真っ白な衣装に身を包んだ茶師と、絵画のようなお菓子のプレート。そして、茶師の手によって丁寧に淹れられたお茶の香り。
まるで東京の一流ホテルで出されるアフタヌーンティーのようなラグジュアリーな空間が、突如佐賀県の嬉野(うれしの)の地ではじまったのは2016年のこと。
毎年老舗旅館が廃業していく温泉街で、「嬉野の歴史と精神性を洗練されたイメージで伝えよう」と立ち上がった旅館のご主人と茶農家さん。
嬉野ならではの資産である「嬉野茶」「肥前吉田焼」「温泉」を季節ごとにアレンジし、プレゼンするプロジェクトがはじまりました。
それが、四季折々でテーマを変え、嬉野の表情を体現する「嬉野茶時(うれしのちゃどき)」。
そして、私(最所あさみ)と編集部が訪れたのが、嬉野茶時の新企画である「嬉野茶と菓子の究極のマリアージュを提案する食事会『一茶一菓(いっちゃいっか)』」です。
まるでそこだけ時間を止めた竜宮城のような空間で、長いときの中にある「今」を感じたイベントの様子をお届けします。
「嬉野」という地がこれまで重ねてきた精神性を、伝え残すために
佐賀県嬉野市の老舗旅館・和多屋(わたや)別荘。
古くは薩摩・島津家の御用宿として知られ、昭和天皇も宿泊された貴賓室のある由緒正しい旅館です。
そんな歴史ある旅館の一室で開催された「一茶一菓」は、旅館という空間とその土地で育まれたお茶とお菓子、そして器が調和した3日間開催のイベント。
芸術品のようなスイーツと、それに合うお茶のマリアージュには、地元だけではなく東京や大阪、遠くは北海道から足を運ぶ人もいらっしゃるのだそうです。
今回の「一茶一菓」では、3人の菓子職人さんと3人の茶農家さんがタッグを組み、「豊穣の月」「深秋」「冬仕度」と少しずつ深まっていく秋を、スイーツとお茶のマリアージュで表現。
何ヶ月も前からこの日のために試行錯誤を重ね、お互いを引き立てるためのスイーツとお茶をそれぞれ研究してきたのだとか。
とくに注目したいのは、「一茶一菓」の特徴である「お茶の遊び心」。
お茶といえばスイーツを引き立てる脇役のようなイメージがありますが、「一茶一菓」では違います。
ここでは、お茶は欠かせない主役のひとつ。金木犀の香りをブレンドした紅茶、粉末状のお茶をホワイトチョコに絡めて作ったお茶ソース、梅干し入りの番茶などなど……。「お茶」という飲み物の幅や可能性を感じずにはいられません。
地元の人たちの晴れ舞台としての「嬉野茶時」
また、このイベントのもうひとつの特徴は、作り手が全員地元・嬉野の住人であることです。
当日茶師としてお茶を淹れてくださる茶農家さんはもちろん、スイーツも開発から当日の調理まですべて地元のケーキ屋さんやパン屋さんが担当しています。
普段はまちのケーキ屋さんとして愛されているショップのオーナーが、年に数回自分の「作品」として一皿に魂を込める。
嬉野茶時は、そんな晴れ舞台としての役割も担っているのです。
「はじめは、自分たちが淹れたお茶に値段がつくなんてことが想像できなかった」。
嬉野茶時の企画書をはじめて見たとき、茶農家の副島さんは成功するのか半信半疑だったと言います。
「茶農家のほとんどは茶葉をそのまま市場に卸しています。だから、自分たちのお茶がどのように売られているか、届いた先のお客様がどんなひとなのかを想像することが難しいんです」
初回は、「本当に自分たちがお茶を淹れることにそこまでの価値があるのか、信じられなかった」という茶農家さんたちも、自分たちのお茶に喜んでくださるお客様の反応を目の当たりにすることで、どんどん自信をつけていきました。
新しい農法にチャレンジしたり、小売販売をはじめたりと、お茶を中心に嬉野という土地を盛り上げていこうという機運が波紋のように少しずつ広がっていく──。そのきっかけとなったのが「嬉野茶時」、そして「一茶一菓」というイベントです。
なぜこの嬉野という土地で、遠方からも足を運んでもらえる貴重なイベントが生まれ、育っていったのか。
その理由を探るため、発起人の3人にお話を伺ってきました。
後編に続く……。
■2017年11月11・12日「一茶一菓」茶師
太田裕介(太田重喜製茶工場)
副島仁(副島園)
青栁貴信(相川製茶舗)
■2017年11月11・12日「一茶一菓」菓子職人
井上賢一郎(Spica-pâtisserie-)
坂本卓也(パン工房さかもと)
澤野典子(うれし庵)
- 「嬉野茶時」公式サイトはこちら
文章:最所あさみ
撮影・編集:伊佐知美
(この記事は、佐賀県と協働で製作する記事広告コンテンツです)