野菜提案企業 坂ノ途中の倉田優香さんが、広報兼店舗スタッフとして野菜販売の現場に身を置いて2年が経ちます。
子どもの頃からものづくり、とくに伝統染織が大好きで職人にあこがれていた倉田さん。時代の流れや社会の変化の中で「あり続ける」ことが難しい伝統工芸に対して問題意識を持つようになってからは、実際に沖縄やカンボジアに赴き、現地で伝統と人々のあり方について問い直す日々を過ごします。
帰国後、やっぱりどうしてもものづくりが好きで、大企業でバイヤーとして勤務。ものづくりの現場で多くの喜びや葛藤を経て、坂ノ途中に辿り着きます。
そんな倉田さんには坂ノ途中に入社したときからずっと、「遠くを思う想像力を、坂ノ途中から広めたい」という想いがあります。
倉田さん自身のものづくり、現場への想いに迫りながら、「遠くを思う想像力」が日ごろ野菜を買う私たち消費者とどんな繋がりがあるのか伺ってみました。
倉田 優香(くらた ゆか)
1984年、福岡県生まれ。子どもの頃から手しごとや伝統染織が好きで、大学時代は文化人類学を専攻。沖縄やカンボジアで伝統染織とそれに関わるひとびとのライフヒストリーの聞き書きを行った。新卒で電機メーカーに就職、バイヤーとして約6年間勤務したのち坂ノ途中に転職。好きな野菜はナス。
(以下、倉田優香)
現場を知っているからこその喜びがある
坂ノ途中の本社は京都市にありますが、私自身は東京を拠点に広報と店舗スタッフをしています。
仕事は主に、野菜の宅配に毎週同梱している読みもの「坂ノ途中だより」や外部メディアさんでの連載、取材対応、いただいた原稿のチェックなど。広報といいつつライターとか編集者っぽいですよね。
店舗スタッフとしては東京の店舗「坂ノ途中soil ヨヨギ garage」と「坂ノ途中 soil キョードー」を行き来しています。広報という仕事だけでなく、実際にお店に立ってよかったなぁと思うことは本当にいっぱいあって。
たとえば、初めてお店に来て「試しにひとつ」と日持ちする根菜を買ってくださった方が、次は葉物を買いにいらっしゃる。お買いものの帰りに1、2品だけうちで買ってくださっていた方が、だんだん品数が増えていく。「○○を買いたい」と来られていた方が、「今日のオススメはなに?」と聞いてくださるようになる。
そういう信頼を少しずつつくりあげていく実感があるのは、デスクワークでは味わえない「現場」ならではの喜びです。
伝統について考えるため海外へ
私は昔から手しごとや伝統工芸、中でも布が好きでした。だけど美的センスが全然なくて。作る側の人間ではないなって思っていました。でも好きだったから、残ってほしいという気持ちはあったんです。
けれど、伝統工芸を取り巻く問題「続けていくことの大変さ」を知っていくうちに、ただあり続けて欲しいと願うのは正しいことなのか? と迷いはじめたりして。
このモヤモヤと向き合いたいと思い、大学時代は文化人類学を専攻しました。坂ノ途中代表の小野は、このときの研究室の先輩です。
戦争で、伝統的な手しごとのみならず生活そのものが深刻な影響を受けた沖縄やカンボジアに住み込み、職人さんたちのライフヒストリーを書き起こしながら「伝統ってなんなんだろう」「手しごとが取り戻される、あるいは無くなるのはどういうときなんだろう」と考えたりしていました。
ものづくりの背景が見えないことは、本当に当たり前なのか
その結論はまだ出ていないのですけど、ただ、ものづくりに携わりたい想いはどうしても消えなかった。
だから、大学卒業後の進路は電機メーカーに就職しました。ものづくりの現場、工場に近いのは材料を買ってくる仕事だろうと思って、バイヤーを希望したんです。
念願叶って、バイヤーとして最初の3年間は東京で、そのあと希望で静岡県にある工場に転勤しました。主にモールド(*1)。や基板を担当していました。
(*1)モールド:樹脂を溶かし型にはめ、冷やし固めたもの。
技術者さんやたくさんのメーカーさんと一緒に商品の開発を進めていく日々はとても楽しかった。小さな商品ひとつとっても、それはたくさんのひとの知恵と長年の経験の積み重ねなんです。
工場では「みんなでいいものをつくろう」と試行錯誤を繰り返す、ものづくりに身をひたす喜びを感じていました。
だけどその一方で、生産現場にいたからこそ、モヤモヤした気持ちも生まれました。
たくさんの方が想いを込めてつくったものなのに、店頭に並んだ途端「ここに来るまでの物語」が全然見えてこなくなってしまう。遠いんですよね。実際、私自身も、ものづくりに携わるようになるまで、目の前の商品を手に取って、その背景を想像することは正直あまりありませんでした。当たり前のことかもしれないけれど、「ストーリーが見えないのが当たり前って辛い」と思ってしまったんです。
「現代のものの売られかた・買われかたって、私たちの想像力を削ぐんじゃないか」と思うようになりました。
坂ノ途中との出会い
そのあと坂ノ途中に転職するのですけど、そのとき、いろんな偶然が重なって。
じつは私、前職時代、坂ノ途中の定期宅配を数年間取っていたんです。それはもう偶然、大学の先輩であり坂ノ途中の代表である小野に再会したことがきっかけでした。たまたま買い物をしようと思って新宿伊勢丹の7階に行ったら、京都物産展が行われていて、彼が野菜を売っていたんですよ。
そこで初めて坂ノ途中が売ってる野菜を買って食べたら、美味しくて。ていねいに育てられたんだな、となんだかしみじみと感じられる味でした。
それまで気にかけてこなかったけれど、「野菜にもちゃんと差はあるんだ」「農業も『手しごと』なんだ」と思ったんです。おもしろいと感じました。
それから数年がたって、ものづくりという上流側から販売という下流側へ行ってみたい、ものに込められた物語を伝えられるような仕事をしてみたい、と転職を考えはじめたタイミングで、ちょうど、東京に坂ノ途中の店舗がオープンすることに。いち坂ノ途中ファン・お客さんから、とうとう広報兼店舗スタッフに転じてしまいました。
想像力をもって野菜を見つめるということ
広報と店舗スタッフ、どちらも野菜をつくる生産者の応援者であり、そしてお客様に伝える仕事です。
坂ノ途中のメッセージ「未来からの前借り、やめましょう」という言葉は、この野菜はどんなふうに育てられているんだろう?どんなひとが育てているんだろう?どんな未来をわたしたちはつなぐことができるだろう?……というふうに、目の前にはないたくさんのことに、思いをめぐらさせるスイッチみたいなものだと思っています。
それをどうやってきちんと伝えていくのかは正直、今も模索中です。だけど、入社してからずっと「遠くを思う想像力を、坂ノ途中から広げたい」という想いは変わりません。
野菜って楽しいんです。
毎日向き合っていると、「あれ、今日は表情が違うな」「お、季節が変わってきたな」と感じたりする。そういうことを坂ノ途中の野菜を手に取ってくれるひとにも食べながら知っていただけたら。そんな小さなことからでも、買いもののものさしってちょっとずつ変わっていくんじゃないかなって思うんです。
「現場」を知っているひとだけじゃなくて、買いものをするひとりひとりが「遠いところにいる・ある」ひとや、ものを思いやるようになってほしい。そのきっかけづくりを、坂ノ途中から広げていけたらいいな、という気持ちです。
(この記事は、株式会社坂ノ途中と協働で製作する記事広告コンテンツです)
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