編集部が自身のこれからの暮らしを考えるために、理想の暮らし方の先輩や知識人に疑問に思っていることを学びにいく特集「ぼくらの学び」。「灯台もと暮らし」編集部・くいしんは、これまでに何度かジョブチェンジ(=異業種への転職)を経て、今に至ります。「ジョブチェンジしたっていい」「何度やり直してもいい」。そんなことを考え、確認したくて、異業種への転職経験がある方を中心に、お話をうかがっていきます。
東京のウェブデザイン&グラフィックデザイン制作会社、QUOITWORKS(クオートワークス)の代表・ムラマツヒデキさんは、高校卒業後、フリーター期間と契約社員での設計事務所の仕事を経てウェブデザイナーへの道を志します。
ウェブデザイナーを志したきっかけは、高校時代に携帯電話でネット通販をやったり、「魔法のiランド」でホームページをつくったりと、無類のインターネット好きだったから。高卒で社会に出たムラマツさんにとって、学歴不問の業界だったことも大きいそうです。また、他に選択肢がない逆境の中で選んだ道であり、最初は前向きなものではなかったとご本人は語ります。
ウェブ業界にジョブチェンジしたいひとはもちろん、ウェブ業界や様々な業界でのキャリアアップを考える方にも、大きな学びになるだろうお話をうかがえました。
(以下、ムラマツヒデキ)
高校を卒業して設計事務所で働いていた
高校を卒業して、さて就職するかと思ったのですが、高校が工業高校だったため、工場等の就職先しかなかったんですね。正直に言うと工場では働きたくない気持ちが強くて、何を血迷ったのか地元の美容室に就職したんですけど、すぐに辞めてしまったんです。今思えばそんなこともないのですが、職歴に傷がついたコンプレックスからなかなか次の就職ができないでいました。
そんな中、昔から最先端のものが好きで東京に憧れを抱いていて、よく音楽のライブにも行っていたので、刺激が欲しくて東京に行こうとお金を貯めて、地元の静岡から上京しました。
東京に来てからはテレアポや、CAD(*1)ができるからという理由で設計事務所で働いていました。工業高校出身でCADが使えたので、そのスキルを使えば時給が高いんじゃないかなと考えたんです。
(*1)CAD:建築等の設計支援ツール
建築の現場監督時代
自分のスキルを活かしてもっと稼げる仕事があるんじゃないかと思い、今度は現場監督になりました。現場監督って、CADができると給料が上乗せされることがあって。でも、新入りの現場監督って、本当に何もできないんです。実質、職人さんの手伝いをするんですけど、石膏ボードを4階まで何枚も持って上がったり、穴を掘ったり。「自分は東京に来て何をやっているんだ」って思ってしまって。
現場監督を3週間で辞めて、ひとつ前のCADの会社に「転職したんですけど、辞めてしまってですねぇ」って頭下げて。もうちょっとだけ手伝わせてもらっていいですかって社長に相談したんですよ。
心底打ちひしがれていたから、本当にかわいそうだったんでしょうね。なんとかまた雇ってもらえて。何年間もお世話になった会社に、送迎会とかやってもらって出て行ったやつが3週間で戻ってくるんですよ。自分のことながら、ちょっとおかしいですよね(笑)。
僕がその頃やっていた働き先の決め方って、まだ20代半ばだったのに、自分の持っているカードでしか勝負してないんですよね。「〇〇ができるから〇〇を活かした仕事がいいんじゃないか」と考えていました。
ポーカーでワンペアしか揃っていないのに、そのワンペアでどうやって勝とうかと考えている状態です。それじゃ勝てないですよね。ワンペアを捨てて、全部カードを取り替えないと勝てないし、勝っても最小の勝ち分しか手に入らない。当時は手元のカードを大事にしすぎて、やれることを自分で狭めていたなぁと思います。
最初は半信半疑で始めたデザインの勉強
現場監督や設計をやっているときに、僕と同様に地元から上京してきていた友だちが「ウェブ制作をやる」とチラッと言い出したんです。でも僕は「ウェブって専門学校に行かないとできないだろう」と思っていて。未経験で「デザイナー」みたいなみんなが憧れるような仕事はできないだろう、自分はまともな仕事先も見つからないのにデザイナーになれるのか?と半信半疑でした。
当時は知り合いもいなかったので、ひたすら「2ちゃんねる」で調べていたんですけど、専門学校にいかなければウェブ業界に入ることが無理だと発言するひとがとても多かったんです。「実務未経験の壁クリアするの無理」とか「即戦力しか求めてない」とか。
それでもソフトや本など買っていくうちに引っ込みがつかなくなって、やるしかない状況に追い込まれていきました。
独学しているときにとにかく思ったのが、ウェブを制作する上の必要スキルの中で「デザインってマジで難しくね?」ってことで。これは独学では無理だと感じて、実務で学ぶべきスキルなんだと感じました。
応募したのは80社。なんとか未経験でウェブ業界に潜り込む
3ヶ月勉強して就職すると決めていて、勉強するのと並行して就職先も検討していたのですが、これがまた難しくて。今もそうかもしれませんが当時は特に、未経験でウェブの世界に入ることが極めて難しかったんです。
雇う側からしたら学歴、職歴なんてどうでもいいから、「何がつくれるの?」しかないわけですよね。優しくも厳しくも何ができるのか、今までに何をつくってきたのか、それがすべて。そんな中で僕は、今思えば本当にカスみたいなサイトを一応つくって印刷して面接に持っていったんです。2ちゃんねるにも「とにかくつくったものを持っていけ」って書いてあったので(笑)。
最初は転職サイトで80件くらい応募して、全部落ちました。結果としてやっと受かった会社に入社して最初に「ウェブをやる」と言い出した友人よりも先にこの世界に入れたんですけど。入れた理由があるとしたら、腹をくくっていたことだと思います。うまくいかなかったら、地元に帰って死のうって、冗談ではなく思っていましたから。
その頃、無我夢中で最新のウェブ関連の技術系の本を読み漁ったことが幸いして、かなりコーディング(*2)に詳しくなっていて。当時ちょうど、CSS(*3)とテーブルのコーディングがちょうど切り替わるような時期で。僕は逆にCSSしか知らなかったんですね。どういうことかというと、ちょうど技術の転換期で、僕は最新の技術だけとても詳しい状況になっていたんです。
(*2)コーディング:プログラミング言語でデザインをウェブサイトのデータにしていく作業
(*3)CSS:カスケーディング・スタイルシートの略。サイト内のテキストの配色や表や線の枠の太さなどを調整・指定するもの
実力社会ではひとつの会社で飼い慣らされると、取り返しのつかないことになりかねない
1社目に入ったときは、音楽を聴きながら仕事ができて、素晴らしい仕事だなって素直に思いました。文化的な若者が多くて、スーツや作業服の年配者に囲まれて仕事をするのが当たり前だった自分としては、カルチャーギャップが大きかったんです。ただ、未経験でもできる部署に入れられたので、スキルアップするのが難しかったんですね。
ウェブのデザイナーは、新規でサイトを0からデザインすることをメインに行うひともいれば、俗にいうインハウスと呼ばれるひとつのサイトを育てていくような仕事もあります。どちらも価値ある仕事です。どちらも大事ですが、独学では難しいと感じた「デザイン」というスキルを伸ばすには、サイト全体のデザイン、いわゆるトップページのグランドデザインを作る経験を数多く積み上げる必要がありました。だから、更新をメインにやっている会社でそのスキルを伸ばすのは難しく、トップページのデザインをできる環境への転職をしようと考えるようになりました。
ひとつの会社にずっといるのは楽です。続ければ続けるほどその会社で認められ、ポジションが確立され、社歴でいうと社内のメンバーの多くが後輩になり、環境がよくなっていく。ただ、自分の市場価値で見たときに、ひとつの会社で飼い慣らされ、業務経験の幅の狭いひとは、実力社会では市場価値は低いと個人的には思います。もちろん、必ずしもそうとは限りませんが、僕は転職によってスキルを伸ばしたことはたしかです。
自分のやりたいデザインができなかったら転職を繰り返すしかない。ウェブサイトにとって一番重要な、トップページのデザインをやれる場所を探し続けるしかないんです。
次に業務がすごくハードな会社に入りました。コンペの案を山ほどつくって、新規でたくさんのサイトをつくりました。僕のキャリアの中でよかったのは、この会社で仕事に対する考え方が変わったことですね。
もともとは「デザインスキルを伸ばして食いっぱぐれないようになりたい」という考え方だったのですが、コンペに勝ったり、デザインの参考サイトに載ったりすることで評価される嬉しさを知り、取り憑かれたようによいデザインによって評価される喜びを渇望するようになっていきました。
その頃、仕事帰りの電車で「早く休みたい」とか「次の給料日にこれが欲しい」ではなく、「自分の子どものように想う、妥協なく、つくり込んだサイトを、早く公開してみんなに見て欲しい」と思っている自分に気づいたことを今でも覚えています。
1番入りたい会社に入社できたのにすぐに退社
3社目は今までと違い、一番入りたい会社に入社することができました。問い合わせフォームに入社したい作文を書いて送り、ポートフォリオサイトを徹底的につくり込みました。紙でも、A3サイズで印刷して5,000円くらいかけてポートフォリオをつくって。考えられることを全部やったら受かってしまって。最初は80社でやっと受かったのに、3社目はそこしか受けてないんですよ? 正直、動揺しました(笑)。
一番入りたい会社だったのですが、案外合わないもので1年に満たず辞めてしまいました。一番入りたい会社に入ってみて「イメージと違った」という経験があると、それが足かせになってしまってどの会社も転職する気持ちがあまり起きなくなってしまうもので、そのあとフリーランスになり、法人化して今に至ります。
独学だってデザイナーになれる
最初は独学でデザイナーになんてなれっこない、なれるわけがないだろうと考えていましたが、なれることを自分で証明しました。ウェブデザイナーなら、高卒でも平均年収を超えることもできます。
これって本やネットで見た遠い世界のことではなく、現実にそういうひとに会って、受け入れられるか、受け入れられないかの違いだと思うんですよ。
「S5-Style」というデザインギャラリーサイトを運営している、田渕将吾さんという尊敬するデザイナーの方がいるのですが、僕の場合は田渕さんに出会えて話を聞かせてもらったことが、現実として「自分にもできる」と思える要因になった気がします。僕が運営している「MUUUUU.ORG(ムーオルグ)」というサイトは、田渕さんがギャラリーサイトを運営していたので僕もつくらなければと思ってつくったものです。
いろいろ偉そうなことも言いましたが、なんだかんだ言って、これまでなんとかなったのは、いつも支えてくれている妻のおかげだと思います。周りのひとに助けられて今があるのは、当たり前かもしれませんが、とても大きいです。
お話をうかがったひと
ムラマツ ヒデキ
2007年から都内webプロダクション数社にて、大規模企業サイト、プロモーションサイト、ECサイトなど、多岐に渡るウェブサイト制作を行い2013年フリーランスへ転向。2015年に法人化、株式会社QUOITWORKS(クオートワークス)を設立。
プライベートワークとしてwebデザインギャラリー「MUUUUU.ORG」の運営を行う。
最近の制作物は「NBRC(New Balance Run Club)」「週末仙台」「沖縄戦全記録」「AIR JAM 2016特番サイト」など。
これからの暮らしを考えるために【ぼくらの学び】特集、はじめます。
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