昨年の終わりごろ、我が家である話し合いがおこなわれた。「子育て」についてだった。
それからは子育てを自分のこととして考えるようになったが、「ワンオペ育児は大変だ」というような、親たちの悲鳴が聞こえてくるようにもなった。
いつしか、子育てを恐れる自分がいることに気がついた。わからないものへの恐怖心なのかもしれない。
じっさいのところ、育児の只中にいる親はどんなことを想っているのだろう?
そして、これから子育てをしようとする人は、どんな準備をしていけばいいのだろう。
子育てをしている当事者が、どんな気持ちで保育をしているのか、知ることができるものにしたいと思っている。たったいま保育に関わる人たちの気持ちがまだまだ語られていないように思うからだ。
企画を考えはじめると、話を伺いたい子育て実践者の顔がすぐに浮かんできた。福島県昭和村特集をご一緒したライターの中條美咲さんは、昨年長男を出産したばかり。
ドイツで暮らしているフードスタイリストの島崎ともよさんは、子どもも喜びそうなレシピ配信をしながら、ご自身のメディアで日々さまざまな人とのやりとりをしている。
中條さんには、妊娠から出産してまもなく直面したこと。島崎さんには、子育てをはじめて直面したこと、それをどう受け止めて、どんなアクションを起こしてきたのか。いわば奮闘記ともいえるお話をうかがった。
子育てをはじめて、直面したこと
中條美咲さん
ライター。日本の風土に根付いたものづくりや暮らしのリサーチを重ねる。「灯台もと暮らし」での福島県大沼郡昭和村特集をきっかけに同村の広報物の製作・イベント企画。工芸メーカーが集う団体の広報活動や書籍のテキスト編集等を行う。2019年10月に長男を出産。
妊娠中に感じた、冷たさとは
昨年10月に長男を里帰り出産し、現在は神奈川県に家族三人で暮らしている中條さんが「辛かったことも多々あった」と話すのは、出産後よりも妊娠中だったと言う。
中條「思い込みかもしれないですけど、日本に比べて海外のほうが妊婦さんや赤ちゃん連れの親子に対して社会的にやさしいイメージがあります。一概には言えませんが、妊娠中は居心地の悪さを感じることが何度かあったので。
当時は、マタニティマークを付けるのもとまどいました。こわい思いをしたという書き込みをネットで目にしたこともあり、何かあったら嫌だなと思いながらもマークを付けて生活をはじめました。
妊娠中って、全てがはじめてのことで精神的にも不安定になりやすいんです。だから、ちょっとした思いやりの言葉や気遣いだけで嬉しくて泣きそうになったり、その逆もあって。もうすぐ臨月というときに、印象的な出来事がありました。
混み合う電車内で三列シートの前に立ったとき、目の前には若者・中年・老齢の男性が3人座っていたんですけど、一様に無関心で。席を譲るか譲らない以前に、見て見ぬ振りを決め込んでいるような姿には冷たさを感じました」
冷たさという言葉を聞いたときに、立場の弱い人が感じる痛みに似ていると思った。
中條「妊娠中から、国内の虐待件数が増えていることが気になっていました。男性の育児参加が増えているとはいえ、まだまだ孤立育児を強いられるお母さんも多く、周囲の無関心や社会と断絶していることが虐待の原因の一つとして考えられます。
だから、虐待とその背景にあるものに対して社会全体で目を向けるべきだと思うようになりました。社会の抱える歪みと痛みは、いちばん弱い立場の子どもたちに集中しているように思います」
僕が住んでいるドイツでは、子育てをしていて痛みを感じることはあるのだろうか。ドイツの首都ベルリンで5歳の長女と、2歳の長男、パートナーと家族4人で暮らすフードスタイリストの島崎ともよさんはこう言う。
島崎「私が日常的に見ているところでは、ベルリンの人たちは自分の想いを素直に口に出しているように思います。
席を譲ってほしい妊婦さんは、『私、お腹が大きいから席を譲って!』と自分で声をかけていますね。妊婦さんに限らず身体の悪い人や年配の方もそうですが、日本人は察して欲しいけど、ドイツでは自分の意思を口に出す。それは大きな違いだと思います」
島崎ともよさん
フードスタイリスト。病気がきっかけで食生活をがらりと変え、ナチュラルでシンプルな食事を作るようになる。自身のレシピ配信のため「LifeとFood」というWEBサイトを夫婦で立ち上げる。2018年春、3歳と生後3ヶ月の子ども2人を連れて、家族で生活の拠点をドイツ・ベルリンへ。レシピをはじめ、ドイツでの暮らしや子どもの教育について配信中。
異国での子育ては苦労が多いのではないかと想像していたが、島崎さんはドイツで暮らす2年間を振り返り、「子育てをしていて肩身が狭い思いをしたことがない」と言う。
島崎「ドイツでは、駅のエレベーターがよく故障しているんです(笑)。重いベビーカーを持って階段を登らなければならなくて、どうしよう?って困る時があるんですが、階段にベビーカーが差し掛かると、いつも必ず誰かが声をかけてくれます。全身タトゥーのお兄さんだったり、ビシッと決めたビジネスマンだったり、女性もそう」
ドイツで暮らす人たちは子連れのお母さんやファミリーに対してやさしいと島崎さんは感じているそうだ。隣人に手を貸す文化が根付いているのはなぜだろう?
島崎「長女が幼稚園に入園したとき、同じクラスには2歳半の子から6歳の子までいたんです。ドイツは幼稚園から世代の異なる子と育つから、弱い子には手を差し伸べるのが当たり前のこととして身についているのかもしれないですね」
仕事をやめることは、立ち位置を見失うことだった
島崎さんは6年前に都内の助産院で長女を出産し、その3年後に長男を出産。2018年に家族でドイツに移住した。2人の子を育て始める前までは、大手ホテルやチョコレートメーカーのブランディングの仕事をしてきた。それまで仕事第一だった島崎さんが子育てをはじめてから直面したのは、仕事ができないことに対する喪失感だったという。
島崎「自分の立ち位置というか、存在価値がなくなったように感じてすごく辛かったんです」
現代を生きる人にとって、仕事は自分を測るひとつのモノサシにもなる。仕事を辞めて子育てに専念するということは、「自分は何者なのか?」「自分の存在意義はなにか?」という、自己を社会の中に位置づける問いかけに対して、明確に答えられなくするきっかけになるのかもしれない。
中條さんも出産して間もなく、子育てに多くの時間を割くことによって、社会との関係が失われつつあることに戸惑うようになったという。
中條「まる一日家族としか会話しないことが当たり前で、社会と断絶しているなぁと感じていて。出産してからしばらくすると、社会との関わりがなさすぎて不安になってくるんですよ。
その後のコロナ禍でこの状態が平常になってしまいましたが、これからどうやって関係性を取り戻すんだろうと。もはや関係を取り戻すよりも、子どもがいることによって社会とつながっていく方法を新たに考えていきたいですね」
自分を取り巻く世界が、家族だけ、学校だけ、会社だけ、と一つに閉ざされていると感じるとき、息苦しさを感じたことがぼくもある。
社会のなかでの立ち位置の喪失と、つながり方の模索。これらの想いは親であるおふたりに共通している。
子育てしながら、社会とつながる
島崎さんの再スタートのきっかけは、子育てと夫の仕事のサポートしながら、かねてからやりたいと想い続けてきたナチュラルでシンプルな食のレシピ配信を始めたこと。
島崎「現実問題、夫は生活のために仕事をしてくれていたので、一から仕事を生み出そうとしている私が『かわりに育児をして欲しい』と夫に言える状況ではありませんでした。
この5年間、睡眠時間を削ってでもひたすら食の発信をやってこれたのは、自分の仕事をつくるため。社会のなかに立ち位置を見いだせないことが、私にとってほんとうに辛いことだったんだと思います」
子育て、夫の仕事のサポート、食の発信を続けていた島崎さんのターニングポイントはドイツ移住だった。
無関心だった夫が、子育てを自分ごととして考えるようになった理由
島崎「今では家のことをなんでもしてくれる夫ですが、日本にいた頃からできたわけではなかったんです。だから私としては、ドイツありがとう!って感謝しています」
島崎さんの夫は、ドイツに移住してから子育てを自分ごととして考えるようになった。その理由について、島崎さんは周囲の環境に依るのではないかと言う。
島崎「ドイツは男性の育児参加率がすごく高いんです。毎日キッチンの窓から外を見ると、洗濯物を干しているのはお父さんだし、抱っこ紐を付けてベビーカーを押して道を歩いているのもお父さん。
うちは幼稚園の送りだけは夫婦でしていますが、子どもを送ってくる8割は男性です。幼稚園に来ているお父さんたちを見ていると、言うことを聞かない子ども、ぐずって泣いている子どもに四苦八苦してるんですよ。
そんな周りの姿を見て、ここにもがんばってるお父さんがいるんだ!俺もやらなきゃ!って思ったんじゃないかと(笑)」
ドイツに住むようになった僕が印象的だったことも、ベビーカーを押したお父さん同士が昼間に井戸端会議をしている光景。ベビーカーを押したり、日中子どもと遊んだりしている男性を日常的に見かける。
島崎「この人はいつ仕事しているんだろう?って、幼稚園の送り迎えでよく思う男性はいっぱいいて。彼らに聞いてみたら、育休を取っているということでした。奥さんとずらして育休を取っている人もいて、旦那さんがまるっと育児家事をこなしている姿には驚きました。
ベルリンは夫婦共働きも多いんです。女性だけでなく、時短で働いている男性も多いそう。フルタイムで働く息子と同じクラスのご夫婦は、奥さんが朝の6時から昼の3時まで、旦那さんは9時から18時まで働いているから、朝は旦那さんが子どもを送ってから出勤する。奥さんは仕事が終わってから子どもを迎えに行く。そうやって育児のバランスをとっていると聞きました」
大切なのは、誰かに頼ることではなく、夫婦のチームワーク
こうした環境の変化が、島崎さんのその後の暮らしにも大きな影響を与えた。
島崎「あるとき夫が、私の時間をつくるために提案してくれたんです。早朝から昼まで彼の仕事の時間で、その後は育児を交代する。だから私はお昼以降は雑務や仕事をできるようになりました。
夫は自分で育児をするようになって子守をする大変さを知っているから、こういう提案してくれたのだと思います」
島崎さんは一日中子どもとだけ向き合っていると、疲れて、ストレスを感じてしまう性格だという。それまでは「自分は悪いお母さんなのではないか」「普通だったら子どもとたのしく遊べるはずなのに、それができない」と悩んでいた。
しかしながら、息抜きするジブン時間をつくることによって、長年抱えていたストレスと仕事への喪失感が次第に解消されていった。
島崎「食のレシピ配信も夫婦の共同プロジェクトとして本腰を入れられるようになりました」
時間をつくり、社会との繋がり方を模索する島崎さんの話を聞いた中條さんは「育児では親族や友人に頼ることを含めても、夫婦のチームワークがいちばん大切ではないか」と語る。
中條「なによりも、パートナーとチームワークが取れているとうまくいくんでしょうね。逆に言えば、チームの足並みが揃わないと、すごく大変になってしまうのかなと。
今回の新型コロナウイルスがきっかけとなって、より積極的に家事や育児に関わり、分担する意識を高めたお父さんも増えているように感じています。見方を変えると、何かきっかけがないと男性が育児に関与しづらい社会だったのかもしれない。女性側はパートナーをうまく巻き込んでいく必要があるのだなと直感しています。褒めて育てるじゃないけれど(笑)」
編集後記
妊娠から保育中の母親がどんなことを想っているのか、その一面をお二人に伺うことができた。そして、ぼくが子育てを恐れる背景には時間がなくなるのではないかという不安があることにも気がついた。
パートナーと二人で子育てすれば、どちらかが保育している時には、仕事をしたり一人の時間をもつことができる。もちろん、これを実現するには在宅勤務や育児休暇といった環境づくりは欠かせないだろう。
それでも子育てを始めると「社会は冷たい」「立ち位置を失って辛い」とパートナーは感じるかもしれない。その根っこには、育児そのものやパートナーに対する無関心さが隠れているのではないだろうか。だから、時間をつくる提案を習慣化していこうと思う。いまからチームで足並みを揃える準備をしていれば、きっと子育てもやっていけるだろう。
文 / 小松﨑拓郎
写真提供 / 中條美咲、島崎ともよ
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