフレッシュな野菜を使うなど、コンセプトや食材へのこだわりが評判を呼び、現在は「NY TIMES」や「BBC」などの取材をはじめ、「Monocle 世界のベストレストラン50」に選出されるなど、日に日に注目度と各国からの愛され度を増しています。
普段、インタビュー等でスポットライトが当たるのは代表・益子陽介さんですが、灯台もと暮らし編集部がお話をうかがってみたかったのは、彼をいつも支える、妻・早苗さん。
彼女自身が「クレイジーなナンバーツーでありたい」と語るように、早苗さんの力なくしては「Pizza 4P’s」の現在の姿、そしてこれからの姿はないように思います。
「食を通じて、世界中に笑顔を増やしたい」
「自分が伸びなければ下は伸びない」
「働く女性にとって、ベトナムは天国だと思う」
彼女の言葉は、続きとそこに込められた想いが気になるものばかり。
日本で働くことにどこか違和感があるのなら、「海を越えて別の場所で働く」という選択肢だってあるはず。そして、早苗さんの姿に勇気を得る女性は、きっと少なからずいるはず──。
取材のためベトナム・ホーチミンに飛んだ伊佐は、彼女の想いを遠く誰かに伝えたくて、この記事を書き始めています。
Pizza 4P’s(PIZZA 4PS CORPORATION)
2011年オープン。ベトナム・ホーチミンのレタントン店を皮切りに、現在ベトナム国内に8店舗を展開中。ビジョンは「Make the World Smile for Peace」。ミッションは 「Delivering Wow, Sharing Happiness」。ホームメイドチーズ、契約農家で育てた自然栽培の野菜提供、店舗のデザイン性、おもてなしの心にこだわる。飲食店経営のほか、自社ブランド開発、食材宅配サービス「Pizza 4P’s Online Store」など。公式サイトはこちら。
高杉 早苗(たかすぎ さなえ)
「PIZZA 4PS CORPORATION」Deputy General Director。慶応義塾大学法学部卒。新卒でサイバーエージェントに入社。広告代理店事業、メディア広告企画を経て、出産を機に退職。2009年ベトナム移住。8歳・3歳の2児の母。高杉晋作の末裔でもある。
── 高杉さんは、どうしてホーチミンに?
高杉早苗(以下、早苗) 最初は夫婦ともに、東京のサイバーエージェントという企業で働いていました。けれど新規事業立ち上げのため夫の益子が単身でベトナム・ハノイに駐在することになり(彼が手を上げたんですけれど!)、半年後に私も彼についてくる形で、ベトナムに引っ越しました。それが私の初めての海外滞在経験。
当時私は、長女を出産したばかり。ベトナムに越したのは、彼女が生後半年の出来事でもありました。
私は仕事が大好き。けれど、とにかく益子と離れて暮らしているのが寂しくて、切なくて。
じつは引越し前から、Skypeの会話で「ベトナムで起業したい」とは聞いていました。だから、もとからそのつもりで、私も退職してベトナムに渡航したんです。
夫の夢が、いつしか夫婦2人の夢になった
── そこで、どうして……突然の「ピザ屋」に?
早苗 あはは(笑)。私も、サイバーエージェント出身の夫婦ですし、最初はウェブ関連の仕事を始めるのかな、と想像していました。けれど益子は、どうしても美味しいピザ屋がやりたい、と言っていて。
── なぜ?
早苗 東京で暮らしていた頃、彼は実家の敷地内で、手作りのピザ釜を作り始めていました。きっかけは、元カノが「つくって!」と頼んだことらしいですが(笑)。
趣味で始めたピザ釜でしたが、ピザって素人が焼いても、本当に「ぶれない根本的な美味しさ」みたいなものがあるんです。そのうち、1号機、2号機と進化していって、週末には友人をたくさん呼んで、毎週のようにピザパーティーをするようになっていました。
食を中心に、「美味しいね」と言い合いながら、人々が笑顔で過ごしているのを見ているのが益子はもちろん、そういえば私もとても楽しくて。
彼はとくに、その経験が忘れられなかったみたいです。そして、「起業するなら食に携わりたい」という彼の話を聞くうちに、私もその気になってしまって(笑)。ベトナムでピザ屋を始めることが、いつしか2人の夢になりました。
「起業するならやはりベトナム」と決めた理由
早苗 ベトナムに対する最初の印象は、正直そこまで手放しで「最高!」といった感じじゃなかった気がします。けれどこの国で暮らすうち、私たちは心の底からベトナムを好きになっていったんです。
まずは気候がいい。とくに南部に位置するホーチミンは年間通して温暖で、日本の春夏がずっと続いているみたい。
国土は南北に長く、少し日本に似ています。そしてなぜかみんなとっても親日家。人柄も日本人に近く、しかも一昔前の日本のように、まだまだピュアなところがたくさんある。
優しくて思いやりがあって、ちょっと建前と本音の2面性があるところなんかも日本人とそっくり(笑)。和を重んじる傾向も強く、ほかのアジアの国、たとえば中国や韓国、タイなどと比べたら、私は一番ベトナムの人が日本人に似ているんじゃないかなって感じています。
さらには住み心地がすごくいい。日本人というだけで喜んでもらえて、「なんだそれ!」って恐縮な気持ちになる。その気持ちは後に、「Pizza 4P’s」の立ち上げにあたって「おもてなし」の心を大事にすることで、「ベトナムの方が好きでいてくださる日本のよさ」みたいなものを守って伝えていこう、という発想につながるのですが……それはまた少しあとの話。
とにかくベトナムが好きになって、この国で起業することを決めた気持ちがあります。
── ふむふむ。
早苗 とはいえ、ビジネスをするわけですから、現実的な面も真剣に検討しました。「ピザでいこう」と決められた理由は、大きく3つ。
1つ目は、日本滞在時のホームパーティーをきっかけに、CM制作の仕事からピザ職人に転職した、益子の古い友人が起業するなら一緒にやりたいと言ってくれていたこと。当時、すでに彼は東京・代々木上原の人気ピッツェリア「エンボカ」のピザ職人だったんです。
2つ目は、起業を検討していた2011年当時、ベトナム国内ではケンタッキーやサブウェイなどのファストフード店よりもピザハットの方が新規出店件数が多かったこと。ベトナムは元フランス領で、パン食文化が浸透していて、コーヒーを飲む文化も根付いているので、ピザが受け入れられやすい土壌がありました。
早苗 3つ目は、「上を目指すなら、上りエスカレーターに乗って走った方が早く、高くまで上れる」と考えたこと。これは、サイバーエージェント時代に藤田社長が話していたことでもあるんですが……。2011年当時のベトナムの経済成長率は7%と東南アジアの中でも右肩上がり。その上平均年齢は28歳と若く、国の成長とともに企業が発展できる可能性が大きくありました。
じつは、起業の前に家族全員で、本場イタリア・ナポリのピザを見に行くことを最終目標に、ベトナム起点でタイやインド、ヨーロッパはオランダやスイスなど、出店場所の下見を兼ねた世界旅行を2ヶ月ほどしたんです。
そのとき、本場ナポリと比べても、私たちが慣れ親しんだ東京のピザの味は、遜色ないと思えたこと。これなら勝負ができそうだと踏んで、2人で念入りに事業計画を考えて起業するに至りました。
妻として母として、そして一人のビジネスパーソンとして。働く女性に、ベトナムは最高だと伝えたい
── 現在は、具体的にどんな仕事を担当されているのでしょうか?
早苗 人事やスタッフ育成、新規出店計画などをおもに担当しています。
日々のリズムは流動的。けれど早ければ6時半には起床して、そこから日が変わるまで働くことも多いです。
妻でもあり、2児の母でもあり、この会社の責任者でもある。そんな私が毎日仕事に全力投球できている理由は、益子の理解と協力はもちろんのこと、ベトナムという国が助けてくれているから。
── というと?
早苗 この国では、女性が働くのは普通なこと。だからこそ、ベビーシッター文化が当たり前のように根付いていて、お願いするのにまったく罪悪感がない。
うちにはマリアさん、という家族同然のお手伝いさんが家事と育児を担当してくれています。2人目の娘は、マリアさんに育てられたといっても過言ではないくらい。
ベトナムに移住してから、私、じつは手料理を益子や家族にふるまったことがほとんどないんです。でも益子はそれに何の違和感もないと言ってくれているし、私も子どもも納得済み。
もちろん、娘が「ママ」と初めて呼んだのがマリアさんだったのには落ち込みましたが……(笑)。今は私がママ、マリアさんはマリアさんと呼ばれています。娘にしてみたら、母親が2人いるというのは幸せなことかなぁって。
早苗 思い返せば東京では、泣いている娘を抱いて電車に乗るだけでも、なんだかやっぱり気が引けていました。私が悪いような気持ちになって、勝手に切なくなってしまったり。
けれどベトナムではそんなことはありません。高校生くらいの若い世代も、子育てに携わるのが普通。街を歩いていてもみんながあやしてくれるし、ホーチミンは都会だけれど、「地域みんなで子どもを育てる」という感覚が強くあります。
ベトナムは、働く女性にとって本当に天国のような場所。「Pizza 4P’s」にも、うちで働きたいと言って日本から移住してきてくれた女性がいます。日本で悩んでいる女性がいたら、もうぜひ! ベトナムに来てみてねって伝えたい。
……伊佐さんもどうですか?
── (笑)。ぜひ! お話をうかがいながら、「高杉さんと一緒に働けたら人生がとても楽しくなりそうだな」と思っていたところです。
食を通じて、世界中に笑顔を増やしたい
早苗 「Pizza 4P’s」で実現したいのは、食を通じて世界中に笑顔を増やすこと。飲食店経営を中心に、現在は自社で開発したチーズ等の乳製品を、国内のスーパーに卸したり、ECサイト展開したりしています。
店舗数でいうと、2022年までに1,000万人のお客様を笑顔にすること。2018年には家族でのインド移住も視野に入れた、インド出店も検討しています。もちろん日本へも。
「頑張っているね」と言っていただくことも、評価していただくこともあるけれど、私たちとしては本当にまだまだのレベル。感覚的には毎日全力で文化祭をやっている感じなので、楽しいけれど本当に必死です。言ってみれば、ほふく前進で全力疾走してる、みたいな。
もっともっと成長しなきゃ。そして、会社が成長するために、トップである私たち夫婦自身の成長が必要だと常々感じています。上が育たないと、下も育たないですもんね。
早苗 目指しているのは、世界で通用するレベル。「ベトナムにしてはおしゃれだし、美味しいね」というレベルでは、だめなんです。パリでも東京でもニューヨークでも、どこに出しても戦えるようにしたい。起業当初から「グローバル企業でありたい」という気持ちがあるからこそ、社内の第一言語は日本語でもベトナム語でもなく英語ですし、厳しい教育制度もつくっています。
ただ、これからは今までより強く意識して、社員やスタッフの幸せのために尽力したい。
「Pizza 4P’s」のビジョンである「Make the World Smile for Peace」、ミッションである「Delivering Wow, Sharing Happiness」の実現と、スタッフの満足度は密接につながっていると考えています。スタッフの幸せを支えられてはじめて、お客様にも今まで以上の幸せが提供できるんじゃないかなと。
最終目標は、誰もが幸せになれるエコリゾート、島をつくること。自然もひとも思いやりも循環する、食を中心とした笑顔のあふれる場所をつくりたい。都会で疲れたひとがそこに来て、何をしてもいいけれど、自然の中でアクティビティを楽しんで、心豊かになって帰れるような。
「Pizza 4P’s」の始まりは、究極のピザの味を追い求めたいというよりも、自分たちが心から楽しいと感じる時間を拡張させて、幸せな時間をみんなで共有したいという願い。そのための最初の一歩が、挑戦している現在の事業なんです。
だから本当に今は道半ば。人生で触れ合うことのできるひとたちに、楽しい時間を提供できたら、これ以上の幸せはありません。
- 「Pizza 4P’s」公式サイトはこちら