海士町の中心地である中里地区に位置する、島のお宿「なかむら」と併設の居酒屋「紺屋(こうや)」。島内で知らない人はいないと言われるほどの有名人・4代目のご主人の中村徹也さんは、海士町生まれ、海士町育ち。島に2つしかないという伝統ある旅館の跡継ぎながら、ミュージシャンへの夢が捨てきれず、両親と話し合って島を出たのが15歳、約25年前のことでした。
紆余曲折を経て島に戻り、宿を継ぐことを決めてから早7年。現在は地元の人と移住者をつなぐ橋渡し役を担う、中村さんの想いを聞きました。
■参考:【島根県海士町】を旅するなら必ず泊まりたい!島のお宿「なかむら」&居酒屋「紺屋」
とにかく音楽が好きだった
15歳で島を出てからは、東京、大阪、島根の松江に住みながら主に料理に携わる仕事をしてきました。俺は、ずっとミュージシャンになりたくて。だから、飲食店で働ききながらミュージシャン育成学校に通って、プロダクション契約をして、年間最高52本のライブをしていたこともあります。と言っても、奈良の山奥の盆踊りとか芸人さんのイベントで歌ったりとか、いろいろだったけど。
……でも夢だったから、どんなにキツくてもすごく楽しんでやってた。良く言えば夢を追っていて、悪く言えば、どっちつかずの暮らしをしてたんだと思う。
いつか憧れのミュージシャンと一緒のステージに立ちたいと願いながら、都会で暮らすこと約18年。そのまま音楽活動を続けることもできたかもしれないけれど、親父と「いつかは島に帰ってくる」と約束していたこともあって、結局は海士町に戻ることを決めました。
不本意の帰郷。でも居心地はよかった
都会で独立することが夢だったから、故郷である海士町に帰ってきたのは不本意でもあった。でも、いろいろな街で飲食店の経営に携わってきたから、開業の大変さや店を維持する難しさ、そして箱(旅館)がすでにあることのありがたさやもったいなさも、どこかで感じていました。
だから島で暮らすにつれて、気持ちは「どうやって宿を運営していこう?」「この場所の役割は?」ということを真面目に考える、前向きな方向へ。
もちろん、島に帰ってきてよかったと思うこともたくさんありましたよ。やっぱり島は故郷だし、俺は海士町が好きなんだと感じました。友だちもいるし、小さい頃から遊びまわっていた地元のことは、地理も仕組みもよくわかっているし。帰ってきたとき、みんなあったかく迎えてくれたしね。ひねくれた性格の俺でも、すんなりと島の雰囲気に溶け込むことができました。
「でも、移住者の人はどうなんだろう?」
俺は地元出身者だから上手くいった。でも「じゃあそうではない、夢を持って移住してきてくれるいわゆるIターンの人たちはどうなんだろう?」と、ふと思ったことがあったんです。
島で暮らすことは、予想以上にしんどい時があるんです。一日誰とも顔を合わさずに暮らすことは難しいし、島の中で噂が回るのは早い。エスカレーターなんてほぼないし、俺でさえ、たまには信号を渡りたい衝動にかられることがあるんだよ(笑)。冗談だけどさ。
……言葉が悪いかもしれないけれど、誰かが軽はずみに流した「自然に囲まれたのどかな離島で、スローな生活!」なんて謳い文句が作り出してしまう夢だけを追って、島に拠点を移した人は、住んでから直面する現実に辛くなることがあるんです。
それは、自分が一度島を出た身だから感じることでもあるし、旅館と居酒屋の主人として、カウンター越しにたくさんの人を見てきたからこそ感じられる現実でもある。
「この島には、迎える文化が根付いている!」なんて言われることもあるけれど、俺個人としては「見送る回数」の方が多いんだよ。新しい人を何度も迎えても、出て行ってしまう人はいる。
それは、旅館だからでもあるんだけど、居酒屋にはたくさんの地元の人が来てくれていて、Iターンの人と地元の人が最初に出会う場所でもありたいと思って、自分なりに人のマッチングみたいなことも頑張ってきてみたから、その意味でも、一生懸命迎えても迎えても、やっぱり島を出て行ってしまう人は、出て行ってしまうんだよね。
楽しい思い出と楽しめる居場所が、島と人をつなぎとめていく
人は、もしかしたら寂しい時に動いてしまうものかもしれないよねぇ。うん、きっと人は、寂しくなったら、島を出て行ってしまう。
でも俺みたいに、島を出た先で寂しくなって、また島に戻ってくる人もいる。それはUターンに限らずIターンや移住者でも同じことは起こり得ると思っていて。海士町ではない所に故郷があるけど、でも「海士町に帰ろう」と思って再び訪れてくれる人。
だから俺は、途中から「寂しくならない楽しさ作り」、もしくは「寂しくなったときに心の拠り所となるような楽しい思い出作り」の手伝いができないかって考え始めたんだよね。島の中で、楽しめる居場所だとか、思い出だとかを作ってもらって、移住者の人が寂しくならないようにしたかった。あとは島を出た人が寂しくなった時、ふと思い出して海士町を「帰りたい場所」と思ってくれるような仕組み作りができたらいいんじゃないかと思ったんだ。
今、俺が取り組んでいる諸々のことの始まりは、たぶんそこ。
主催している「音つなぎ 隠岐島前 アコースティックフェスティバル 2015」も朝市も、ライブも宿のバックパッカープランも、島で暮らす人みんなに同じように楽しめることを見つけてもらいたいと思って。年中無休でこの宿を運営しているけれど、ここには毎晩たくさんの人が来てくれる。Iターンの人が来たら地元の人を紹介する。次の日から「おはよう」って挨拶ができる人が少しずつでも増えていけば、そう広くない島なんだ、ぐっと馴染みやすくなるだろう。
500円ランチを始めたのも、じつはIターンとか、都会の暮らしを知っているUターンの人のため。都会では簡単にランチを食べられるけど、この島では飲食店が少なくて気軽に食べられないから。1,000円だと毎日は厳しいでしょ。だから、財布に優しい金額で気軽に寄れる場所をね、作ってみたいなと思ってさ。
旅館と酒場は、憩いの場所。いろんな人が交差できる「場」だからこそ、人と人をつなぐことがしたいよね。
いつか海士町の「見送りの文化」を変えたい
……って、すごいかっこよく聞こえるかもしれないけど、俺はそんなんじゃないから。結局全部後付で、自分が楽しむことを、すんごい大切にしてる。適当だし、気まぐれだし。「音つなぎ 隠岐島前 アコースティックフェスティバル 2015」だって、自分の昔の夢が捨てきれなくて考えたことでもあるし。
あ、そういえば昔の「憧れのミュージシャンと一緒の舞台に立ちたい」って夢も、島に戻ってから、結局「音つなぎ 隠岐島前 アコースティックフェスティバル 2015」の場で叶ったんですよ。うれしかったね。……あ、だからこの記事も、すごいいい人みたいにカッコよく書くのは、やめてほしいな、できれば。
ついでに、ひとつだけ自慢と愚痴を言わせてもらってもいいかな? 自慢は、海士には地元の人とIターンの人の両方が来てくれる店って、じつはそんなに多くないってこと。すごいよね、うれしいよね。で、愚痴の方は、Iターンが来る店は地元の人に少し敬遠されてしまう時があるってこと。俺も、伝統ある旅館の面汚しだとかなんだとか言われて、ちょっと傷ついたこともあるよ。
やっぱり、どうしても、見送る文化は悲しいんです。せっかく島に来てくれたなら、みんな楽しくやっていきたい。
小さい頃に年に2回、映画の上映会があったのね。俺、それがすごい好きで楽しかったんですよ。そんな感じの、それぞれの島で暮らす楽しみを見つける手伝いができたらいいよね。繰り返しになるけれど。だから俺も、できることを少しずつ、やっていきたい。
……なんて思って生きてます。もういい? 俺、店があるから忙しいんだよ。また島に来てよね、じゃあはい、また。
(一部写真提供:島のお宿「なかむら」)
お話をうかがった人
中村 徹也(なかむら てつや)
1974年生まれ。高校卒業後証券会社に勤めるも、兄に誘われ料理の道へ。修行しながらもミュージシャンの夢を捨てきれず都落ち。飲食店新規店舗の立上げ、等に関わり帰島。現在はたくさんのイベントを妻とともに作り、地域活性化の影の活躍をしている。
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