ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。
夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。
確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。
自由に生きていい。そう言われても、
「どう生きればいいの?」
「このままでいいのかな。」
「枠にはめられたくない。」
私たちの悩みは尽きない。
選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。
ほら、今も細腕が店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……
連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」
今晩のゲストは、フード・ケータリング「MOMOE(ももえ)」の稲垣晴代(いながき はるよ)さんです。
***
── こんばんは、いらっしゃい。あら、あなたごはんの香りがするのね。
稲垣 こんばんは。え、ごはんの香り……します?
── うん、するわ。お仕事は何を?
稲垣 「MOMOE」という名前で、料理に関する仕事をしています。最近は、料理研究家としてのお仕事よりも、イベントや企業ランチ、ウェディングパーティーなどのフード・ケータリングのお仕事をいただくことが多いです。
コンセプトは「からだも”おいしい”ごはん、つくります」。お野菜は自然栽培、有機栽培のもののみで、化学調味料も使わないのがこだわり。味や、色、香りを楽しんでもらえるように、食べていただく方の笑顔を想いながら、毎日ごはんを作っています。
── 「MOMOE」、雑誌で見たことがあるわ。あれはあなたが作っているのね。……どうりで、ごはんの香りがするわけだわ。
稲垣 そうですか?(笑)。でも、「『MOMOE』と言えばおむすびだよね」と友達に言われてから、そういえばお米については意識するようになりましたね。お米は基本的に、島根県の「海士町産あいがもこしひかり」を使っているのですが、私は「おにぎり」ではなく「おむすび」と呼びたいと思っているんです。
── どうして?
稲垣 ごはんで人のご縁を「結びたい」から。
多い時は、1日で100人分以上の食事を作るのですが、基本的には「おむすび」をメニューに含めたいと思っていて。「おむすび」を握るときは、「さぁ今日も、みなさんの胃袋を掴んでくるんだよ。いってらっしゃい」とひっそりと願いを込めたりしています。
── ふぅん……。「MOMOE」、ね。ウチのお店はスナックだけど、ごはんも美味しいのよ。でも、あなたにお出しするのはちょっとためらっちゃうわね、プロだもの。でも、負けないわ。
まずは、いちじくと梨のスムージィを作ったから、ゆっくりとお飲みなさい。あなたのまっすぐな眼と、言葉に興味があるの。夜は長いわ。もう少し、2人で話しましょう。
鮮やかな食材を使って、真っ白いキャンバスに絵を描く
── 以前、写真で見て思ったのだけれど「MOMOE」のごはんは、とてもきれいね。
稲垣 ありがとうございます。うれしいです。フード・ケータリングは、オーダーをいただいたお客様のもとに、お食事やドリンクを運ぶというお仕事なのですが、私の場合は、木箱に入れてお届けするスタイルを基本にしています。……って、じつはこれ、お餅を持ち運ぶときなんかに用いる餅箱なんですけれど。
「おいしい!」と思っていただくのはもちろんですが、蓋を開けたときに「わぁっ」という声が上がる瞬間も、じつはとっても好き。真っ白いキャンバスにゼロから絵を描くように、お野菜や、エディブルフラワー(*1)などの自然の色味を活かして、目でも美味しいごはんが作りたいと思っています。
(*1)エディブルフラワー:食用の花のこと
── 絵を描くように。
稲垣 そうですね。お弁当の場合は、わっぱ飯風に、丸いお弁当箱にごはんを敷き詰めて、その上にお惣菜を並べていく「のっけ弁当」方式で作っています。ごはんって、生きていくことの基本だと思うんです。体にいいものは、目にもやさしくて、心にもやさしい。
もっと自由に、もっと楽しく。一生料理をするにはどうすればいい?
── 「MOMOE」を始めたきっかけって、なぁに?
稲垣 なんでだったっけなぁ。たしか、最初は気軽な感じで「フード・ケータリングって、なんだか楽しそう」と友達と一緒に始めたのがきっかけでした。「MOMOE」という名前も、じつはその時に一緒に組んだ友達の名前だったりするんです(笑)。
……でも一番の理由は、結婚と出産を経て、「一生料理を続けていくためにはどうすればいいだろう」と立ち止まって考えたことがあったから、かな。良くも悪くも1人で仕事ができるのがフード・ケータリングだから、時間をコントロールすることも、どこか飲食店に勤めたり開業したりするよりも、自由にできるかなと思って。
── ……あら、あなたは仕事をする一人の女性であると同時に、お母さんでも、あるのね。
稲垣 はい。「MOMOE」の名前ができたのが10年ほど前。産休という形で数年お休みをとって、今のスタイルに落ち着いたのが、3年くらい前の話です。最近は自宅の近くにアトリエを構えて、日曜日はお休みの日と決めて家庭と仕事のバランスを取るように、少しずつ生活を整えているところ。仕事はもちろん楽しいけれど、仕事をしているだけでは、心が枯れていってしまうから。
── あなたにも、心と体のバランスが取れないと感じる時期が、あったのね?
稲垣 子どもと過ごす時間を作りたくて始めた「MOMOE」のフード・ケータリングスタイルだったのに、仕事と真面目に向き合えば向き合うほど、家族と過ごす時間がなくなっていく。アトリエで料理を作っている時間にも、子どもは一刻一刻と成長していく。それをそばで見ていられないもどかしさで、しんどいなぁと思う時期はありましたね。
── ふぅん。今は、楽しくやれている?
稲垣 そうですね。幸い子どもも料理が好きみたいで、一緒にアトリエに来て仕事をしたり。
── 幸せね。
稲垣 ふふ(笑)。あとは、もともと家庭のことだけじゃなくて、採算に縛られずに、本当にお客様に喜んでもらえる料理がしたいという気持ちも強かったので、今みたいに、一人ひとりのお客様の要望やテーマに合わせて食材が作れるスタイルは、本当に楽しいなぁと。新しい食材を見つけるたびに、「これはどうやって調理したら喜んでもらえるだろう」と想像して、にやにやしちゃうくらいで(笑)。
── 料理が、好きなのね。
稲垣 好きですね。うん、大好き。
「料理なんて嫌い」まさか私が料理の道に進むとは
── 料理を仕事にしたいというのは、小さい頃からの夢だったの?
稲垣 いえ……じつは小さい頃は、料理が嫌いだったんです(笑)。食事はお母さんが作ってくれるもの、くらいの意識で、結婚もしたくなかったし地元の愛知県を出る未来も描いていなかった。
── 何か、気持ちが変わるきっかけがあったのね?
稲垣 最初は、友達に誘われたから、だったかなぁ。地元を出たのも、そういえば友達に誘われたから、だったし。
── そうなの? どこかで聞いた話ね。
稲垣 私、結構周りに流されて進路を選んできたタイプなんです(笑)。もとから、「これがやりたい!」と強く思うものもなかくて。何か決断をするときは、より楽しそうな方を選んできました。料理の魅力にも偶然出会ったようなものです。
── ふぅん。
稲垣 友達に誘われて踏み出した料理の道だったけれど、20代前半に東京に出てきて、料理の専門学校に通いながら調理師の免許を取って、フレンチの店で修行して、青山で飲食店の店長をして、目黒でまた勉強をしながら働いて……。と、どんどん食事をつくることの楽しさに、のめり込んでいきました。
でも、楽しさに気が付く一方で、やっぱり料理もビジネスだから、採算を考えなければいけなかったり、体に本当にいいものを使うことができなかったり。あとは、私が20代の頃は、まだシェフの世界は男の人が活躍する世界だったから、体力勝負で朝から晩まで働きづめでした。
働くことは嫌いじゃないし、今もたくさん働いていることに変わりはないけれど、でもやっぱり質が違う。時間を浪費している感覚は今はないし、むしろ限られた時間だからこそ、仕事も、家庭も、子育ても、割振りがうまくできるのかなとすら思います。
さっきも少し言ったように、一生料理を続けるためにはどうすればいいだろうと考えた結果、辿り着いたのが「MOMOE」だったから。うん、よかったな。これからも、ずっと料理の仕事を続けていけたら、いいなぁ。
私が変われば、周りも変わる
── いい道にたどり着くことができたのね。そういえば、結婚なんてしないと思っていたのに、なぜ若くして結婚することを決めたのかしら?
稲垣 パートナーがいるって、安心感があっていいなぁって、思うようになったんです。1人でいるといろいろなことを考え過ぎてしまうのですが、誰かがそばにいてくれると、会話ができるし、聞いてもらうことで昇華できることも多いなと気が付いたので。
── たしかに結婚をすると、独り身の時とは違う安心感が得られることがある。……逆に、わずらわしいと感じる時もあるけれどね。
稲垣 はは(笑)。でも、いいこともたくさんですよね。
今の生活は夫の協力があってこそ成立するものだなぁと思うことも、多いですし。「MOMOE」を始めた頃と今では、夫の、私の仕事への理解も変わりました。たぶんそれは、アトリエを構えると決めたことが大きかったんだろうなぁって。「場所を持つ」って、ある意味で私にとっては一生仕事を続けていく、という大きな覚悟を改めてすることでもあったから。きっとそれを感じ取ってくれて。
── いいパートナーね。人を変えることは難しいけれど、自分を変えることは、できるから。恋愛や結婚、出産は、あなたの人生にとってプラスに働いてくれたのね。
稲垣 そうですね。でも、私だけじゃなくて、みんなそうだと思いますよ。恋をしていた方が、仕事も楽しく感じられる。今は、子どもに恋をしていますが(笑)。
── ……たまには、旦那にも愛を注ぎなさいね。泣いちゃうわよ。
今は、「MOMOE」をもう少し大きくしたいと思う
── これからやりたいことは、ある?
稲垣 さっきも言ったけれど、やっといろいろなことのバランスが取れるようになって、これからのことを考える余裕も出てきました。パートナーはもちろん、周りに支えてくださる方がたくさんいるからできている暮らしだなって、ありがたさを噛み締めながら、毎日を過ごしています。
そうしたら、もう少し「MOMOE」を大きくしたいなと考えるようにもなりました。今までは「ずっと『MOMOE』を続けていけたらいいな」と思うくらいだったのですが……。
私は、少人数のお客様にそれぞれのテーマや要望に合わせたごはんを提供することを大切にしてきたから、どうしてもシステマチックな生産ができないんです。でも、「MOMOE」を始めた当初と違って、今は一緒に働いてくれる人もいるから、その人たちがもっと働きやすいようにしたいなという気持ちが芽生えてきて。
稲垣 お客様からも、「メニューはお任せで」と言われることも増えてきたから、基本メニューを作って、オプションでその他を追加したり、ベジタリアンの方向けにアレンジしたりと、工夫できるような形にできたら、もっといいのかなと思ったりもしますし。
だから、これからは「MOMOE」の法人化も考えていけたらなって。
── いいわね。守るものが増えると、できることも増えるもの。大切に思う人が増えれば、人生も豊かになる。その分、悩むこともたくさんあるけど、それは幸せなことだったと、後から振り返ってきっと思えるわ。
【かぐや姫の胸の内】いつか月に帰ってしまうとしても
── たくさん話したわね。最後に1つだけ聞かせて。かぐや姫は月に帰ってしまった……。もし明日、月に帰らなければいけないとしたら、あなたはどうする?
稲垣 ……子どもと思いっきり遊びたいですね! 仕事は放り出して(笑)。思う存分、ずっと。娘は同性だから、一緒にいるのが楽しくって。
── ちなみに、そこに旦那さんは……?
稲垣 いてくれたら、うれしいかな。やっぱり家族は、大好きですから。
── ふぅん。いいわね。次に会うときは、あなたのごはんを食べたいわ。縁を結びたいという「おむすび」を、たくさん食べてみたい。でも、今夜はこれ以上遅くなってはいけないわ。あなたには、大切な家族が待っているもの。気をつけてお帰りなさい。そして、またすぐに遊びに来なさいな。
— 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 —
(トップ画像、一部画像提供:MOMOE)
お話をうかがったひと
稲垣 晴代(いながき はるよ)
調理師学校卒業後、フレンチレストラン勤務。カフェ料理長ののち2005年にフード・ケータリングユニットMOMOEを結成。化学調味料を使わす無農薬野菜を使った彩り鮮やかなお弁当が、健康と美に敏感なモデルやマスコミ関係者に人気。多い日は200人分のケータリングやお弁当を作ることがあるそう。著書に「常備菜のっけ弁当」(宝島社)「サラダみたいに作る、楽しむピクルス&マリネ」(グラフィック社)
「MOMOE」からだも“おいしい”ごはん、つくります
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