地域のリアルな暮らしを、現地で暮らす人たちに聞いてみたい──そんな想いから、地域おこし協力隊の皆さんにお話をうかがう企画。島の魅力を余すことなく語ってくれた奥野真人さんは、北海道の焼尻島(やぎしりとう)で暮らしています。実際に暮らし始めるくらい島を大好きになった原点は、フラストレーションを募らせた高校の野球部時代と、大学時代に所属していたユースホステル部での経験にあると言います。
Q1:自己紹介
奥野真人(おくのまさと)です。北海道の日本海側に浮かぶ島「焼尻島」(北海道苫前郡羽幌町)で、地域おこし協力隊として活動しています。2015年7月現在、任期としては、1年7ヶ月目を迎えました。
Q2:取り組んでいる活動
これまで:地域に慣れること、島の産業に参加、定住手段を模索
- 【1年目:地域に慣れることに主眼を置いた活動】
島内イベント(サフォークまつり、その他)のお手伝い、婚活事業の企画・運営、島内配布の新聞作成、デイサービス訪問などをしていました。
- 【2年目:島の産業に参加しつつ、定住のための手段を模索する活動】
冬は海藻ついて学ぶため、採集・加工など実践的に取り組みました。現在は、夏に観光で来島されるお客さんを相手に、島を案内するフィールドガイドの取り組みを始めました。
また、協力隊の業務外活動として、今年4月に設立したばかりの「一般社団法人やぎしり振興計画」の活動、島の漁協の仕事のお手伝い、焼尻消防団の活動などに取り組んでいます。
人口の少ない焼尻島において、行事のお手伝いや運営に関わることは非常に大切です。しかし、それだけでは食べていけないのも事実。具体的な産業に関わっていくとしても、厳しい冬の時期も含めて通年で働ける仕事は、ほぼありません。それらを踏まえて、複数の仕事に関わっていかなくてはならないと思っています。
一般社団法人やぎしり振興計画って?
今年4月、島民の若手有志の6人で設立した島おこし法人です。将来を見据えた島おこしに繋げるべく、現在の焼尻が抱える課題に向き合い、具体的な振興活動をしていこうと設立した組織です。活動内容は、(1)空き家改修・移住定住促進、(2)観光振興、(3)情報発信の、3つの事業を掲げています。
焼尻島の場合は、島おこしをしようにも、移住者を受け入れる住宅、仕事が整備されていないため、新たに「雇用を生むこと」も「移住者を募ること」もできません。そのため、まずは島の空き家を改修することから始めようとしています。他にも、島の課題である観光振興と情報発信を法人の活動として掲げています。
現在は5名のメンバーそれぞれが、本業の傍らで取り組んでいる状況です。法人活動自体はまだまだ活動が鈍く、今後の課題は山積みです。とはいえ、焼尻島の地域おこし協力隊は1人しかおらず、できることも限られています。こうした志を同じくする仲間がいることは非常に心強いです。
これから:島で稼ぐための手段を模索
今後は、現在取り組んでいる活動を深めていくことが第一です。その上で、島で稼ぐための手段の模索、自分が定住するための住宅の整備、島外の支援者と一緒に焼尻島の情報を発信するホームページ作成などを考えています。
地域おこし協力隊の業務時間内で実際に稼ぐことはできませんが、「稼ぐ一歩手前までの準備」を心がけています。上述した海藻採集であれば「売る手前」、7月から取り組む島内観光案内では、「いずれお金をいただけるように」という意識で取り組んでいます。実際にどれだけの収入、儲けがあれば、この島で満足に暮らしていけるか……具体的な計算をするようになりました。
また、今年から副業の許可が降りるようになり、漁業関係の副業で報酬をいただいています。お金を稼ぐことが第一ではありませんが、お金がないとそもそも島で暮らしていけません。まずは島の産業に貢献し、少しでもお金をいただくことが大事だと思っています。ある程度経験を積んで土台ができたら、もっと発展的な仕事を仕掛けていく意識にシフトしていきたいです!
いつか:島をテーマにさまざまな企画を実現したい
いつかやりたいことはたくさんあります。
- 島を舞台とした交流ワークショップの開催(空き家改修、ものづくりなど)
- 島の展望スポット「工兵街道」で音楽祭
- 島の特産品をウェブ媒体で販売(ECサイト)
- 近隣の町村からチームを招聘してのソフトボール大会
- コーヒーに合う「焼尻島ならではのお茶菓子」開発
- 一度島に遊びに来てくれた友達に、別の手段でもう一度楽しんでもらう
- 雪に足をとられて動けなくなった車の救出
- 全国の島々が集まる祭典「アイランダー」のイベントステージに出場
- DIYで2段ベッド作成
- うに漁
Q3:島を好きになった理由
1:フラストレーションの溜まる野球部生活を経験
高校時代、部員数が120人超の野球部に所属していました。甲子園にあと1〜2歩及ばない程度の学校だったので、チーム自体はそこそこ強く、ひとつのポジションを10人以上で争うようなチーム。僕は野球の実力は微妙だったのですが、「試合の記録付け(スコアラー)」という役職で不本意にも1軍入りしてしまい、それほど試合に出ないにも関わらず精鋭メンバーに帯同して、各地へ遠征に出掛けていました。東へ行っても西へ行っても、「行くだけ」。1軍という最前線で戦えたのは刺激的でしたが、その一方で、フラストレーションの溜まる野球部生活でもありました。
2:全国各地を旅して歩き「山もあり、海もある」美味しさを島に知る
大学では、そんな高校時代の反動か、行った先々で楽しめるような部活に入りたいと思い、全国各地を旅して歩く部活「ユースホステル部」に入部。野球部のように、実力いかんで不平等な事態が起こることもなく、「やりたいことはやったもん勝ち」みたいな風潮が心地よかったのを覚えています。
そして、その部活で最初に訪れたのが屋久島(2005年8月)でした。部の先輩に引き連れられて屋久島を貧乏旅行すると言ってしまえばそれまでですが、宮之浦岳登山では飯ごうでメシを炊き、山小屋に泊まりながらの縦走。ようやく下山すると、地元の温泉に入って郷土料理に舌鼓し、絶景のテントサイトでテント泊をしました。そして翌日は、日本の滝百選にも選ばれた「大川の滝」に圧倒され、さらに翌日はウミガメが産卵するという浜で海水浴を楽しみました。
……と、高校時代には味わえなかったような「足を運んだ先々での楽しみ」が次から次へと押し寄せてきたのです。これは、何とも言えない感動を覚えました。同時に、この「山もあり、海もある」美味しさは、島だからこそではないか?と、ふと感じたわけです。
その仮説を確かめるべく、屋久島の翌年(2006年8月)は奄美大島、沖永良部島、与論島へと行きましたが、ここでまた衝撃。ここで巡った3島も、前年の屋久島も、どれも同じ鹿児島の島でありながら、雰囲気、自然、歴史、特産品と、何から何まで全然違うわけです。奄美大島のマングローブパークで見たハブが印象的でしたが、次に訪れた沖永良部島ではハブは一匹もいないと聞きました。しかし沖永良部島には全国有数の鍾乳洞があり、これまた圧巻。緑濃い奄美大島とはまた違ったインパクトがありました。そして最後に訪れた与論島は、それまでの2島の雰囲気から一転白い砂浜が広がるリゾートアイランドという印象。
一度の旅なのに、何度も美味しい。奄美群島巡りでした。島巡りに目覚めた瞬間があったとすれば、この年の奄美群島だったと思います。
3:『SHIMADAS』を読み込むうちに出会った焼尻島
この次に訪れた(2007年3月)小笠原諸島の宿が決定打となり、「いつか島で宿がやりたい」と思い始めます。またこの小笠原諸島の宿で、他のお客さんから『SHIMADAS』という、日本離島センターが発行している全国の島々のデータを掲載した辞典を教えてもらいました。この『SHIMADAS』は北海道から沖縄までの島々が順に載っていまして、読めば読むほどハマってしまったのです。
手前のページから礼文島、利尻島……と読み始め 3島目と4島目に、焼尻島、天売島と2つの知らない島が出てきました。これが僕と焼尻島との出会いです(笑)。そして、僕は名前も知らなかった島々へ対する好奇心から、焼尻島、天売島への旅を企画。部の後輩たちを連れて焼尻島を訪れました。その後も島旅に興じ、結果的に、これまで全国70ほどの島々を旅して歩いています。
「野球部時代、遠征先に行くだけで何もできなかった」という経験がなければ、もしかしたら、島好きにはなっていなかったかもしれません。
Q4:地域おこし協力隊を始めたきっかけ
きっかけは、前職のウェブライター時代に鹿児島県の人口約140人の口永良部島(くちのえらぶじま)を取材した時です。
取材をしたのは、島へ単身で移住し、自分の暮らし(社団法人代表、牛飼い、集落の役員、消防団員、温泉の管理、運送会社でのアルバイト)から島おこしまで、幅広く活動していた山地竜馬さん。山地さんの言葉はひとつひとつに重みがあり、限界離島の最先端で活動することの現実を生々しく見ることができました。
しかし、それだけ重みのある取材だったにも関わらず、僕がそれを記事にすると、どうにも薄っぺらい。これなら本人の言葉を、そのまま記事にしたほうがいいとさえ思いました(もちろん、僕のライターとしての技量も未熟だったと思います)。
そのため、外から見て取材をする人間の言葉より、現場で活動する本人の言葉のほうがよっぽど“伝える力”があると思うようになりました。ならば、山地さんのように、実際に現場に行って何かできないか。そんなことを考えていた時、かつて訪れた焼尻島の協力隊の求人を見つけたので、思い切って応募するに至りました。
Q5:地域暮らしの魅力
「島の誇り」みたいなものを感じられること
島暮らしのなかで、ふと島に対する愛着を耳にすることがあります。たとえば、「朝は漁に出て、昼は土木で働いて。あの道路は俺が作ったんだぜ」なんて言うジジ(おじいちゃん)。体調を崩して島の外の病院に行っても、治ったら必ず島に戻ってきて「この島じゃないと暮らせねぇ」と笑うババ(おばあちゃん)。「なんだかんだで焼尻島が好きなんだよね」と口にする島生まれの人たち。まわりの人たちがこのように語る島に住めているのが、僕にとっての魅力かもしれません。
現在、焼尻島の人口は約220人です。人口が多かった時代で2,700人ほどいたそうなので、10分の1以下に減ってしまったことになります。ですので、大げさに言ってしまえば、「今の焼尻島を知っているのは世界で220人しかいない」。
僕は、「その220人のうちの1人」みたいな感覚があります。お陰さまで都市部へ観光PRに赴く機会や、今回のようなウェブ媒体で島について語る機会をいただいています。ただ単純に人が少ないから、たまたま僕に回ってくるだけかもしれません。でも、非常にありがたいことだと思っています。
Q6:心に残る地域体験
イベントの運営に主体的に関わった「サフォークまつり」
焼尻島名産・サフォーク種のめん羊肉を、より多くの観光客に楽しんでもらおうというイ焼尻島にて年に1度行われる「めん羊祭り」イベントなのですが、2014年は運営母体が島民若手有志に移り、「サフォークまつり」と名を変えて開催されることになりました。
当時、まだ移住半年にも満たない僕でしたが、約10名の実行委員会に加わっての活動ですから、誰かに頼ってばかりもいられません。会社勤めのころは、上司が決めたことに従っていればよかったものの、この島ではそうはいかない。自分で全体を見て組み立て、人に協力を仰ぎ、その後の対応まで責任を持っておこなう必要がありました。今となっては、「仕事とはそういうもの」と思えるのですが、「サフォークまつり」はそれを学ぶ初めての機会だったと思います。
人口約220人、若い島民も数えるほどしかいない焼尻島なので、「何をやるにしても受身では成立しない」と学びました。
Q7:町のおもしろい人たち
- 焼尻高齢者支援センターに通うお年寄りの皆さま
今のところ、高齢者支援センターに通っているお年寄りは全員女性なのですが、まるで孫のように面倒を見てくれます。畑のあまり物をおすそ分けしてくれたり、女性の落とし方をレクチャーしてくれたり。今のところ、「女なんて後ろからガバッといっちゃいなさい」というアドバイスは実践できずにいます(笑)。
- 同世代:永山あいさん(羽幌町地域おこし協力隊・市街地区担当)
羽幌町(はぼろちょう)においては島の対岸、市街地区担当の協力隊仲間です。社交性が高く、焼尻、天売両島の人たちと関わりを持っていることもあってか、羽幌町全体を意識した客観的な意見を言ってくれます。自分の島のことに一本調子になりがちな両島の島民にとって、目の覚めるような意見も多いのではないでしょうか。少なくとも僕はハッとさせられることが多いです。
Q8:地域での失敗談
「溝があったらハマり隊」と呼ばれるハメに
趣味のプランター栽培に使う土を取るために、足場の悪い場所へ行った結果、車が側溝にハマってしまったこと。10数名の島民に助けられることになった挙句、予定していた会議にも遅れてしまいました。その後しばらく「溝があったらハマり隊」と呼ばれるハメに。
Q9:地域の課題
1:「島の魅力」をめん羊に頼りすぎている
焼尻島といえば、スコットランドを思わせる高原風景の中でのんびりと暮らす、めん羊が名物です。たしかに風景そのものはとても魅力的ですし、めん羊肉は「幻のサフォークラム」と言われるほどの高級品。焼尻島の代名詞的な扱いで、あらゆる媒体に、このめん羊が掲載されます。
ですが、他の地域資源だとオンコ原生林が挙がるくらいです。それら以外のものが焼尻島の魅力として挙がることは、ほとんどありません。これがとても寂しいです。
僕がここで断言しておきますと、歴史に、花に、野鳥に、魚に、海藻に……と、他にも見てほしい魅力はたくさんあります。ただ、それらはあまり具体化されていない。だからせっかく島に来てくれる人がいても、その魅力を伝える機会が設けられていないのが現状です。既存の地域資源が魅力的なのはもちろんですが、そこから先の「焼尻島の奥行き」を魅せられるようになれば、この島をもっと楽しんでもらえると思っています。
2:一部離島ゆえ(?)の市街地との温度差
焼尻島の特色として、隣島の天売島とともに「羽幌町の一部離島」という位置づけがあります。行政機能の中心は対岸の市街地にあり、離島2島は市街地とはまったく違う性質。客観視した時、何とも言えない温度差を感じてしまいます。
たとえば市街地エリアで暮らしている人が「島の現状や課題」を知る機会は少ないですし、逆に島の現状を一番理解しているはずの島民が、諸問題を行政任せにしがちな部分も否めません。
人口の減り続ける島で、地域おこしに主体的に関われる人はそう多くありません。だからこそ、解決策を提示できるわけではなくとも、僕のような立場の人間がもっと支援をお願いできるよう、声をあげていかなくてはならない気がします。
Q10:好きな地域のごはんは「焼き肉」
「焼き肉」の定義はいろいろあると思いますが、島の焼き肉は炭火を起こすバーベキュースタイル。5~6月になると、「そろそろ焼き肉の季節だね」なんて声が聞こえてきます。
焼き肉はジンギスカンと豚肉が基本。さらに旬の魚介類や野菜を贅沢に焼いちゃいます。旬のものが旨いのは当然ながら、豚肉を塩コショウでシンプルに食べるだけでも抜群に旨い。屋外のすがすがしさも相まって、楽しく酔えるはず!(僕はお酒を飲めませんが……。)
Q11:ウェブでは知れない地域のこと
数え始めるとキリがありません。焼尻島といえば「めん羊の島」というイメージが強いものの、それ以外にも発信したい情報はいくらでもあります。そういった魅力を直に伝えられるよう、島の魅力を「地域資源カード」にまとめながら日々勉強中です。
焼尻島の情報サイトも個人的にひっそりと作成中ですが、目指す部分はサイトの充実ではなく、直接ご来島いただけるような仕組みづくり。実際に来ていただいた方へ、島の魅力の濃い部分をお伝えできるようになれれば……と思っています。その足がかりとして、今年の夏より島内を案内するガイド活動を試験的に始めました。
もうひとつは「過疎高齢化がある程度進行し、社会的共同生活が維持できなくなり始めている現状」でしょうか。学校の存続が危ぶまれ、それまで催されてきた行事の数も減っていますが、そうした実情を島民の口から聞く機会はなかなかありません。
島の課題を話すこと自体、いち島民としてはとても勇気が要ります。しかし、この島が直面している厳しさを広く知っていただき、積極的に島外からの支援を得ていかない限り、島おこしは進まないように思います。
Q12:尊敬している町の人
- 高松亮輔さん(漁師、一般社団法人やぎしり振興計画副代表)
本業は漁師さんですが、「ふるさとを残したい」という想いから、地域おこしの活動にも精力的。おそらく焼尻島の将来について誰よりも深く考え、具体的に行動している人だと思います。本当に本業は漁師なの?と思うくらい、あらゆる分野で高いスキルと見識を持つ方ですが、その裏にある地道な積み重ねを非常に大切にされており、できないことをできないままにしない人です。焼尻島の面白さ、漁師の仕事の奥深さ、一番旨いカニの食べ方、弾き語りの醍醐味、小嶋陽菜の魅力……など教わりました。
- 中田チエさん(元中田燃料店店主)
焼尻島に嫁ぎ、ご自身も起業して島で燃料店を営んだ経験を持つパワフルなババ。今でも軽トラを乗りこなし、あっちこっちへ出掛けている姿を目にします。お年寄りとは思えないほど快活。僕も、中田さんのように80歳を過ぎて「今が青春」と言えるような人生でありたいと思います。
- 野越左市さん(漁師)
93歳にして「生涯現役」を公言する漁師さん。「海に出ないと調子が狂う」という言葉は、長い年月をかけて仕事に取り組んできたからこそでしょうか。僕がその日その瞬間に感じている苦労なんて、野越さんから見れば、取るに足らないことなのだろうと思わされます。
Q13:注目している地域おこし協力隊
じつは、過去に『灯台もと暮らし』に掲載された方々は全員注目しています! その他にも、こんな素敵な方たちがいます。
- 福川諒さん(長崎県北松浦郡小値賀町)
焼尻島の地域おこし協力隊に決まる前、僕の住みたい島の最有力候補だったのが小値賀島でした。しかし、そのとき既に小値賀島の協力隊は始動しており、募集終了の求人を指をくわえながら眺めた記憶があります(笑)。
小値賀島は全国の島々が注目する離島振興先進地。そこで活動されている福川さんは、空き家対策問題に取り組まれています。将来はゲストハウスの開業を目指しているとのことで、ブログなどからも熱い雰囲気が伝わってきます。空き家対策問題は、焼尻島も同様に抱えている課題。色々と勉強させてもらっています。
- 磯崎香保里さん(千葉県館山市)
地域おこし協力隊を志すにあたり、全国各地の「現場」を実際に訪れたバイタリティあふれる人。僕のブログ記事がきっかけ(?)で焼尻島にも来てくださったので、その後の動向に注目していました。そして最近、館山市の協力隊に着任されたとうかがいました。陰ながら応援しています。実際に「動く」ことで次の視野が拡がっていきますよね。迎える側だった僕のほうが勉強させられました。
- 小西晴香さん(北海道天塩郡遠別町)
同級生。兵庫県の同じ大学、同じ学部、同じ学科、同じゼミでした。昨年3月に「地域おこし協力隊って仕事に興味があるんだけど……」と相談されたので「やってみたら?」と答えたところ、後日、本当に協力隊になってしまいました。若干責任を感じています(笑)。
Q14:各地で動く「地域おこし協力隊」からも質問タイム!
鹿児島県の東シナ海にある離島、下甑島で活動している関美穂子さんから
Q:私は島外に出た時、島では食べられないエスニック料理を食べることと、大きな本屋さんに行くことがいつも楽しみです。奥野さんは、焼尻島から出たら必ずすることはありますか?
A:僕はケンタッキーが大好きなので、ケンタッキーには必ず行きます。あと、スーパーマーケットとコンビニに行くのが楽しいですね。食品とかお菓子の新商品をチェックするのが好きです。
Q:奥野さんのブログを読んでいると、同じ離島でも異なる魅力があってワクワクします。南の島から来た人に、焼尻島で体験して欲しいこと、奥野さんが南の島に行ったら体験したいことは何ですか?
A:焼尻島で体験して欲しいことは、「集団作業の時の島民の行動の早さ」ですね。僕自身、南の島々で長期滞在をしたことがあるのですが、南の人たちの集団作業は概ねのんびりしたイメージがあります。ところが、同じイメージで北の島・焼尻島に住んでみるとびっくり。何をやるにしても妙に素早い印象があります。全国の島々の祭典「アイランダー」で、北海道の島々の“異常な撤収の早さ”を見て、そのイメージは確信に変わりました(笑)。
南の島で体験したいことは、月並みですが、海で泳いで星を観たいですね。南の島に限らなければ、マンツーマンで島を案内されてみたいです。
立場上、焼尻島でも来た人を案内する機会が増えたせいか、島の暮らしを「楽しんでもらう方法」ってヤツを考えるようになりました。特に、焼尻島は一見して「何もない」と評されがちな島なので、自分の中の引き出しをなるべく多くしておきたいという想いもあります。そういうわけで、ほかの島の人たちはどういう風に自分が住む島を案内するのかが気になります。
長野市戸隠地区で活動をしている栗原健さんから
Q:離島で一人暮らしの男子って、寂しい時はありませんか? 同世代の男性として、なかなか気になります。
A:正直、寂しいと感じることは少ないです。今の特殊な立場上(?)、SNSや仕事で声をかけられることが増えたので、移住前より人にかまって貰える機会が多くなりました。ただ、日常的に会うような人は数少ない島民に限られるので、そういった意味では寂しいところもありますね(同世代が数えるほどしかいないですしね)。
Q:海に飽きることはありませんか?
A:日常風景の一部なので、「飽きる」と考えたことはないですね(笑)。僕は基本的に意識散漫(良くいえば好奇心旺盛)ですし、海だけに執着していないからかもしれません。その代わり、海は厳しい側面があります。冬時期は欠航率が高まるので、町からなかなか島に戻れない時もあるんですよ。島に帰れない日数分、町での宿泊費がかかるのが辛いです。
Q15:地域おこし協力隊への応募を考えている人へ
「甘い考え」上等で、一歩踏み出そう
地域おこし協力隊になる前から、そしてなってからもよく言われるのが、「そんなに甘くないよ」という話。何をやるにしても「甘くないよ」と忠告してくれる人がいるのです。
事実、協力隊になってからというもの、物事が思い通りにいったためしがありません。毎度毎度、想定外の試練に打ちのめされ、「考えが甘かったぁ」と反省する日々です。たぶん、これからもそんなことを繰り返すと思います(笑)。
ですが、ひとつ言えるのは、考えが甘かろうとなんだろうと、動かないことには何も変わらないということ。「考えが甘いからやめておく」「考えが甘いから動かない」では、何も変わらないことだけは間違いありません。むしろ「地域おこし」という目線でいうと、何もしないことは右肩下がりだと思います。特に協力隊になる人の大半が、行政の仕組みも地域の事情も深く知らずに飛び込む形になるはずです。何をやるにしても素人からのスタートで、学ぶことだらけです。
「甘い考え」上等で、とりあえず動いてみることのほうが大切だと思います。僕自身、島で宿もやりたいし、副業で冬の海藻採集や夏のガイド業もやりたい。なんなら、さらに少しずつ漁業にも関わっていきたい。……この考えが甘いのは百も承知ですけれど(笑)。
お話をうかがった人
奥野 真人(おくの まさと)
1986年10月6日生まれ。兵庫県尼崎市出身。関西学院大学社会学部卒。後、食品メーカー営業職、再度1年の学生期間を経て、IT系企業へ転職、ウェブライターを務めた。2014年1月から羽幌町地域おこし協力隊(焼尻地区)に着任。奥野真人個人ブログ『島で生きる -20代後半、離島に移住しちゃいました。-』を運営中。
【地域おこし協力隊】の記事はこちら
- 暮らしと本音を知りたくて。【地域おこし協力隊】への15の質問、始めます。
- 【地域おこし協力隊】長野市戸隠地区のリアルな暮らし |栗原健
- 【地域おこし協力隊】山形県大鳥地区のリアルな暮らし |田口比呂貴
- 【地域おこし協力隊】鹿児島県・下甑島のリアルな暮らし|関美穂子
- 【地域おこし協力隊】その土地で起業する気で行くほうが絶対楽しい|牧貴士
- 【地域おこし協力隊】地元を越えて応援できる文化を創り、恩返しをしたい|青森県弘前市・下田翼
- 【地域おこし協力隊】島好きがたどり着いた人口220人の島|北海道焼尻島・奥野真人
- 【地域おこし協力隊】県内No.1の限界集落のPR隊長・村澤雄大|長野県天龍村
- 【地域おこし協力隊】長崎県小値賀島に300軒以上ある空家を活かしたい。島と人をつなぐゲストハウスを|福川諒
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