ファッションブランド「N-S」(ノース)を運営する松田成人さんは、10代後半から東京で、モデルやショップのバイヤーとして活躍してきました。ファッションデザイナーとなり、独立して約10年が経過した今、なぜ地元の岩手県遠野市に戻ってきたのか? そして、この地を起点として、「東北ブランドを発信したい」と語る理由とは?
私たちの暮らしに欠かせない「衣」のこれからを、遠野から考えましょう。
モデルからファッションデザイナーへ
── 「N-S」というブランドを立ち上げる経緯を教えてください。
松田成人(以下、松田) はじめてファッション業界に携わりはじめたのが「VOICE」という古着屋でした。そこのスタッフとして働いていたら、19歳の時にスカウトされて。しばらく、ショップスタッフとモデルを同時でやっていた時期がありました。
その1年半後に、「go-getter(ゴーゲッター)」という古着屋ができたんですね。そこがオープンしてすぐに、現在N.Y.でコレクションを発表している「N.HOOLYWOOD」のデザイナーの尾花大輔さんが「go-getter」に移りまして、その半年後、俺が「go-getter」に誘われて、働くことになりました。
8年間くらい、「go-getter」のバイヤー兼ショップスタッフとして働いていました。毎年5ヶ月間くらいはアメリカに古着の買い付けに行っていましたね。
「go-getter」を辞めたあとは独立して、古着の卸をはじめました。それから徐々に古着のブームが終わりはじめて、新品が売れる時代へと変わっていった。周囲にいる人たちからも「ブランドをつくりなよ」と勧められる機会が多くなってきたので、「digital diverse」というブランドを「N-S」の前にスタートさせました。
── そこではじめてファッションのデザインをやることになるのでしょうか?
松田 そうですね。本当は洋服をつくる気はなかったんです。けれど「服をつくってほしい」という周りの後押しはありまして。専門学校とか、ファッションデザインを学ぶ場所には行っていないけど、服づくりの経験があるスタッフと一緒に、教えてもらいながらやりはじめて。若さゆえの勢いもありましたね(笑)。
でも、いざ服をつくってみたら、初回取引で15店舗くらい取引先が決まったんです。なかなかいいスタートが切れたので、しっかりやってみようと。
── 東京でファッションに携わって約20年、そして独立後にブランドを立ち上げて11年目を迎えますが、地元である遠野にUターンしたのはなぜでしょうか。
松田 率直に言うと未来を考えてしまったんです。90年代の日本のファッション市場と言えば、日本製の服か輸入服、高級服がほとんど。でも、2000年代に入ると、海外のいわゆる「安い服」がたくさん日本に入ってくるようになりました。
そうなると日本のアパレルの縫製工場や生地をつくる工場の数がどんどん減っていって……。この先、「N-S」みたいな有名じゃないブランドは淘汰されてしまうなと。なので、顔が見える現場(工場)の近くでものづくりをしてみよう、挑戦してみようと思ったんです。
── そうなのですね。
松田 そもそも東京では、中間業者を何社も挟まないと洋服をつくれない。それって、おかしいなと疑問がありまして。「直接工場とやりとりできないのだろうか?」と考え、一度、岩手県のアパレル組合の理事長に「岩手に戻ってきて、今まで東京でやってきたことを岩手でやりたい」と相談に行きました。すると、協力してくれるということになり、遠野に戻ることにしました。
あと、20年間、東京で学んできたことや経験、知識を地元に活かしたいなとも思ったんです。まだまだだけれど。これからかな?(笑)本当は、もっと遠野に還元していきたいんですけどね。
どんどん減っている「本当の日本製」
── 「N-S」というブランド名にはどのような想いが込められているのでしょうか。
松田 「N」が北のノース、ハイフンが「から」を意味していて、「S」が南のサウス。「北から南に発信する」というブランド名なんです。いずれ、遠野に戻ることを前提にこの名前に決めました。ブランド名だけではなくて、じつは会社名も「north production Inc.」。
これを実践しようと思ったのが32歳の時でしたが、なかなか実行に移せずで……。6年越しにやっと実行に移すことができました。これからが本当の「N−S」のはじまりです。
── 東京ではなく、遠野という地域でファッションブランドを運営してみると、よい面や不便な面もあると思うのですが、いかがでしょうか。
松田 ぶっちゃけ、不便です(笑)。
国内で流通している日本製の服って、何割あると思う?
── ……2割くらいでしょうか?
松田 今、日本でつくられている服は全体の3%しかないんですよ。20年前は50%はあったし、10年前は30%はあったと聞いています。それくらい工場がなくなっていて、次の1年には、2%くらいになってしまうかもしれません。
── 急激につくり手が減少しているんですね。
松田 このままでは10年後、日本製の洋服はなくなってしまう。工場は高齢化で後継者(若手)がいない。業界のシステムと工賃の問題があるのでしょう。
たとえばメディアがファッションの特集をするんだったら、ブランド自体やデザイナーだけじゃなくて、工場や生地屋を取りあげるとか、職人をクローズアップしてくれたらいいなぁと思いますよ。現場を知ると、そういった必要性をすごく感じるんです。洋服は、全て人間の手によってつくられるものだから、職人がいないと洋服が成立しませんからね。
── 最近松田さんご自身が、何か新しいことをはじめたと聞いています。
松田 地元の「手織りの機織り」の見学に行ってきました。これから自分で生地をつくれるようになりたくて。
俺が生まれ育った遠野市の綾織町は、「生地の組織が斜め」の意味の「綾織」からついた町名で、昔は織物が盛んだった地域だと聞いています。遠野の手織りという文化も、誰かが継承していかないとなくなってしまうかもしれません。
じつは、手織りをしている80歳くらいのおばあさんが、いまも綾織町で暮らしているんです。現役で活躍されているけれど、「次を受け継ぐ人がいない」とおっしゃっていました。
なら、「僕がやりたいですっ! やります!」……と。
「made in 東北」を発信したい
── 成人さんが仰るように、次の世代が「受け継ぐべきもの」があると思います。それはどの産業においても。
松田 服に携わっていくなら、現場を知ることが大切だと思います。現場を知ることによって、なぜ工場がなくなっていくのか、後継者や人員が不足してしまっているのかを少しずつ知ることができる。
最近では、「先月まで30人いたけど、今月10人辞めたよ」とか、工場の人から聞かされることが当たり前にあって。どんどん縮小してます。後継者がいなくなり、工場がなくなれば、「MADE IN JAPAN」の洋服がなくなり、日本の技術もなくなります。
── 安い洋服は、どうして安いのかを考えることも大切ですし、日本製の服がどうして高いのかについても理解を示すことが必要ですね。
松田 日本製の洋服は、決して高い訳ではありません。むしろもっと高くてもいいぐらいです。それぐらい工場の方々は丁寧な仕事をしてくれていますし、素晴らしい技術を持っています。……でも、周知の事実ですが、最近は工賃、賃金が安い国へと洋服の生産拠点が移動していく傾向にあります。大量生産、大量消費の時代ですからね。
── そういえば、タグに「made in 東北」と記載していないんですね。
松田 そもそも正式には表記できないことになっているんです。それに、生地はそれぞれ原料により産地があるものなので。たとえば岩手であれば「日本ホームスパン」が有名ですね。あの有名な「CHANEL」のシャネルツイードをつくっている機屋さんです。「N-S」でも2015 秋冬の洋服に「日本ホームスパン」に「N-S」オリジナルの生地を制作していただきました。
── 洋服を地域で区切るのはむずかしいことなのですね。むしろ日本全体で協力したほうがやりやすいと。
松田 地域で区切るのはむずかしいですね。産業や文化を残そうと思うのであれば、日本全体で考えるべきなのだろうと思います。
「東北だけのものだけでつくりたい」という想いもありますが、現実は厳しい。ですが、「N(北)−(から)S(南)」へ洋服を通じて東北の文化を発信、継承していきたいですね。
お話をうかがった人
designer : 松田 成人(まつだ なるひと)
ヴィンテージショップ「go-getter/ゴーゲッター』にてバイヤーとして働きながら、「mister hollywood」の立ち上げメンバーとしても務める。2004年8月独立しその後、古着の卸を開始。2005~6年A/W collectionより「digital diverse」としてブランドをスタートさせる。 2008~9年A/W collectionよりカジュアルライン「analog diverse」もスタート。2009~10年A/Wcollectionより会社設立に伴い、ブランド名を「N-S」へと変更し、ラインを1つにまとめ、スタートさせる。
N-S / ノース
北からの贈り物、北から連想するもの、カルチャー、人間の持つ潜在的、必要不可欠なぬくもりや懐かしさ、感情を感じさせるプロダクトを創造します。
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(イラスト:犬山ハルナ)