遠野の山あいの達曽部(たっそべ)地区にたたずむ、一軒の古民家。現在の持ち主である山田千保子さんは、この古民家に惚れ込み、7年前に出身地である遠野に戻ってきました。

本当に心地よい暮らしとは? そのために必要なものって? 山田さんのお話を伺うと、自分自身の生活を変える大切な要素は「好き」を見極めることだということが、だんだん分かってきました。

遠野に嫁いできた女性たちの居場所づくりを

── 山田さんは遠野ご出身なんですよね。

山田千保子(以下、山田) そうです。でも10代のうちから学業のために遠野を離れて、7年前にここに引っ越してくるまでは、遠野の外で暮らしていました。

── 山田さんから見た、今の遠野はどんな雰囲気ですか?

山田 そうですね……切羽詰っているわけではないと思います。とても豊かだというわけではないけれど、衣食住には困らないし、十分暮らしていける環境がある。だから、何かを求めているわけでもないし、積極的に変化を望んでいる場所ではないのかもしれません。

── たしかに町全体がおっとりしているような、穏やかな雰囲気を感じます。

山田 でもね、それだとダメなんじゃないかって感じている人が、増えている気もします。現状に満足していると、危機意識が生まれないから変化も生まれません。それだとつまらない。

そんなふうに感じるのは、旦那さんについて来て、知らない土地での生活を始めた女性に多いようです。いろんなことに戸惑ったり、我慢したりしているからじゃないでしょうか。

山田千保子さん
山田千保子さん

山田 でも、それだと自分の人生に前向きになれませんよね。そういう女性たちが多いことに気が付いて、私にも何かできないかなと、最近思うようになりました。そんな時、遠野に移住してきた女性が「遠野にはイベントスペースがない」と悩んでいるのを偶然聞いて。

たしかに遠野には、何かを発信したいと思ったときに個人で自由に使えるスペースが無かったんです。だから「古屋弥右エ門」を開放して、若い人たちの発表の場にしてもらえたら、と思ってね。

その結果、離れをイベントスペースとして貸出をすることにしました。すると、まったく知らないジャンルの人や、若い人たちと触れ合う機会が増えて。もちろん泊まりに来てくれる人たちもそうですけれどね。こういう出会いは私たち夫婦に、いろんな世界を見せてくれます。

── 今まで、遠野に嫁いできて、新しく何かに挑戦しはじめた方はいらっしゃいますか?

山田 もちろんいますよ。伊勢崎くん(伊勢崎克彦さん)の奥さんのまゆみちゃん(伊勢崎まゆみさん)とか、「on-cafe」っていうカフェを開いた礼子さん、それからパンを売っているマル・ベーカリーのマルちゃんとかね。

遠野にお嫁に来て、生活を始めたけれど変化がない日々に満足できなくて、だったら自分で何かをやってみようっていう女性たちが、少しずつ増えている気がします。農業を始めて、自分の作った野菜を売ったり、手作りの雑貨を売ったり展示したりする人もいます。経済的な面で大変なことはたくさんあると思いますけど、チャレンジしている人はみんな、やりたいことを心のままにやっているように見えます。

── 好きなことを仕事にしている女性が多いのでしょうか。

山田 そうですね、私も趣味で始めた染色が好きで好きでたまらなかったんです。でも、好きで続けている仕事と生活が両立できるのは、夫婦の信頼関係があってこそだと、私は思います。

オーダーは一切受けず「自分の色」を追求した染色

── 山田さんが染色を始めたきっかけというのは何だったんですか?

山田 なかなか子どもに恵まれなくて悩んでいたときに、産婦人科の先生に「悩み過ぎるのも良くないから、何か自分でほっとするものを見つけなさい」とアドバイスをいただきました。そうして出会ったのが、染色だったんです。

趣味から入った手仕事だったけれど、寝ても覚めてもデザインが浮かんでくるほど大好きで。子育てと本業と並行しながら染色をしていたのですが、寝るのが惜しくって、人間って自分が楽しいものなら辛さすら忘れてしまうんだなあって思いました。

── そこまで山田さんを突き動かす染色の魅力って何なのでしょうか。

山田 小細工がきかないところかしら。一色一色が勝負で、同じ黒やブルーでも、まったく同一のものは二度とできないんです。だから、今までお客さんの要望ではなく、私が作りたいものだけ作ってきました。自分の家に合うものを求めて始めた染色ですから。

たとえば、のれんの長さや幅は、お客さんの家の窓のサイズではなく、全部うちのサイズに合わせて作りました。もし作品がうちに戻ってきた時に、私たちが使えるようなものしか作りたくないなって(笑)。作品の出来具合も、必ず家族に見てもらっていました。

古屋弥右エ門

山田 でも、どんなに好きな染色だとしても、アイディアやデザインというものは、底なしに湧き出るものではありません。お客さんがつけばつくほど、どんどん望まれるレベルが高くなっていく。それに合わせようとすると、だんだん辛くなってくるんです。良く見せようと小細工してしまう。でも、小細工したものに対して自分が納得することは、ほぼありません。作っていてもおもしろくないですし。

── 自分の望むものだけ、作りたいものだけ作る、と決めるのには相当覚悟がいる気がします。

山田 そうですね。どうすればいいか分からなくて葛藤していた時期のうち、1年間くらい染色から離れたことがありました。

その1年間は、町の中を見て歩いたり、おいしいものを食べたりして過ごしました。でも結局、食べものを食べている間も、食材とお皿の配色とか、お店の内装とか気になってしまって。

今思えば、この1年は全然無駄じゃなかったし、最終的にシンプルが一番という理想にたどり着きました。だから、私は自分の色を目指して染色をもう一度極めようって。その頃から、私の作品はすべて一色染めに変わっていきました。

古屋弥右エ門
宿泊者にもお気に入りの器で食事を供してくれる

山田 同じものは二度と作れないし、作らない。注文を受けて作るものは、ある一定の枠組みのなかにキッチリおさめた「正解」を作る作業で、自分の色を追求する仕事ではありません。作品というのは、最初に考えて最初に完成するものが、一番自分の力が入っていると思います。だから、私がモノを買うときも、いつも注文するのではなくてパッと見た、その場の勘ですべて選んでいます。

本物を知るために「いいモノ」にたくさん触れて

── 注文したものだと、期待通り、予想通りのモノができあがるけれど、直感だと、モノを選ぶときの視点が磨かれそうです。

山田 いいものを見抜く目は、たくさんのモノを買ったり見たりして培われます。目利きになるには、時間とお金が必要です。そこで出し惜しみをしてしまうと、自分の好きなものや、いいなって思うものへの感度が鈍ってしまうと思いますよ。

古屋弥右エ門
内観。華美な装飾はないけれど、山田さんの目利きで選んだモノが品よく並ぶ、落ち着いた空間

山田 ただ、年代によっては、買えない時代が誰しもあります。若いころなんかは特にね。だったら、たとえば100円のものを10個買うのをを我慢して、1年に一度だけ、高価でも素敵だなと思うものを買うと決めておくと、モノへの視点や学びが蓄積されて、肥しになっていくわけです。ただ買うだけではなくて、見て、触って、それから自分のものにするのにどうしたらいいのかを考える。

こういう考え方は、買い手はもとより手仕事を生業にする人たちには、よく伝えていることでもあります。

── 遠野の作り手さんたちへの教えとして、いいモノにたくさん触れてほしい、とおっしゃっているんですね。

山田 私の願いは、手仕事の人達が、技術やセンスにおいて、もっと上を目指してくれること。よく、自分で作ったものを販売している人たちがいますけれど、びっくりするくらい安い値段設定にしているんです。「これ以上の値段をつけたら遠野の人は買いません」って言って。売れれば嬉しいから、その気持ちも分からなくもないんだけれど、やっぱりその考えは捨てないといけないよって言ったの。

自分に残るお金がないと、自分磨きができません。だから、1,000円でも利益を生んで、そのお金で勉強してほしい。価格を上げてでも、自信を持って売れるモノを作ってほしい。そうすれば、もしお客さんに「3,000円のコレと、1万円のコレとはどこが違うんですか」って言われた時に、きちっと説明ができるでしょう。そうしないと、いつまで経っても3,000円の世界から抜け出せないんです。値段がいくらだろうが、買ってくれる人がいる限り、上を目指し続けないと、やる意味がないと思います。

── 安売りせず、買い手に迎合しなければ、おのずと自分の手仕事のレベルアップにもつながると。

山田 そう。自分の隣に出店している人のものばかりが飛ぶように売れることだって、時にはあります。そういう時は、「なぜ隣の人のものは売れて、自分の作品は売れなかったんだと思う?」って問いかけてみることにしています。なぜ誰も自分の作品に振り向いてくれなかったのかをきちんと考えないと、作り続けても無駄よって。

ランプ

山田 ……遠野に限らず、手仕事をしてる人たちにとっては、食べていくのも難しい時代です。もちろん、作品を発表する機会や場所もとても少ない。でもやっぱり続けている人たちはたくさんいるわけだから、少しでも名前を知ってもらいたいと思って、ちょっと厳しいことを言ってしまうこともありますね。

本当に心地いいものに出会うために

── 山田さんが職人気質なのが、伝わってきます。

山田 あはは(笑)。モノを作る・買う視点って結局、自分の選択の積み重ねですからね。私たち夫婦も、心地いいものだけ周りに置いておきたいという気持ちがありました。

すべてを排除することは不可能かもしれないけれど、意識しているかそうでないかで暮らし方は大きく変わりますよ。若い人たちは特に、今のうちからいっぱいいろんなものを見てほしいですね。

── 失敗しないと、何が好きかどうか分からないですものね。

山田 そうそう。失敗するから次の発想が湧くの。今の世の中は便利すぎて、モノがあることに慣れているというか、何かを選ぶときにあんまり考えなくていいですよね、お金さえあればよくて。

そういうことに、もし少しでも疑問を感じるなら、自分が何にお金を使っているのか、使いたいと思うのかを判断して、好きなものの路線をきちんと見定めていくのがいいと思います。そうすると、手当たり次第に買いあさることもなくなるし、何年か経ったときに、ちぐはぐにならずに済む。「私はこれが好き!」って自信を持って言えるんじゃないかしら。

シンプルに、好きなものに囲まれた暮らしっていうのも、いいものですよ。だからね、若い人たちは、いっぱい失敗すればいい。失敗を続けている人こそ、いずれ「これだ!」というものと出会えますから。

古屋弥右エ門と山田さん
山田千保子さん

お話をうかがったひと

山田 千保子(やまだ ちほこ)
岩手県遠野市出身。10代で学業のため自宅を離れ、大学卒業後、理・医学部の研究室勤務。子育てが一段落したのち、大学関係の仕事に勤務、仕事と両立しながら染色の世界で表現。夫とともに社会からリタイアし、農的暮らしと古民家暮らしを始める。冬期間は仙台での自宅生活「ていねいな蔵し」を発信しながら手仕事の大切さを展開中。

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(イラスト:犬山ハルナ