宮崎県の小林市街地に佇む元蕎麦屋を改装した洋食レストラン。Kokoya de kobayashi(ここやっど小林)では、小林の食材をふんだんに使った極上のフランス料理が、ワインや焼酎と一緒に楽しめます。
今年(2018年)の5月、小林の食と農の魅力を再定義し発信していく「シェフ・パトロナージュプログラム」の発信店としてオープンした、Kokoya de kobayashi。オーナーを務めるのは、元公邸料理人であり大阪では行列のできるレストラン「赤白(こうはく)」の取締役をされていた地井潤さん。
大使館など、公的な会合で食事を振る舞う“公邸料理人”は、「食」という切り口で各国のVIPに外交をする仕事と言っても、言い過ぎなことはないと思います。
公邸料理人を欧州3カ国で務めていた頃の地井さんは、食べるひとにとってより馴染みがありかつそのひとの好奇心も叶えるための料理を提供するため、「和と洋のコラボ」を心がけます。そして、生まれ育った大阪に戻って来てからもおなじ精神で「フレンチおでん」や「フレンチお好み焼き」など人気メニューを生み出してきました。
確かな腕前と創意工夫、そして料理を提供するひとへの思いやりを忘れない料理人・地井さんに、Kokoya de kobayashiを開くことになった経緯を伺っていくと、やがて小林の食の魅力、地井さんが料理人人生の中で得た食への豊かな考え方が見えてきます。
地井 潤(ちい じゅん)
大阪府出身。幼少の頃から料理人を志し、フランスやオーストリア、スイスの日本大使館で公邸料理人を経験後、外務大臣表彰を受賞。フレンチ風鉄板料理とワインの店「赤白(こうはく)」を運営する株式会社サンテグループの取締役兼総料理長に就任したのち、2018年に食と農の魅力創生事業 「Chef Patronage Programme(シェフ パトロナージュ プログラム)」の一環として小林市にKokoya de kobayashiをオープン。
テロワールを意識したフレンチ
── Kokoya de kobayashi(ここやっど小林)の由来について教えてください。
地井潤(以下、地井) 「ここやっど」というのは、この地域で使われている西諸弁で「ここだよ」という意味なんです。ここで小林の食を楽しんでほしいという思いと、もともと「ここや」というフレーズを店名に入れたいという思いから名付けました。
「ここや」というのは、自分が大阪にいた頃に母が営んでいたお好み焼き屋の名前なんです。昔からお店をやるなら「ここや」を屋号にしたいとずっと思っていて、それが小林でやることになったので、こっちの表現と掛け合わせて「ここやっど」に。
「de」を「ど」と読むのは、フランス語。ここがフレンチを楽しむお店というコンセプトなのと、自分のルーツがフレンチなので、あえてフランス語を入れました。
── Kokoya de kobayashiではどんなお料理がいただけますか?
地井 宮崎県、とくに小林産を中心とした食材で調理した、テロワールを意識したフランス料理を提供しています。
小林は宮崎牛や鶏肉が有名ですけど、じつは農家さんが育てている野菜と果物のバラエティもとても豊富なんです。なのでお肉だけでなく、小林産の野菜と果物もお料理にふんだんに使用しています。
また、小林は日本名水百選にも選ばれるほど湧水が綺麗なまちです。その湧水で育てられた鯉やチョウザメなどに従来の調理法からさらにアレンジを加えたお料理をお出ししています。
── レストランのお料理がほとんど地元の食材で賄えるのは、食材が豊富な小林ならではですよね。
地井 大阪にいた頃は、毎晩ファックスで次の日の食材を注文し、全国の産地から調達していました。回転数の多い都会のお店ではそれは当たり前のことですけど、ここへ来て、直売所で食材を購入できる楽しさを感じています。
今は、毎朝食材の買い出しから始まる生活スタイルです。JA百笑村という直売所に毎日行って、並んでいるものを見ると置かれているものが日々変わっていることに気づく。
季節によってないものもあるのですけど、それもまた旬を感じられ、メニューをつくる際のおもしろみにもつながっています。
「和と洋のコラボ」は、食べる人にとっての親しみやすさを考えて
── 小林に来られる以前は、公邸料理人、大阪のレストランで取締役をされていた地井さんですが、料理人を志そうと思ったのはいつからだったのでしょう?
地井 もう小学生の頃からです。実家がお好み焼き屋だったので、物心ついた頃には自分も自然とお店に立ったり出前を届けたりしていました。
他の職業と迷ったことはなく、高校卒業後は大阪の辻学園という調理師学校へ。若い頃から自分の店を持ちたいなぁと思っていましたね。
── 公邸料理人になられた経緯についても教えてください。
地井 自分のお店を持ちたいというのと、もっと本格的に洋食を学びたいという気持ちがあって、料理の本場・ パリに行ってみたいと思っていました。
そんなときに、もともとベルギー大使館で公邸料理人をされていた調理師学校の先生から、フランスの大使館での公邸料理人の話をいただきました。
── 公邸料理人として海外へ行かれてからは、どんなお料理を提供されていたのですか?
地井 日本大使館の料理人に期待されるのは、やっぱり日本食なんです。けれど、今でこそ日本料理ってすごくポピュラーですけど、私が最初にフランスに行った25年前は、まだまだ生でお刺身を食べるというのが無条件に受け入れられるものではありませんでした。
そのとき、「普段洋食を食べなれている方からしてみたら、ガッツリした日本食は受け入れがたいものかもしれない。なら、和の中に洋を取り入れたらどうだろう?」と考えたわけです。それで大使館では、和と洋のコラボを意識したお料理を提供していました。
── 食べるひとへの思いやりを感じるエピソードです。
地井 大阪に戻って来てからも、公邸料理人を通して得た根本の考え方を、自分が展開していたフレンチレストラン「赤白」のメニューにも活かそうと試みました。
赤白は、「ワインを気軽に飲めるお店」というコンセプトがあったのですけど「日本人にとってワインを気軽に楽しむときに食べるものは、純粋なフレンチなのか?」という気持ちから「フレンチおでん」や「フレンチお好み焼き」といった新メニューを開発しました。
それが人気メニューになってくれて、やっぱり普段食べ慣れている和食の要素ってだいじだな、と再確認することができました。なので、Kokoya de kobayashiでも、和と洋をコラボさせた料理を提供しています。
母への親孝行と、欧州のような自然の残る街並みに惹かれ、小林へ
── 先ほど、「自分のお店を持ちたいという気持ちがあった」というお話がありましたが、地井さんがお店を小林でやることになったのはどんな理由からでしょう?
地井 小林をすでに知っていたのは、まず母や母の弟妹たちがここで生まれ育ち、私の叔父や叔母が今もここで暮らしているので、自分も馴染みがあったという理由からでした。とくに、公邸料理人の仕事がひと段落してからはちょくちょく小林に来ていて、その度にヨーロッパの雰囲気に似ているなぁと感じていました。
必要以上の利便さを求めないところとか、それ故に自然がちゃんと残っているところとか、すごくいいなぁと。自然が身近にあるってやっぱり健康に生きていく上でとても大切なことだと思うので。
── 自然と健康は結びついている。
地井 とくにこの4・5年大阪で働いていて自然の大切さを実感しましたね。
自分が働いていた場所はJR大阪駅の地下のお店で、43席の店内に1日で300人以上のひとが入るという状況でした。そうなると毎日7回転から10回転、朝からずっと並んでいる状態で、厨房から出る暇もありません。ずっと地下なんで、太陽を見ることもなく、帰るときは真っ暗なわけです。
私はけっこう体を鍛えていたりもしたから体調を壊すことは少なかったですけど、若い人たちはやっぱりメンタル面で辛い部分もあるだろうし、風邪も引きやすかったりして。それでやっぱり、人間だって動物だから、自然の中で暮らしていた方が健康でいられるんじゃないかという持論を持つようになったんです。
また、母は高齢で病気を患っていて、今年の秋に亡くなってしまったのですけど。まだ母が生きていた頃は、「自分は独身で子どももいない。海外生活も長く、なんの親孝行もしてこなかったなぁ」と思っていたんです。小林には母の弟妹、叔父叔母たちもいることだし、だったらここでお店をやった方が、母の精神的にも生活面でも少しでもゆっくりしてもらうことができるんじゃないか、と考えたりもしていました。
そんなときにこれまた調理師学校の先輩から舞い込んできたお話が、シェフ・パトロナージュプログラム。
── シェフ・パトロナージュプログラムとは?
地井 地域の「食」と「農」の魅力を、外から来たシェフの視点から創生するプロジェクトです。店という発信地を持つことだけに留まらず、小林の食と農業をさまざまなアプローチ方法で創生していく取り組みをしてみないか、というお話をいただきました。
自分としてはお店をやるとなったときに、宮崎市内でお店をやることも考えていたのですけど、このお話をいただいて、市がバックアップしてくれるなら心強いと思えた部分もあり、「ぜひ」とお受けすることに決めました。
── そうしてオープンしたのがKokoya de kobayashiだったのですね。
地井 お店のオーナーはもちろんなのですが、私は当プロジェクトの一環として、食育の取り組みもしています。地域の小・中学生に、身近だけど理解に及んでいないこの地域の食材について講演をしているんです。
やっぱり子どもたちには地域の食材を知ってほしいし、食べず嫌いやアレルギーもなく、健康的な食生活を送ってほしい。
また、フランスやドイツをはじめとしたヨーロッパは食育が自然と成熟していて、それ故に親から子へまたその子へと、地域の食材の素晴らしさや食の文化が受け継がれていっています。食への関心と知識を子どもたちが持つことが、どこの地域でも課題である後継者問題の改善に少しでもつながるんじゃないか、そんな想いも食育に力を入れる理由のひとつです。
目指すのは、旅をしに来てもらえるようなレストラン
── Kokoya de kobayashiのオーナー、小中学生への食育……地井さんが次に挑戦してみたいことはありますか?
地井 最近考え始めたのは、このお店を訪れてくれた方々がもっとゆっくり食を楽しめる環境をつくることを目指したいということ。
小林市には隣県の鹿児島や熊本から来られる方も少なくありません。そういった方に小林の食材を堪能してもらいたいと思ったときに、やっぱり飲み物と、ここはフレンチなので、ワインとそれから九州といえばの焼酎を、お料理と一緒に楽しんでほしい。
2003年にソムリエの資格を取ってからは、飲み物の組み合わせ次第で料理が何倍にも引き立つことを知って、飲み物の組み合わせを考えることが自分自身の楽しみのひとつにもなりました。
……と自分は思っていても、お客さまにとってネックなのが「運転」です。
── 小林は車社会ですもんね。
地井 だからこの辺りに宿泊施設をつくりたいな、と。
お酒も飲んで、ゆっくりしていってほしいと思ったときに、「お気をつけておかえりください」ではなく、「今日はゆっくりなさってください」と言いたいんです。そして次の日には朝食まで召し上がっていただいて、温泉なんかも寄ってもらったりして、満足して帰ってほしい。
フランスの3つ星のお店って、じつは結構地方にあるんですよ。逆にそういう遠方のお店について、ミシュランのたとえでこんな言葉があるんです。
「二ツ星のお店は、旅に行ったときに寄りなさい。三ツ星のお店は、そこに旅しに行きなさい」。
旅をしに来てくださいなんて、まだまだおこがましくて言えないですけど。だけどせっかくお店をやっている以上は、そこまでおもてなしする気持ちでいたいと思っているんです。
文/小山内彩希
写真/伊佐知美
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