文学の舞台を訪ねる。作品に出てくる料理を作る。作家の暮らした街へ行く。”文学を旅行する”と目からウロコの連続です──。連載・チェストいけ!文学旅行【鹿児島編】第4回は、戦後文学の傑作、梅崎春生『幻化』で、薩摩半島の南西にある坊津(ぼうのつ)を旅します。しかし、どうやらヒコーキ氏はこの小説を読んだことがないようです。……いったい、どんな旅になるのでしょうか? とても心配です。(文/NPO文学旅行 鹿子沢ヒコーキ)

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 天文館の宿。フロントでもらった観光ガイド。何か文学関係はないものか、目を皿にしていると、梅崎春生文学碑なるものがありました。

うめざきはるお……? う~ん、恥ずかしながら、読んだこと、ありません。そういえば、向田邦子に会うため、かごしま近代文学館へ行った際、隣にいたような……。

 場所を確認すると、坊津(ぼうのつ)とあります。薩摩半島の東南、指宿から226号線を西へ、鰹の水揚げ量が日本一の枕崎を過ぎて、さらに西へ行き、半島の西端を北へ上ると、そこが坊津でした。

耳取峠から観た開聞岳
耳取峠から望む開聞岳(かいもんだけ)。海岸線が枕崎。その向こうが大隅半島だ。

 文学旅行とはいえ、知らない作家の、それも文学碑を見に行くために、はるばる九州の南西端まで行く物好きがいるだろうか。ボクは迷いました。それより、せっかく鹿児島に来ているのだから、枕崎で大好きな鰹を、わら焼きのたたきで……などと浮かれた気持ちがなかったわけでもないのです。

 しかし、ガイドの先を読んでいくと、こんなことも書かれています。「坊津は海岸近くに小さな島々が点在して大きな船が着きにくく、かつては島津藩の密貿易の港として使われていた地です」。これはおもしろい。鰹のたたきは諦め、密貿易という怪しい響きに惹かれて、ボクは坊津へ行ったのでした。

 現地へ向かう前に、かごしま近代文学館に問い合わせてみました。すると、こんな返事が返ってきました。

「梅崎春生という作家や作品は、ゆかりの深い鹿児島でも今はもうあまり知られてないかもしれませんね」

 いったいこの旅は、どうなるのでしょうか……。

枕崎の漁港
『幻化』では、枕崎の鰹漁は下降線をたどり、不景気として描かれているが、50年後の今も鰹節の生産量では日本一である。

 通称“さつま海道”を使い、耳取峠を上下していくと、やがて南さつま市役所坊津支所の平屋建てが現れてきました。駐車場にクルマを停めて誰かいないか中へ進みます。

「このあたりに梅崎春生の文学碑があると聞いたんですが……」

「ああ、それなら、目の前ですよ」

 大きなマスクをした職員さんが外にまで出て、こんもりした森を指さしてくれました。そこは小高い丘のようになっていて、先のほうには碧い海が広がっています。行けば、ほどなくして切り立った崖になっているだろうと思われるような丘でした。

「近辺には、ほかに文学ゆかりのモノやコトはないでしょうか」

「(坊津歴史資料センター)輝津館(きしんかん)に絵がありますよ」。職員は少し考えてから言葉を継ぎました。

「ダチュラですね」

「ダ……何ですか?」

「冥府の花です」

──ダチュラ。洋名をエンゼルトランペット、和名を朝鮮朝顔と言います。この大ぶりの花を題材にした『幻化よりダチュラ追憶』という日本画が輝津館にありました。同館が2004年にリニューアルしたのを機に、梅崎春生の奥様・恵津夫人が自筆の絵を寄贈したものです。

 それは、二人にとってダチュラがとても美しい思い出となっていることが見て取れる絵画でした。120号という大きなカンバスには、真ん中に一人の女性が横座りをして坊津の海を思慕しています。女性の右上からは、幾つもの白いダチュラが大きな花弁を垂らしていました。

輝津館ファサード
坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)。入館料は大人300円。坊津には、鑑真和上の上陸した秋目浦があることから、仏教関連の資料が充実しているほか、民俗資料などが展示されている。

 帰京して梅崎春生の『幻化』を読み、ボクは猛烈に感動しました。

そして、案内をしてくれた職員が「冥府の花」と言ったのには訳があることを知りました。ダチュラは『幻化』の中で、そう表現されているのです。幻覚作用があるので、どこか魔性を感じさせる花ではありますが……。

ダチュラ
東南アジアが原産のダチュラは、密貿易船によってその種子が運ばれてきて、鹿児島で自生するようになったのだろう、と『幻化』の登場人物が語る。

 『幻化』には他にも、死を連想させるギミックがちりばめられていました。

例えば、蒼海に屹立する名勝・双(雙)剣石などは「まるで墓標の形」だと表現されています。坊津の双剣石は、安藤広重の浮世絵にも描かれるほど江戸時代から有名な景勝地です。それを「墓標」とは、あんまりでしょう。『幻化』の梅崎の手に掛かれば、美しい岬も鴉(からす)の鳴き声がやまぬ場所になり、旅館の部屋も「棺桶のような」空間になります。この旅館は、密貿易に使われていた屋敷を旅館にしているため、壁の裏側に隠し部屋があったり、障子の裏には何もなかったり、取り締まりから逃れるための仕掛けが施されている建物でした。

 このように『幻化』には、死への連想と坊津という土地が積み重ねてきた時間の記憶が書き込まれています。それは主人公である五郎が戦争時に赴任していた各地を、20年後に訪れるという物語の骨格と無縁ではありません。

 戦争中、暗号通信兵だった五郎は、坊津の海岸で部下とともに航空用のアルコールをこっそりと飲みに行きます。そこで福という名の部下が酔い、双剣石まで泳ごうと言い出し、海に入ってしまいます。福は翌朝、水死体となって岸に打ち上げられたところを発見されます。死因は心臓麻痺でした。葬儀では棺の中いっぱいに匂いの強いダチュラが満たされます。

 主人公の隣には常に死があります。しかし、その描写は時にユーモラスで、どこかとぼけた味を持っており、作品を立体的に演出します。一見対立する要素を並立させるギミックの効果を知り尽くした文章だと言えるでしょう。坊津の壮絶なほど碧い海と死の対比がそれですし、とぼけた味わいの文章表現に対置される虚無がそれです。坊津の美しさは、確かに殺伐とした世界観に呼応するには見事すぎるほどの対立がありました。

双(雙)剣石

「梅崎春生という作家は、どういう人だったのでしょうか」

「ニヒリストに尽きるかと思います」

 ボクの無知な質問に、かごしま近代文学館の吉村弥依子さんは、丁寧に応えてくれました。梅崎春生は、戦後日本の虚無を代表する作家だとされているようです。しかし、その人となりを知らない無知とは怖いモノです。ボクの読んだ『幻化』は、むしろ生への希求を感じさせるものだったからです。

 梅崎春生の文学碑には、こう刻まれています。

「人生 幻化に似たり」

 この一文は小説の中にはなく、陶淵明(とうえんめい=5世紀の中国の詩人)による詩の一節です。“幻化”という熟語は、仏教者である吉田兼好の徒然草にも出てくる用語で、問題はその読みです。辞書には「げんけ」とありますが、仏教用語では「げんげ」と読ませ、この小説のタイトルでは「げんか」になるのです。前出の吉村さんが教えてくれました。かごしま近代文学館が主催した講演会で、恵津夫人が小説は「げんか」と読むと証言され、確定したとのこと。

 読みの問題はともあれ、その意味は、大辞泉によると「すべての事物には実体のないことのたとえ」です。そこで、ボクが言いたいのは、人生が幻化に似ているならば、それは虚無(ニヒル)主義と同義と言ってもいいだろう、ということです。

文学碑
初夏だったこともあり、周囲は草木が生い茂り、森のようになっていた。

 幻化と虚無と。いずれも、この世には信ずべき実体などないとする態度であるならば、この小説は最後のところで180度の転換をします。

 物語の最後は、こうです。

 舞台は、坊津から吹上浜を通り、熊本県阿蘇に移ります。ここで主人公の五郎は、旅の最初に知り合った映画配給のセールスマンと偶然再会します。セールマンは自分が阿蘇山の火口に身を投げて自殺するかどうか賭けをしようと五郎に持ちかけます。生きる意欲を失って自殺を迷っているこのセールスマンは、五郎の分身です。生き抜くための確たる軸を持てず、かといって死ぬ勇気もない、不安定な存在なのです。考えてみれば、ボクなども同じようなものですが……。

 火口の淵をふらふらと歩き、ともすると死へ落ちそうになるセールスマンの姿を望遠鏡で見つめながら、五郎はある言葉を叫びます。その叫びは、ボクの耳に“ニヒルになってはいけない”と聞こえるのです。

 虚無(ニヒル)を抱いて、生きる意欲も理由も見いだせず緩慢な死を持つ自分。同時にそういう自分を否定して叱咤激励するもう一人の自分。小説の最後になってボクの心情は、叱咤激励するほうにありました。ニヒルになってはいけないのだ、という側に。

 どういう結果になるか心配された坊津への旅は、忘れられつつある作家を知る貴重な機会となりました。壮絶なまでに碧い海を目の前にして、こんな旅は文学旅行にしかできないな、という思いを強くしました。この美しい岬を体験しに、皆さんもぜひ一度、坊津へ旅行されんことを。

 誠に、誠に。

今秋に発売予定の単行本『ニッポン文学遺産(仮)』の取材のため、本連載は今回をもって最終回とさせていただきます。ご愛顧いただき、誠にありがとうございました。またいつの日かお目に掛かれんことを。
鹿子沢ヒコーキ 拝

旅のお供──

  • 梅崎春生『幻化』
  • ダチュラ(朝鮮朝顔)

旅をした場所──坊津(国の名勝指定)

  • 南さつま市・歴史資料センター 輝津館
  • 梅崎春生文学碑
  • 双剣石
  • 密貿易屋敷(倉浜荘)

この記事を書いた人

鹿子沢ヒコーキ(かのこざわひこーき)
文学で地域活性化を手伝うNPO法人の代表。表仕事は出版社で編集長。公式サイトはこちら、公式Facebookはこちら