編集部が自身のこれからの暮らしを考えるための特集「ぼくらの学び」。理想の暮らしをしている先輩や知識人にお話をうかがい、疑問を解決するために学ぶ連載です。「灯台もと暮らし」編集部・くいしんは、これまでに何度かジョブチェンジ(=異業種への転職)を経て、今に至ります。「ジョブチェンジしたっていい」「何度やり直してもいい」。そんなことを考え、確認したくて、異業種への転職経験がある方を中心に、お話をうかがっていきます。
筆者のくいしんがまだ「灯台もと暮らし」の読者だった2015年。灯台もと暮らしと同じくらいよく読んでいたウェブメディアがあります。それが「kakeru(かける)」。初代編集長を務めていたのが、今回お話をうかがう江藤美帆(以下、えとみほ)さんです。
大学を中退して渡米、その後日本に戻りライターとして活動し、イギリスに行ったことをきっかけに起業、自身でつくった会社を辞めて会社員になり、その後また転職後、今度は社内起業と、波乱万丈とも紆余曲折とも言える経歴の持ち主。
現在は、スマートフォンで撮影した写真を売買できるアプリ「Snapmart(スナップマート)」を運営されています。多くの転職・起業を繰り返してこられた華々しく思えるキャリアを持ったえとみほさんに、異業種への転職のコツを聞いてきました。
記事の前半ではえとみほさんの経歴について、後半はフリーランス、会社の代表、会社員と、様々な立場で仕事をしてきたえとみほさんからのジョブチェンジに対するアドバイスを中心にお送りします。
ライターとして20代で21冊の本を出した
── この連載では「異業種への転職」というテーマでお話をうかがっているのですが、えとみほさんの最初のキャリアはライターですよね。
えとみほ そうですね。20代の頃、多いときは年に4、5冊くらい、合計21冊の本を出しました。
── 大学を卒業してから就職せずにテックライターになったと伺ったのですが、どのようにしてライターになったのでしょうか?
えとみほ 学生時代から漠然と海外に行って働きたいという気持ちがあって。高校生のときからずっとアメリカに行きたいと親に言っていたのですが、そんな子どもは周りに誰もいないので親が理解できるはずもなく。だったらまずは県外の大学に行かせて欲しいと説得しました。で、一度日本の大学に入ったのですが辞めて、辞めてから親に交渉してアメリカに行かせてもらいました(笑)。
結果的にアメリカには3年ほどいましたね。大学に通いながら、大手のIT企業でインターンとして働かせてもらうようになって、そのまま卒業と同時に契約社員として働いていたんです。
本当はそのままアメリカで仕事を続けたいと思っていたのですが、当時付き合っていたひとがいて、別れるか結婚するかみたいな話になっちゃって、悩んだ末に結婚したんですね。
結婚をきっかけに日本に帰ってきたんですけど、当時ってすごく就職氷河期で全然就職先がなくて。家でぼーっとしているしかなかったので、アメリカにいたときにお世話になっていた日本の出版社から執筆や翻訳の仕事をもらって、なんとなくそのままずるずるとライターになっちゃった感じです。
ライターの仕事は、目指していたわけじゃなくて、目の前にある仕事らしい仕事がそれしかなかったんですよ。職歴はほとんどないわけですし。気づいたらそのまま、27、8歳くらいまで家に引きこもってライターをやっていました。当時はずっと仕事に追われていて、年に2、3日くらいしか休みがない状態。さすがに旦那にも愛想を尽かされてしまいまして(笑)、離婚することになりました。
海外で出会った事業に感銘を受け権利をもらった
── 離婚が、いろいろ考えるきっかけになったんですか?
えとみほ それまでとにかく何も考えずに突っ走っていたので、フリーランスでやっていくこととか、この仕事をやっていくことは本当に自分の本望なのだろうかってことを、初めて立ち止まって考えました。今思えばその頃は、燃え尽き症候群でしたね。そのあと2年くらい何もせずにふらふらしていた時期があったんです。本の印税があったから、仕事をしていなくてもお金はある程度入ってきていました。
同時に海外を回って、イギリスで出会った事業に感動して──外資系企業だから契約の関係で詳しくはお伝えできませんが──その事業の日本版をつくりたいと思い、権利を欲しいと交渉して、日本で事業を始めました。
── 今、ざーっとお話していただいた内容をうんうんと聞いているのですが、すでに凄まじい経歴ですよね(笑)。
えとみほ えっ、そうですか。どうなんでしょう(笑)。
── 「イギリスにある事業の権利をもらう」ってなかなかできないですよ(笑)。どんな事業内容だったか聞いてもよいですか?
えとみほ ざっくり言うと海外の人気コンテンツの日本版ライセンスを独占的に販売していく会社です。あとはオリジナルコンテンツの制作。書籍とかDVDとか、ゲームとかiPhoneアプリもつくりました。社長でいた期間は6年くらい。ただ、マネジメントが得意ではないんでしょうね。だんだんしんどくなってきてしまって。それまでフリーランスでずっとやってきたので、ひとを雇うことがよくわからなかったし、自分もひとに雇われたことがなかったんです。
第一期社長時代から広告代理店入社まで
── その後はどのようにkakeru編集長に至るのでしょうか?
えとみほ 自分なりに苦手なこともがんばったつもりだったんですけど、やっぱりどうしてもひとを管理する仕事がしんどくて。このとき初めて「合わない仕事」をしたと思ってるんですけど、合わない仕事を無理に続けてても自分も周りもどんどん疲弊していくなと気づいて。それで結局、サービスは残して自分だけ抜けるという決断をしました。
その時期に今の旦那と知り合って、結婚しました。それで一時期は専業主婦になったんですけど、毎日ヒマですることもなかったので、家の近所にあった外資系のIT企業に働きに出まして。最初は主婦のパート感覚だったんですが、アメリカ本社のエンジニアさんたちと一緒に新しいサービスをつくり上げていくというなかなかチャレンジングな仕事で、最終的にはそこでオペレーション部隊のマネジメントをやらせてもらいました。
── それは何年頃ですか?
えとみほ 2011年前後くらいです。ここまで何社か外資系の会社で働いてきて感じたのは、外資系企業にとって日本法人は営業拠点のひとつにすぎないということ。自分で起業した会社にしても、本社が海外にある時点で自分たちでプロダクトをつくるということができないんですね。だから、自分のプロダクトをつくりたいなと思って日本の会社に転職することにしました。
オウンドメディアの編集長になりスナップマートの着想を得る
── すぐにkakeruの編集長になったんですか?
えとみほ いえ、最初はSNS関連の部署に配属になって、おもにインバウンドのマーケティング施策を担当していました。平たくいうと、事業部自体のマーケティングをする係です。
当時の会社はバリバリの営業会社だったので、みんなアウトバウンド営業は得意なんですけど、いわゆるインバウンド営業ができるひとがほとんどいませんでした。それで自分がやることになったのですが、そのときの所属部署には「他の代理店にはないユニークなセールスポイント」というのがまだそこまで多くなかったんです。あっても、すごく属人的なスキルだったりして。
しかも、当時の部署はほとんどが新卒、入社2年目くらいの若手で、このメンバーでコンサルティングを売り物にするのはどうだろう……と、最初は思ったんです。でもいろいろ話を聞いていくと、SnapchatとかSNOW、もちろんInstagramとか、若者しか使っていないSNSのことはめちゃくちゃ詳しいわけですよ。じゃあこれをうちならではの売り物にしていったらいいんじゃないかなと思い、それを発表する場として、kakeruをつくりました。
新卒の子たちにいろいろ実験をしてもらったり、インタビューしてもらったりして。その中で、若いひとは私たちの世代とは全然感覚が違って、すごくビジュアルにこだわるんだなってことがわかったんです。めちゃくちゃいっぱい写真を撮っているし、文字じゃなくて写真でコミュニケーションを取るんだなってことがわかりました。そうやって記事をつくっているときに、kakeruに見合うアイキャッチを探しても、ぜんぜんなかったんです。
── あっ、自分が買いたかったってことですね。
えとみほ そうそう、自分が買いたかった(笑)。プロでない若いひとが撮影したいい写真がいっぱいあるのに、勝手に使ったら怒られるし、有料の素材のサービスは、若者や女性が撮ったような写真がぜんぜんなくて。だから自分でスナップマートをつくろうと思ったんです。
チャレンジするときに葛藤はない
── 僕がこの連載をしている中でよく読んでくれた方から聞くのが、自分が異業種に転職したいときに、未経験だと大変じゃないかと不安で挑戦できないってことなんです。えとみほさんには、そういう気持ちがありましたか?
えとみほ なんにも気にしてなかったです(笑)。
── なるほど(笑)。モチベーションとしては、とにかく自分がやりたいからやる、みたいな感じでしょうか。
えとみほ そうですね。もちろん自分がやりたいことで、さらに世の中のニーズがあるだろうっていう領域。ふたつが一致して、自分の中で整合性が取れたらやるべきだなって思います。
── 経歴を詳しく聞いて思ったのは、本当に障壁がない感じがするんです。そうやってどんどん次の事業やりたいことへ挑戦していける秘訣ってありますか?
えとみほ チャレンジが好きなんですよね。新しいことにチャレンジすると、見たことのなかった世界が見えるわけじゃないですか。自分にも周りの仲間にも。
── チャレンジするときに都度、葛藤とかあるんですか?
えとみほ やるって決めたときにはなくて……あんまり葛藤はないです(笑)。
── えとみほさんの場合は、その精神をどこから得たんだと思います?
えとみほ なんだろう。それは……チャレンジの回数が多いからだと思います。
── あー、なるほど。
えとみほ チャレンジすると絶対に、ひどい目にあったりとか痛い目にあったりするんですよ。でもそれは当たり前なので、痛い目にあっても、またどこかで立ち直るんです。何回かそういうことをやっていると、痛い目にあってもどうせ半年後にはけろっとしてるんだろうなって、免疫がついてくるんですよ(笑)。なので、なるべく若いうちにチャレンジするクセをつけたほうがいいですよね。
最初のチャレンジは渡米
── ご自身にとって、最初のチャレンジはなんでしょうか。
えとみほ やっぱり海外に行ったことですかね。アメリカに住んで、それまでの人生観が変わるようなことがたくさんあって。当時は今みたいにインターネットがなかったので日本の情報もほとんどわからない。田舎だったから周りに日本人もいなくて。
── それこそLINEもなければSkypeもない時代ですもんね。
えとみほ そうそう。ずっとモスのライスバーガーを食べたいと思っていて(笑)。
── モス(笑)。
えとみほ すごく好きってわけじゃないんだけど(笑)、アメリカに行ったら食べられない日本のいろんな食品があるから、食べたいなーと思ったりとか。とにかく過酷で……刑務所にいるみたいな感覚でしたよ(笑)。
えとみほ ライターのときは全然つらいと思ったことがなくて、好きなことをずっとやらせてもらっている感覚でした。仕事で一番辛かったのは、そのあと会社を自分でやっていた頃です。
ただそれも「やらなければよかった」とは全然思わなくて。失敗したこともいっぱいあるんですけど、やって後悔したことって一個もないんです。
やったことのないことをやると、味わったことのない感情が出てくると思うんですよね。知らない感情を知ることに、生きているなって感じるんです。それ自体が、生きる喜び。たとえば、私は子どもいないですけど、子どもを産んで育てることもチャレンジだと思うんですよ。親にならないとわからない感情とかあるじゃないですか。それと一緒で、何か新しいことをすると「こういうふうに思うんだ」って、今まで知らなかった感情が湧いてくる。
不安の要素を分解してみる
── この連載を始めて、たとえば「これまで事務職しかやったことないけど、本当はライターになりたいんです。なれますか?」と相談されたりします。そういう方に何か伝えられることはありますか?
えとみほ 意欲があれば全然大丈夫だと思う。最終的に意欲がどれだけ続くかですよね。「ライターになりたいです、未経験なんです」って言ったらあんまり雇ってくれるところがないかもしれないですけど、「別にお金いらないです」って言えば、じゃあしょうがないから置いてあげるよってところもあるだろうし。
最初から仕事として、今までやってきた事務の仕事をライターにしますって言って、事務のときの給料の全部をライターで稼げるかって言ったら稼げないかもしれない。でも、最初はリスクを負ってやっていけばいい。そのリスクを取れずに事務の仕事を辞めてライターに挑戦できないというのは、「ライターになりたい。書きたい」という気持ちよりも、現状の日々の生活が大切だって話じゃないですか。
── 今すごく的確に、要素を分解しておっしゃっていただきました。つまり、「お金が心配なんじゃねえかよ」って話ですよね。
えとみほ はははは(笑)。そうそう、経済的な心配もありますよね。いきなり(お金が)なくなるのが辛かったら、事務の仕事を派遣にして、週3に減らして、残りをライターの活動に当てるとか。たぶん今はいろんな働き方がフレキシブルにあるので、リスク分散しながらやる方法は考えられますよね。
でもそれって、私の場合は自分がひとを雇う立場になったから分かったんです。たとえばライターになりたいんだったら、自分が編プロを経営していて、ライターになりたいひとが自分のもとに来たときに、なんの基準で採用するかというのも雇う立場になるとわかる。一回雇う立場を経験すると、自分が雇われる立場になったときに、どうすれば受け入れてもらえるか、どうすればスムーズにキャリアチェンジできるかが、手に取るようにわかります。
実際に経営者にならなくても、立場を入れ替えて考えてみるのはどうでしょう?「自分だったらどういうひとを雇うかな」「自分だったら自分が雇いたいひとになっているかな」って。そうやって、雇う側の立場になって考えてみるのがよいのかなって、私は思います。
お話をうかがったひと
江藤 美帆(えとう みほ)
スマホ写真が売れちゃうアプリ「Snapmart(スナップマート)」をつくる会社、Snapmart(スナップマート)株式会社代表。著書21冊。Webメディア「kakeru」初代編集長。エンジニアイベント「市ヶ谷Geek★Night」発起人。Snapmart(スナップマート)ではバックエンドエンジニア絶賛募集中。
Twitter:@etomiho
これからの暮らしを考えるために【ぼくらの学び】特集、はじめます。
くいしんの学び
- 【妖怪を学ぶ#1】『山怪』田中康弘が語る、目に見えない“怪”の世界
- 【妖怪を学ぶ#2】「妖怪」の根本にあるのは人間の死への恐れ?|『山怪』田中康弘
- 【妖怪を学ぶ#3】東京都調布市「鬼太郎茶屋」でゲゲゲの世界の妖怪に出会う
- 【妖怪を学ぶ#4】東日本大震災から5年半。畑中章宏が語るシャルル・フレジェ『YOKAI NO SHIMA』『シン・ゴジラ』ポケモンGOのつながり
- 【妖怪を学ぶ#5】大妖怪展監修・安村敏信先生に聞く!「どうして今、妖怪がブームなんですか?」
- 【妖怪を学ぶ#6】「これからの暮らし」と「妖怪」のつながりって何?
- 【ジョブチェンジを学ぶ#0】3年以上同じ会社で働いたことがないふたり。編集長・伊佐とくいしんの転職話
- 「過去の自分から笑われるのは嫌だった」カツセマサヒコ、転職前の憂鬱【ジョブチェンジを学ぶ#1】
- 独学でデザイナーになんてなれるはずがない|ムラマツヒデキ【ジョブチェンジを学ぶ#2】
- Snapmart(スナップマート)代表・江藤美帆(えとみほ)さんの生きる喜びとは?【ジョブチェンジを学ぶ#3】
- 幸せの価値観は、ひとつじゃない。ロンブー淳さんがクラウド遺言サービス「itakoto」をプロデュースする理由【ジョブチェンジを学ぶ#4】
- 人生で一番欲しいもの。それは自然と一体化するプライベートサウナ【サウナをつくる】
- 妄想サウナ!「サウナイキタイ」チームの考えるカスタマイズ可能なプライベートサウナってどんなもの?【サウナをつくる】
タクロコマの学び
- 【ふたり暮らしに学ぶ #1】初めての同棲|家具の選び方やお金の管理、どうしていますか?
- 【ふたり暮らしに学ぶ #2】プロポーズ|同棲生活に「締切」は必要ですか?
- 【ふたり暮らしに学ぶ #3】いっしょに仕事する|パートナーと励めるライフワークのつくり方とは?
- 【写真が上手いひとに学ぶ #1】『広告』編集長/コピーライター尾形真理子「“なぜか愛せる”ところに気付ける視点を、わたし自身が持ちたい」
- 【写真が上手いひとに学ぶ #2】相手の心をひらくポートレート写真術|写真家・西山勲
- 【写真が上手いひとに学ぶ#3】写真家・浅田政志「みんなの中に生まれた笑顔を撮っているんです」
立花の学び
- 【子育てと仕事を学ぶ #1】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた」
- 【子育てと仕事を学ぶ#2】紫原明子「笑い飛ばして生きていこう。世界はきっと想像以上にやさしいから」
- 「絶対に譲れない4つのこと。私にしかできない方法で生きていく」サクちゃん【子育てと仕事を学ぶ#3】
- 自己中だった私が「この子のためなら死ねる」と思えた日|イラストレーター 横峰沙弥香【子育てと仕事を学ぶ#4】
- 【子育てと仕事を学ぶ#5】環境や制度のせいにせず、今できることを考えたい|ノオト編集者 田島里奈
- 【アートに学ぶ#1】誰も答えを知らないから、私たちは表現せずにはいられない|相馬千秋
- 【アートに学ぶ#2】これからは「多様性」という言葉すら時代遅れになる|F/Tディレクター市村作知雄
- 【アートに学ぶ#3】演劇で思い知るのは「分かり合えない」という孤独と希望|SPAC芸術総監督・宮城聰
- 【アートに学ぶ#4】日本初の公立文化事業団「SPAC - 静岡県舞台芸術センター」に聞く、表現の自由の限界と挑戦
- 【アートに学ぶ#5】“見て見ぬフリと見ているツモリ”になっていること、ない?|静岡から社会と芸術について考える合宿ワークショップvol.5 レポート
- 【アートに学ぶ#6】地域のアートプロジェクトを行う時に一番大事なことは?|ノマドプロダクション・橋本誠
- 演劇は“違う世界を見ている相手”に寄り添う知恵を与えてくれる|「老いと演劇」OiBokkeShi(オイボッケシ)菅原直樹【アートに学ぶ#7】
- 【アートに学ぶ#8】行動を起こせば、それがどこかの誰かを“すくう”かもしれない|アーツカウンシル東京PRディレクター 森隆一郎
- アートは生きる術(じゅつ)。あなたは何の“術”を使い、どう受け取る?|小澤慶介【アートに学ぶ#9】
- 他者を理解しようと紡ぎ出した“純度”の高い文章が、ひとを救うと信じたい|演劇ジャーナリスト・岩城京子【アートに学ぶ #10】
- 好きじゃない。見たくない。でもその世界で生きてゆかねばならないなら?劇団「範宙遊泳」山本卓卓【アートに学ぶ#11】
- 「自分のために自分でやる、言い訳がないひと」をアーティストと呼ぶだけ|MAD City 代表・寺井元一【アートに学ぶ #12】
- 「分かり合えなさ」があるから文化が生まれる。アリシヤ・ロガルスカさん 【アートに学ぶ #13】