生活用水は山から水を引き、食べる物は畑で育て、火は薪でおこす。そんなふうにエネルギーを自給して暮らす理由を、渡貫洋介さんはこう話します。
「5人暮らしの渡貫家という家族コミュニティの、背丈に合う暮らしがしたいから」。
主に西日本を見て回り、妻の子嶺麻(しねま)さんと子どもたちとともに、高知県嶺北地域・土佐町(以下、土佐町)に移住したのは2013年5月のこと。土佐町に来ることを決めた理由や、民宿「むかし暮らしの宿 笹のいえ(以下、笹のいえ)」のこれからをうかがいます。
ブラウンズフィールドから土佐町へ移住する決め手とは
── 土佐町に来る前は、子嶺麻さんのお母さんである、中島デコさんと一緒に「ブラウンズフィールド」で働かれていたのですよね。
渡貫洋介(以下、洋介) はい。ブラウンズフィールドを一言でいうと、千葉県いすみ市にある田畑付きの古民家で、カフェと宿泊施設、イベントをおこなっている場所。僕はもともと海のツアーガイドだったけど、子嶺麻との結婚を機に、千葉に移りました。
── ブラウンズフィールドに来た当初から、いつかは独立したいと考えていましたか?
洋介 そうだね。千葉で働き始めて3年後に東日本大震災が起こって、僕らは3週間九州に一時避難しました。その後、千葉へ戻ったけれども、当時も今も、原発問題は終わっていない。震災によって、暮らしを改めて考えるようになりました。
家族で旅行をしながら九州や四国、千葉の周りなど、日本全国で住みたい場所を探していたんだけど、なかなか決まらなくて……だから、移住を決める期限を設けることにしました。結果、移住のタイミングは当初考えていたよりも早まりましたね。
── 移住先の環境や物件の希望はどんなものでしたか?
洋介 軸となる条件は4つでした。1つ目は、自然豊かな環境で子育てができること。2つ目は、生活に使う水は、山の沢水か井戸水であること。3つ目は、改修を自由にやらせてもらえる物件であることと、最後に、家賃が安いことです。
── 全国をめぐっても、なかなかぴったりとくる場所を見つけるのが難しそうな条件です。なぜそうした条件で探されたのですか?
洋介 震災の直後、千葉でもライフラインの一部が一時ストップしてしまいました。水洗トイレも使えなくなって、ガソリンスタンドには長蛇の列。スーパーに行けばみんながペットボトルやカップラーメンを買い占めている。その様子を見て、なんだか不安になってしまって。生活に必要な水や電気が、どうやって家まで来ているのか詳しく知らなかったし、止まってしまったら、僕らはもうどうしようもないことを体感しました。
── そうですね。
洋介 だから、次に暮らすところでは今まで100%他人に担ってもらっていた電気や水、食の一部分でも、自分たちで自給してみようと考えた。ブラウンズフィールドにいたときから野菜を育て、井戸水を使っていたけれど、より強くそう思うようになりましたね。火を使うのも、電気やガスだけじゃなく薪もあるというふうに、生きる術の選択肢を増やしたかったんですね。
── 移住先として高知に目を向けたきっかけというのは何だったのですか?
洋介 香川にいる知り合いに、土佐町の隣町の本山町に連れ来てもらって「れいほく田舎くらしネットワーク」という団体と、事務局の川村幸司くんを紹介してもらったんです。
彼とはネットでやり取りしていて、有楽町で開催された移住促進フェアで初めて会いました。僕らが理想としているライフスタイルを幸司くんに話したら、この物件をすぐに紹介してくれてね。
── 2013年5月に土佐町に移住した、その決め手というのは?
洋介 最終的には、ひとですね。移住の相談に乗ってくれた幸司くんや、「れいほく田舎くらしネットワーク」の鳥山さん、「REIHOKU FARMER’S CAFE」の佐藤恵さんなどの先輩移住者が真摯に話をしてくれて、対応も気持ちよかった。嶺北は移住者が地域で根を張っていると思えたし、幸司くんのようなUターンのひとが地元のひとと移住者の間に入って、通訳のようなことをしていることも心強くて。
── 川村幸司さんやヒビノケイコさんご夫妻のような、先輩移住者の方の存在はやはり大きいんですね。
洋介 幸司くんとケイコさんの家族を慕ってくるひとは、少なくないと思います。彼らの活動のおかげで、地元のひとが移住者を理解し始めている。その移住者を慕って、さらに移住してくるひともいるからね。
2015年度は約50人、10世帯以上が土佐町に移住しています。高知県全体の移住者の約1割が土佐町に来ているんです。「ひとがひとを呼ぶサイクル」ができてきたので、土佐町はおもしろくなっていると肌で感じますよ。
土佐町の気質「やってみいや」が心地よい
── 宿として「笹のいえ」を始めたのは、2015年の8月のことですね。
洋介 そうだね。
── 自宅である渡貫家を、宿として開放しようと思ったのはどうしてなのでしょうか。
洋介 子どもたちや家族だけの「笹のいえ」ではなく、この場所を開放して、地域の方や遠方から来る方が集い繋がれる場所にしたいと思っていたからです。
「笹のいえ」になる前ここに暮らしていた方々は、多いときには3世代の9人で生活していたらしいんです。最寄りの集落からは車で数分離れた場所にあるけれど、大人はもちろん、子どもたちもよくここに遊びに来ていたらしくて。
子どもたちは、親の目から離れて遊んだり、お菓子を食べたりして、冒険気分。近所のひとたちからも温かく見守られていた。そういうエピソードを聞いて、昔からこの家は、ひとが集まる場所としての役割があったのかなって思いました。地域のご年配の方の昔話にね、この家がよく出てくるんです。
── 約20年間誰も住むことのなかった家が、今度は宿として蘇ったら、またひとが集う場所になったということですね。いま僕らは「笹のいえ」に宿泊しつつお話をうかがっていますが、宿というよりも、洋介さんたちの暮らしの中に混ぜてもらっているような感覚に近いです。
洋介 ほかにも、僕らの取材に来てくれたあるひとが、「渡貫さんたちは、ただ暮らしてる」って言ってくれた。たしかに僕らが普段暮らしているところを、宿にして過ごしてもらっているだけなんです。特別にお客さま扱いすることもなく、今日みたいに佐野(もとくら編集長)さんに子守をしてもらうこともあるほど。ただ、お客さまがいるといつもより料理の品数は多いです(笑)。
── ありがとうございます。
洋介 品数が増えるのは、僕も超うれしい(笑)。こんな商売で申し訳ないなと思うこともあるのですが、これが僕らの暮らしであり、生業のひとつなんです。
── 実際、土佐町に住んでみて、どうですか?
洋介 やあ、もう「やってみいや」という気質が、じわりじわりと心地よくなってきますね。土佐町役場には行きましたか?
── 行ってきました。
洋介 Pepperくんっていう、白くて喋るロボットがいたでしょう? 役場にロボット?(*1)って思うけれど、前例がないと動きにくい体質の地域が多い中で、新しいことやおもしろそうなことに対して、「やってみよう」っていう気質がこの町にはあると思う。
僕らがここで宿を始めるにあたっても、「ちょっと変わっちゅうけんど、おもしろそうやね」って、地域の方々は見守ってくれるんです。だから居心地がとてもいいんだよね。
(*1)後日、町の担当者に尋ねてみたところ、教育や福祉の現場での活用を考えてPepperくんを導入したとの回答でした。教育面では、保育園や小中学校の教材として活用したり、福祉面ではデイサービスや健診の場への案内役など、今後実際に多方面で動いていくビジョンがあり、Pepperくん用のアプリ開発に向けて準備中だそうです。
手の届く範囲の暮らしは、「自分経済」を循環させる
── 洋介さんは、子嶺麻さんとお子さんたちと、土佐町でどんな暮らしがしたいですか? 移住したということは、ブラウンズフィールドで暮らしているときに、何か物足りなさを感じることもあったのかなと思うのですが。
洋介 僕らの場合は物足りなさというよりも、「自分たちの手の届く範囲の暮らし」がしたかった。ブラウンズフィールドはここよりも規模が大きくて、暮らしや仕事の中で目が行き届かないところもありました。
独立して宿をするにしても、まず家族の暮らしがベースにあること。その上で、お客さまをもてなし、人間同士で対話ができるような身の丈に合った生活がしたかったんだよね。
── 洋介さんが「昔の暮らしに戻るわけではない」とおっしゃっていたことも印象的でした。
洋介 そうなんです。僕らは電気を使うし、車も乗る。子どもが退屈していたらYouTubeだって見せる(笑)。
僕らが「居心地がいい」と感じる暮らしは、かまどで料理をつくったり、薪でお風呂を炊いたりストーブで暖をとったりすること。何に満たされて、何に満足できないのか、人によって心地いいバランスはさまざまだと思う。僕らにとって一番心地いい暮らし方っていうのが、今の暮らしなんです。宿の運営も、利益のために競争意識を持つことはないし、僕らのペースで仕事ができます。
── ヒビノケイコさんがブログで仰っていた「自分経済」という考えに近いですか?
洋介 そう思う。自分たちの暮らしを成り立たせることを、ケイコちゃんは「自分経済」と呼んでいます。お金を稼ぐことに時間を割くより、畑で食べ物をつくったり、薪を集めたりしているほうがいい。ガス代を払うためにお金を稼ぐことと、薪を割ることは同じことだと思うから。
洋介 僕らはお金が欲しくて働いているわけじゃない。そのお金で、お米や野菜などの食費、電気料金やガソリン代を払っている。なるべく手づくりして、ときに物々交換。それでも足りないものを手に入れるために、お金を気持ち良く稼げばいい。収入は少ないけれど支出も少ないから、時間に追われ過ぎないし、そのぶん家族と一緒にいられたり、自分の好きなことをやれたりする。
── 「自分経済」を成り立たせる魅力は、どこに感じますか?
洋介 実際やってみると、「自分だけでは経済が回らない」と気づけるのがまたおもしろいところ。たとえばアーティストの川原将太くんの作品をこの宿で使わせてもらうことで、お客さんの中には作品に興味を持って買ってくれることもある。「笹のいえ」の土壁をつくってくれた職人さんが、その後、ブラウンズフィールドの古民家の土壁をつくる仕事をしてくれました。
こうやって、繋がりで輪が広がることを経験しているので、「笹のいえ」が、「自分経済」を循環させたり、促進させたりできる場所になったらおもしろいんじゃないかな。
集い、繋がる「笹のいえ」へ
── 「笹のいえ」を訪れたひとにどんなことを感じて欲しいですか?
洋介 僕らから、「こういう暮らし、素晴らしいでしょう?」「コンポストトイレ(*2)、あなたもやりましょう」と言うつもりはまったくない。「僕らはこう暮らしています。ただそれだけです」っていう感じなんですよ。
(*2)コンポストトイレ:好気性微生物の活動によって排泄物を分解する。水をまったく使わない、または、使う場合であっても少量のみ。
だから家族みんなでいることが、これからも僕らの暮らしの土台になっていきます。
── こんな暮らしができる子どもたちは、将来どんな大人になるのか楽しみですね。
洋介 こうやってお客さんが来ると、子どもたちは国内外のいろんな文化、言語、違う考え方を持ったひとたちと触れ合える。だから、きっと一度は都会に出たがると思うんです。
その後何年かして、彼らがもし「笹のいえ」の暮らしに興味を持ったときに、帰って来れる場所になっていたらいいなと思います。
(この記事は、高知県土佐町と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
渡貫 洋介(わたぬき ようすけ)
オーストラリアや小笠原諸島父島でのツアーガイドを経て、「より土に近い暮らし」を求め、千葉県にあるブラウンズフィールドの農を4年間担当する。2013年高知県で出会った古い民家を仲間とともに改修。五右衛門風呂や釜戸を復活させ2015年夏「むかし暮らしの宿 笹のいえ」をオープン。家族の日常に宿泊者を迎え、「少し不便で豊かな暮らし」が体験できる場所を提供している。
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