「崎のみかんはおいしいね。また食べたい」「産業として復活してほしい」

衰退してしまったみかん産業に寄せられた、そんな声に助けられ、島の最南端の崎地区で崎みかん再生プロジェクトが発足しました。海士町役場で地産地商課の臨時職員としてこのプロジェクトに携わるのは、丹後貴視さんと、白石宗久さん。

海士町(中ノ島)に永住することを前提でIターンをしたお二人は、なぜ島で農業をする決断をしたのでしょうか。

産業になりうる予感に、魅力を感じて移住

海士町に向かうフェリー

── おふたりが海士町に移住した経緯を教えていただけますか。

白石宗久(以下、白石) もともとは京都の半導体会社に20年近く勤めていました。娘が島前高校に行きたいということで、フェリーに乗ってオープンキャンパスに来たんです。船から海を見ているとすごく綺麗で、自然が豊かな町だなあ、こんな土地で将来暮らせたらいいなあと思っていたんです。

娘は無事合格して、ぼくもその年の末に希望退職制度で会社を辞めると決心しました。じつは、もともと農家をやりたいと思っていたんです。そこで全国の自治体がブースを出している農業人フェアに行ってみると、たまたま海士町と出会って。話を聞いてみると、農業の10カ年計画が立てられていました。

今後みかん農家として自立できるよう、3年間は地域おこし協力隊として活動し、残り5年ほどで自らの生計を立てるような計画です。娘も海士町へ進学が決まったタイミングでしたから、なんだか、すごく運命を感じましたね。

崎みかん再生プロジェクト

── 丹後さんは、いかがですか。

丹後貴視(以下、丹後) ぼくは大学時代に地域政策を学んでいました。地域おこしや集落支援をテーマに卒論を書いたこともあって、海士町のことは知っていました。

でも、ぼくは結局地元で就職して働いていて。ある日、たまたまラジオを聞いていたら、海士町がみかん農家を募集することを知って、気になってネットで調べると、崎地区のみかんを再生することで地域をおこし産業にも繋げることを目指していることがわかりました。ものすごく理想が高いプロジェクトに共感して、すぐに応募したんです。いざ海士町に来てみたらすぐ面接だったので、あれよあれよという間に移住することになりました(笑)。

白石 島根県の離島の海士町でみかんっていうのが、まずインパクトがありましたよ。みかんの魅力というより、これはおもしろいことになるなっていう直感がはたらいて。産業になりうる予感に、魅力を感じました。


丹後貴視さん

自分を叱責しながら、地道にコツコツと

── 移住してから3年目ですが、Iターン移住者として暮らし始めて大変なこともたくさんあるかと思います。

丹後 地域の方々に励まされながら、コツコツと頑張ってるというのが現状です。
「崎みかん再生プロジェクト」は、すごく魅力的ですけれど、実際は農業です。毎日大変な作業を、地道に繰り返します。自然には勝てないことも多々ありますしね。農業ってなんて難しいんだろう思うことは、何度もあります。

でも、励ましてくれる町の人たちばっかりですから。実直に仕事をします。結果が出ていない今は、それしか言えないですねえ。

── 農業は結果が出るまですごく時間がかかる。それでもがんばろうって思える瞬間はどんなときですか?

白石 瀬戸内海に大崎上島(おおさきかみじま)という島があります。そこには、ぼくらと同じようにみかん農家を目指している若い人たちがいる……彼らの存在は、励みになりますね。農家は、常に不安があるんですよ。生計が立てられるか否かは、成果がでないとわからないから。

だから、同じような境遇や目標を持ってがんばる仲間が「いる」ということを実感した瞬間に、「あっ……。俺もがんばらなあかんな」って思った。自分を叱責しながら仕事をしてますよ。

永住前提で移住するのは、産業の幹を育てたいから

── 失礼を承知のうえで聞きたいのですが、海士町にはずっと住み続ける予定ですか? 海士町で修行を積み、他の地域で活かすという考え方もあると思いまして。

丹後 ぼくらは永住前提で海士町に来ています。

白石 このあいだ、町長に「(高校生3年生の)娘が卒業なんですよね」って言ったら、「娘さんは卒業やけど、お前は返さへん」って(笑)。

崎みかん再生プロジェクト

丹後 たぶん、ずっと海士町にいてくれと言われて来たのはぼくらだけなんじゃないかな。みかんの苗木を植えたら、もうずーっとそこにみかんはありますから。崎みかんは後継者がいなくて廃れてしまった産業なので、ぼくらが再び産業の幹を育てて、さらに後継者を育てていかないと。

白石 自分たちやってきたみかん栽培を、誰かに引き継いでもらって初めて、海士町でみかんが産業として成り立っていく。

島で農業を営むサンライズうづかの向山さんもおっしゃっていますが、お米農家は今、後継者がいなくてすごく困っています。海士町で崎みかんの栽培を続けていきたい。だったら自分達のためではなくて、次の世代のために考え、動いていかなきゃなりませんね。

お話をうかがったひと

丹後 貴視(たんご たかし)
島根県雲南市出身。1990年生まれ。大学では地域政策を学び、卒業後島根県内で就職。地域おこしや食に興味があり、一念発起して海士町に移住。海士町・地産地商課「崎みかん再生プロジェクト」に携わる。趣味は料理。

白石宗久さん(しらいし むねひさ)
1968年北九州で生まれる。大阪工業大学に入学。その後、電子関係で様々な知識を吸収し、大学の恩師の推薦もあり 京都の半導体製造メーカーに就職。仕事内容は、半導体(抵抗やコンデンサ、LED等)の中でも特にICを検査する装置開発に携わる。その後、娘の島留学を機に海士町へ移住。「崎みかん再生プロジェクト」をスタート。趣味は魚釣りと晩酌。地元の若者と良く釣りに行って、 釣った魚で宴会をすることで地元の若者との交流を深めている。

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