目の前に広がる都会の風景に、あれこれ思いを巡らせながら、ここにあるべき“必然”とは一体なんだろう?と考える。

ありきたりで、取るに足らず、何の気なしに通り過ぎてしまう風景ほど、そこになければならないものが隠れてはいないでしょうか。

と同時に、そうした“必然”は、いわゆる自然の広がる風景の中でしかありえないものばかりでもない気がします。都会の街のなかにも、誰かの手によって、緻密に計算され考えられて生まれた風景が備わっているのではないでしょうか。

ここから見ると、ビル群の間から下町を覗くようにそびえるスカイツリーが、したり顔をしているようで。

穏やかな亀島川が流れる下町の何気ない隙間や、街中で見つけた風景にも、何かしら、誰かしらの“必然性”を感じる今日この頃です。