400年前の江戸時代と変わらず、今もなお日常の生活道路として機能している「東海道」。そして当時の文化を現代に引き継いでいる「品川宿」。品川宿は、東海道五十三次の宿場の第一宿です。

地域内で人と人とを引き合わせ、潤滑油の役割を担うコーディネーター・佐山吉孝さんは、旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会(以下、まちづくり協議会)の活動を支えてきた人物です。

古きよきものに、磨きをかけよう

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前職は広告代理店で働いていた佐山さんは、独立後に、品川宿の地域誌「グラフしながわ」の編集長となりました。同誌制作の繋がりから、まちづくり協議会の助っ人として参加。佐山さんが品川宿に入ったときに、まちの人がこの地域に抱いている価値と、外部から見た品川宿の価値にズレを感じたそう。

「たとえば『神社に残っている古い橋の親柱は、残した方がいい』と僕が言うと、まちの人は、『あんな古くて汚いものはさっさと片付けて欲しい』と言う。たしかにそれらは、放っておくと腐ってしまいます。けれど、古きよきものに磨きをかけてあげるほうがいいとぼくらは思ったんです」

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一方で、まちの人が価値あるものと考えるのは、新しくつくったもの。佐山さんにとって、それらは他のまちにあるものと同じであり、品川宿らしい魅力は感じられなかったそうです。

この価値観のズレをお互い確認し合い、調整する必要がある──。このように考えた佐山さんは、まちの持つ価値の顕在化と整理をするために、「まちの宝探しワークショップ」を行いました。

「グループワーク形式で地域の魅力を書き出していったら、600個も上がってね。品川宿で暮らしている人たちが考えている価値を、きちんと言語化して、それを整理する作業をしたんです」

この結果をもとに「まちのお宝発表イベント」を開催し、まちづくり協議会のメンバーからまちの人たちに対して、それぞれのまちづくりプランを発表してもらったそうです。そのときに若いメンバーの中から、「このまちは変わらない方がいい」「他のまちと同じようにしたくない」というような、外部から品川宿を見るのと同じ価値観の意見が出てきました。

「なんでもかんでも開発がダメと言うつもりはない。ただ、高層ビルが立ち並ぶ周辺のまちと同じように『開発=まちづくり』と捉えてしまうと、まちは独自性を失い、ただ意味もなく均質化していきます。逆に再開発で周辺地域が新しくなればなるほど、品川宿が際立ってくるんです。このまちに残っている古くからの橋や建物をみんなで手入れしていけば、誰もがびっくりするようなまちになると思ってますよ」

まちの北は商人気質、南は職人気質

品川宿ならではの、まちづくりを進めるための苦労もあると佐山さんは言います。

「品川宿は、目黒川を隔てて北品川宿と南品川宿とに分かれ、住んでいる人の気質も異なります。北は商人気質、南は職人気質で、やはり考え方や意見が異なります。たとえばわかりやすくいうと、お祭りのときに店を営業しながら参加するのが商人気質の北。南はみんな店を一斉に閉めて、お祭りに参加するんです。今までは地域と地域とを繋げてきましたけど、同じ品川宿内でコーディネートするなんてね(笑)」

異なる気質が同じエリア内にあるからこそ、住民間のコミュニケーション、意思の統一が難しかったそうです。現在は、品川宿の北と南のちょうど中央に位置する場所に、品川宿をまとめる役割も果たす「品川宿交流館」があります。

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品川宿交流館では、まちで何かやりたいと考えた人や、まちづくりに関わりたい人がいつでも相談したり立ち寄ったりできます。これまでまちづくり協議会は活動が可視化されてこなかったがゆえに、「拠点を持てた影響は大きい」と佐山さんは言います。

「『Bamba Hotel』の渡邊崇志くんは、僕と堀江(まちづくり協議会会長・堀江新三)さんが品川交流館の前のベンチに座って雑談していたときに、『ここで宿をやりたい』って訪ねてきたんですよ。もし、僕の事務所がある大井町でその相談をされたとしても、現実味がなくて、もしかしたら聞き流してしまったかもしれないなあ。物件をもつ大家さんと彼を繋いであげられたのは、品川宿交流館があったからだと思います」

車椅子を押してまで石畳を歩いた理由とは

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品川宿の道は、非常に貴重な歴史遺産であることは間違いありません。江戸時代から道幅も形も変わっていないというから、驚きます。

「東海道五十三次の宿場町を歩いたけれど、3.8kmにも渡ってちゃんと現代の暮らしの中に生きている東海道って他にはないんですよ。生活道路として、毎日僕らは買い物に使うし、お祭りもこの道で催される。江戸時代と同じように道路を使っているんですよね」

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こうした東海道の第一宿である歴史や文化性を活かしながら、現代の暮らしに適うまちづくりをするために、平成7年に「東海道品川宿周辺まちづくり計画書」をつくりました。この計画を決めてからは、「実直にひとつひとつ実行に移している」のが、現在の品川宿のまちづくりだそうです。

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「石畳の道を整備するのにも、まちづくり協議会のみんなで、他の石畳が整備されている地域に勉強しに行ったんですよ。”女性が歩きやすいか、高齢の方にも歩きやすいか”を調べるためにね。だから女性にはヒールを履いてもらったし、実際に車椅子を持っていって石畳を歩いてみた。帰ってきたら、実際に歩いた感想はどうだったのかを、みんなで話し合いました」

地道な取組みを惜しまない理由を、「まちづくりでいちばん大切なことは、まちの人が暮らしやすいかどうか」だからだと続けます。

「映画のロケセットみたいに、無理やり昔の資産を残しても、僕らの生活とは切り離れている。伝統的な祭りや行事を、特別に頑張らなくても続けられることが、暮らしやすいということです」

これからの品川宿のまちづくりにおいて、佐山さんはどのような役割を担っていこうと考えているのでしょうか。

「今の僕らの役割は、若い子をサポートすることだと思っています。品川交流館の竹中をはじめ、やる気満々でまちづくりに励んでくれてる若者がいる。彼らを盛り上げて、後ろから扇いで、時どき水を飲ませてあげて(笑)。でもまちづくりはやっぱり、みんなで楽しくやるのが一番ですね」

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佐山さんが、10年以上ものあいだ関わってきた品川宿には、まちの未来を担う若者たちが、続々と現れています。それを感じ取ったかのように、佐山さんは2012年から群馬県と埼玉県の県境の「かんな」でも、次なるまちづくりの活動を始めています。

その姿はまさに、風の人。新たな地域でも、時風を起こしてくれるでしょう。

お話をうかがった人

佐山 吉孝(さやま よしたか)
広告代理店勤務の後、1983年に独立。自動車各社の広告制作、博物館・美術館の展示制作、企業のPR誌、現代美術誌の企画編集などに携わる。1987年から品川区の「グラフしながわ」編集長を20年間努め、1991年から品川宿のまちづくりに携わる。2012年から地域新聞「神流風土子」を発行、昨年から「かんな人材育成ワークショップ」を主宰。まちづくり研究所代表。

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