織姫さん。
七夕の伝説の仙女とおなじ愛称で呼ばれる女性たちが、現代の日本にも存在します。
彼女たちの生活の拠点は奥会津。そこで約1年間かけて土から糸になる植物「からむし」を育て、それを刈り取って糸にし、布に織り成していくという体験をします。
それがからむし織体験生事業、平成6年に福島県大沼郡昭和村が始めたプログラムです。
この村で脈々と続けられてきた「からむし」や「からむしと共にある暮らし」を、外からきた女性たちはどう見ているのか。
平成30年のからむし織研修生のひとり、横浜からやってきた田嶋紀佳さん。田嶋さんは、今年からむし織体験生を卒業し、村に残ることを決めました。
田嶋紀佳(たじま のりか)
香川県出身。都内の大学を卒業した後、東京、香川、横浜でカイロプラクターとして働いたのち、2017年にからむし織体験生事業を使って昭和村へ。からむし織体験生(織姫さん)として村で1年間生活したのち、昭和村に残ることを選択する。
もともと、「家族のための服をつくりたい」という気持ちを原動力に、織姫さんとなった田嶋さん。
昭和村に来てからむし布を形にしていく日々が、彼女を「許された気持ち」にしたそうです。
布って神秘的だけど、身近でもある
田嶋さんはもともと、布の素材としての「からむし」や「麻」に関心を持っていたのだそう。
「布を意識したのは、もうずっと子どもの頃だった気がします。
『日本昔ばなし』なんかを知って、感じたんでしょうね。布って、不思議だなぁって。
布は、神様にも献上するし、家族も身に纏うもの。とっても神秘的だし、けれどとっても身近なものでもある布に、ずっと想いを馳せてきました」
からむしの入り口はどこからだったのかと聞けば、「家族のための服がいいなと思ったところ、その材料がからむしや麻だった」と彼女は笑います。
家族のための布がカッコいい
「今はもう、家族のための服をつくるという営みはあまり実践されていません。
けれども昔の日本には、その土地の材料を使って、家族のために衣服をつくる庶民の技が、当たり前のようにありました。
家族のための服って、使えなくなってもだいじにされるじゃないですか。つぎはぎして、新しいものになったり、次の世代に渡されたり。
家族のためにつくる布・家族のために使われる布がカッコいいなぁと思っていたんです」
昭和村では、今なお繊維となるからむしが栽培されつづけ、それを使って自分たちの暮らしのための布づくりやものづくりをするスタイルが脈々と続いています。
「私も家族のための服をつくりたい」そんな想いで田嶋さんはからむし織体験生事業に応募しました。
昭和村の暮らしには、自分で自分を癒す力がある
昭和村の布のつくり方・使われ方への共感ともうひとつ。田嶋さんが昭和村にやってきたのには、昭和村の暮らしぶりにも惹かれるものがあったから。
「昭和村に来る前は、横浜でカイロプラクター(*1)。をしていました。
(*1)カイロプラクター:薬の治療や・手術は行わず、手技療法で人体の不調を改善する治療を行うひと。職業や生活習慣などの観点から、不調の問題点を発見し、整えていく。
10年以上カイロプラクターをやって気づいたのは、日々の食べるものや着る服や仕事が、全部そのひとの心と体の健康に影響するんだってこと」
昭和村では、その土地で育てたものを食べ、その土地の素材でものづくりをしています。そんな自給自足的な暮らしがどんなふうに心と体の健康につながるのか、田嶋さんは今、実感を持ってこう答えます。
「カイロプラクターの仕事を通して、本当の健康のためには、自分で自分を癒す力が必要だと思うようになりました。
からむししかり、自分の暮らしを自分でまかなう昭和村の暮らしぶりは、とても生命力が高いものだと思います。
昭和村で生活して約1年。からむしをやっていて、『お金にならないことをしているなぁ』というジレンマを感じたりすることもあります。
けれど、それも含めてここでの暮らしは、心と体の両方にとってすごく健康的だなと思っています」。
からむし引きは言葉にならない。だからもう一回、来年も
その土地の素材を使って、家族のためにつくるような服をつくりたい。
そんな想いで織姫さんとなった田嶋さん。体験生として1年間からむしに触れてみて、どんな感想を持ったのでしょう?
「『からむし引き』は、からむしのどの工程の中でも特別。
シュルシュルシュルーって音がなって、出てくる繊維の色が……色というか、すべてが、とても不思議」
からむしの魅力に魅せられた田嶋さんが村に残ると決めた理由には、「来年もからむし引きがしたい」という想いがありました。
もちろん、家族のための服をつくるという気持ちも変わらない、と言います。
からむし布には、いいことも悪いこともつまっている
田嶋さんは現在、あえてランダムな糸づくりをしているのだそう。
「ランダムな糸からできあがった布は、形としては綺麗ではないのかもしれません。
けれど、均一じゃないデザインの方が人間味があっていいなと思います」
彼女が均一じゃない布に人間味を感じるようになったのは、織姫さんとしてからむしと触れ合った日々を通してでした。
「糸づくりをしていて思ったんです。
毎日、朝から晩まで糸をつくっていると、日常のいいことも悪いことも糸をつくっている時間と切り離せなくなってくる」
昭和村の糸づくりは手作業が主流です。糸づくりだけではなく、からむしの栽培から刈り取り、からむし引きに、機織りも。土から布になるまですべてがひとの手でおこなわれています。
だから、布になるまでとっても時間がかかる。けれど、時間がかかるということは、それだけ日々との関わり合いが深いということ。
「日々感じる心の機微に自然体になって糸づくりや機織りをすると、形になった布にもその心持ちが現れます。
それは、工業製品だったら許されないことかもしれません。けれど、家族のための布だったら、日々のいいことも悪いことも詰まっていてオッケーなんだって思えました」
家族のための布には、日々感じる素直な気持ちが詰まっている。その布がとてもだいじに使われてきた時代があったからこそ、田嶋さんはこう思うのです。
「いいことも悪いことも詰まっている布。
そういうものをつくって、みんなが着ていた時代があったんだなって思ったら、なんだか私も許された気持ちになったんです。
毎日の中に、いいことも悪いこともどっちもあって、オッケーなんだって」。
私たちの暮らしにも、からむし布にも、毎日の嬉しいことや切ないことが編まれています。
家族のために使われる布に触れたこの1年、田嶋さんは再確認しました。
完璧じゃなくても愛されることを、素直なものが尊いことを。
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)
文/小山内彩希
写真/タクロコマ(小松崎拓郎)
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