文学の舞台を訪ねる。作品に出てくる料理をつくる。作家の暮らした街へ行く。”文学を旅行する”と目からウロコの連続です──そう語るNPO法人文学旅行の代表・鹿子沢ヒコーキ氏。編集部では同NPOの提唱する新しい旅の魅力を伝える連載「チェストいけ!文学旅行 鹿児島編」をスタートすることにしました。第1回は、有史以前3万年の景勝・桜島への文学旅行です。

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 城山。うっそうとした木々に囲まれた遊歩道。桜島の絶景ポイントだという展望台までの道のりは、深い緑のすき間からもれる陽の粒で、東京の人工物に疲れた身体がマッサージされていくようでした。

ふいに誰かが拡声器を使って見学の注意だか、周辺地域の解説だか、を始めて騒々しくなり、それが小学生を引率してきた教師のものだと分かる地点まで来ると、それまで青空をさえぎっていた樹木が途切れ、突然に視界の左側が開けたのです。

ボクは思わず”おお”と声を上げてしまいました。

鹿児島県の桜島
城山の展望台(標高108m)まで登りきると、左側から桜島が威容を現す。市街と錦江湾、そして見事な山容を一望できる絶景を観賞していると、教師から解き放たれた小学生たちが、見知らぬはずのボクに「こんにちは!」と元気いっぱい挨拶。東京では、あり得ないよなあ。

翔ぶが如く(一) (文春文庫)

桜島は、晴れた空を背景にするときは威容そのものである。ちまちまとした人間の営みで明け暮れている鹿児島旧城下をその魁偉でもって圧倒しつつ、しかしながらそのすそに群青のかがやきをもつ水帯をめぐらしているために威圧に無限の優しさがこもっている。

 (司馬遼太郎『翔ぶが如く(一)』、文藝春秋社、文春文庫刊)

 自然を、生きている人間のように擬人化するとき、桜島ほどしっくりくる景観もないでしょう。それは、この火山が人間社会と共生しているからです。桜島に生きている人間の完成形を見出し、人は感動するのかも知れません。実際、ボクはそうでした。この景色を見て育てば、だだっ広い平野の広がる都会育ちの人間より、器の大きさも懐の深さも違ってくるよなぁ、と。

もし桜島的人格というものがあるならば、その代表として西郷隆盛を挙げるのに異論をとなえる人は少ないでしょう。今回、鹿児島を旅行するにあたり、桜島と西郷さんを結ぶ文学について、何がよいか悩みました。『南州翁遺訓』も勉強になるし、梅崎春生『桜島』で戦争の暗さを受け止めるのもいい……。実際、連載の後半に展開する予定ですが、鹿児島は西南の役だけでなく、太平洋戦争を含めて、ふたつの大きな戦争の記憶を色濃く残す土地です。

桜島付近の公園
西郷隆盛終焉の地、享年は49。

ですが、今回は違えようと結論しました。『灯台もと暮らし』は、女性の読者が多いので、ボクは林芙美子『放浪記』を持って行くことにしました。

放浪記 (新潮文庫)

下谷の寿司屋の女中さんの口に紹介をたのむと、一円の手数料を五十銭にまけてもらって公園に行った。今にも雪の降って来そうな空模様なのに、ベンチの浮浪人達は、朗かな鼾声(いびき)をあげて眠っている。西郷さんの銅像も浪人戦争の遺物だ。貴方と私は同じ郷里なのですよ。鹿児島が恋しいとはお思いになりませんか。霧島山が、桜島が、城山が、熱いお茶にカルカンの甘味(おい)しい頃ですね。

貴方も私も寒そうだ。
貴方も私も貧乏だ。
昼から工場に出る。生きるは辛し。

(林芙美子『放浪記』新潮社、新潮文庫刊)

 林芙美子の『放浪記』には、筋を物語る部分がありません。貧乏女子のドロっとした生の感情が横溢するパワフルな”日記”です。

棲み処を転々とし、好きな男には裏切られ、虫ずの走る男から言い寄られる。貧困と格闘しながら、男をとっかえひっかえ、時に実母と義父が頼って来るなか、詩と文学への野心が炸裂する記述は、大正時代の女性のものではなく、現代の若者が書いた日記だとしても、まったく違和感がありません。むしろ女性の活躍が課題となっている現代において、『放浪記』は時空を超えた普遍性を獲得していて、強く訴えかけてくる力があることに驚かされます。

上記の引用は、今で言う”バイト探し”の帰りに上野公園へ寄り、西郷隆盛の銅像に向かって話しかける場面です。林芙美子は、下関の生まれですが(下関にも文学碑がある!)、桜島に本籍が置かれていました。それは、実父が認知せず、実母の兄の姪として入籍したためで、『放浪記』のタイトルはそうしたことから付けられているのです。

私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。

(林芙美子『放浪記』新潮社、新潮文庫刊)

 この感覚、ボクも故郷がないので、少し分かるのです。訳知り顔のオヤジが”人生は旅のようだ”などと若い女性に向かって陳腐な台詞を吐くことがありますが、旅とは帰る場所があるから旅なのであって、オギャアと産まれた瞬間から死へと向かう”行きっぱなし”という意味において、人生は本来”放浪”なのではないでしょうか。放浪ではあまりに淋しいから、人はどこか帰る場所をつくろうと努力するのでしょう。何者かになろうと必死になるのでしょう。会社を創業することだったり、家族をつくることであったり、もしかしたら家を買うことであったり、日常生活を楽しくする工夫だったり、帰る場所のつくり方は人それぞれ違うけれど、行きっぱなしの孤独な放浪だから、どこかに”帰る場所”を求めてしまう……。

あなたは、帰る場所を持っているでしょうか? 『放浪記』という、21歳の女性が帰る場所をつくろうとして、もがき暴れる自分を叩きつけた日記に、ボクは旅のあいだ予定を忘れて引き込まれていました。

桜島の背後から昇るご来光
宿から見えた桜島の背後から昇るご来光。稜線が美しい。こんな圧倒的な情景を、西郷さんも、林さんも、見ていたのかしらん。

さて、最後に、今回のタイトルの種明かしをしましょう。

花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき

引用元:花の命は短くて苦しきことのみ多かりきとは – コトバンク

 この二行詩は、林芙美子のものです。女性の一生を歌った詩としては、しかし、救いがないですよね。ボクも”辛気臭くてちょっとなぁ”という感じでした。ところが、最近(2009年)になって、この詩には前後のあることが発見されました。

風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
波間の鷗(かもめ)のごとく
漂渺(ひょうびょう)とたゞよひ
生きてゐる幸福は
あなたも知ってゐる
私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり

(村岡花子=『赤毛のアン』翻訳者の遺族宅で発見された林の遺稿より)

 「多かりき」で終わるのではなく、本当は「多かれど」と続いていたのです。ボクたちのチンマイ苦労など、自然はどこ吹く風で受け流し、泰然として生き続けている。少しばかり苦労が多いからって、生きなきゃ幸せを感じることもできやしない……。林芙美子は、やっぱりパワフルなのでした。

享年47。郷里の”浪人”西郷隆盛のフレーズ「敬天愛人」もそうですが、鹿児島には自然への畏怖からくる健全さを心身に持ち合わせている人が多い、というような実に手前勝手な先入観を、桜島の威容はボクに持たせてしまうのでした。

旅のお供──

  • 司馬遼太郎『翔ぶが如く』
  • 林芙美子『放浪記』
  • 庄内藩士『南洲翁遺訓』
  • 梅崎春生『桜島』

旅をした場所──

  • 城山展望台:JR鹿児島中央駅からクルマで10分
  • 西郷洞窟:城山展望台から下り徒歩5分
  • 西郷隆盛終焉の地:同じく城山展望台から下り徒歩10分
  • 上野恩賜公園:JR山手線上野駅すぐ
  • 林芙美子記念館:営団地下鉄東西線落合駅より徒歩15分

次回は、鹿児島の中心地、天文館通りを向田邦子『父の詫び状』で旅行します。

鹿子沢ヒコーキ(かのこざわひこーき)
文学で地域活性化を手伝うNPO法人の代表。表仕事は出版社で編集長。
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(イラスト:犬山ハルナ