岩手県は、じつは日本で二番目に面積の大きい都道府県。そのなかでも岩手県遠野市は、柳田国男が書いた「遠野物語」に象徴されるとおり、「民話の里」として有名です。遠野は、土地に根付いた物語を、今でも語り部が継承する、あたたかい場所。
なぜ、この地域で民話が生まれたのか? この街は、どんな経緯で発展し、今に至るのか? 遠野という土地柄について、遠野市立博物館館長の小向孝子さんに詳しく教えていただきました。
かつての大都市「遠野」は物語の集積地
「遠野物語」を、読んだことはありますか?
柳田国男(やなぎた くにお)という民俗学者が、今から105年前に佐々木喜善(ささき きぜん)という遠野出身の研究者から聞いた妖怪話や地元のおとぎ話などをまとめて、書き残したものです。
なまりが強くて、意味が分からない昔話もあったそうですが、柳田は佐々木の話に深く感銘を受けました。それにしても、なぜ遠野にはこれほど数多くの昔話が残されていたのだと思いますか?
じつは、それは遠野の地形に関係があるんです。
遠野は、岩手県の真ん中より少し南側に位置している、盆地です。西は奥羽山脈が走っていて、その山々から北上川が南流し太平洋に向かって流れています。
沿岸部と奥羽山脈の、ちょうど中間地点に、遠野はあります。遠野の西に花巻、北上、水沢、江刺、北に盛岡、東に金石、陸前高田、大船と山田、大槌、それから宮古という街があります。
遠野はちょうど、それらすべての街へ行くのに一時間くらいの距離の所にあります。昔の人は、沿岸部や山あいへ行くために、必ず中継地点として遠野を訪れました。交通の要所だったというのが、遠野の特徴のひとつです。
それから、この遠野市立博物館の裏には山があるんですが、そこには鍋倉城(なべくらじょう)というお城がありました。
藩制時代には、南部藩の家老の遠野南部氏が治めていて、遠野は城下町でした。かつては盛岡市の次に賑わっていたのが遠野だと言われているくらい、栄えていた町なんですよ。
江戸時代には、遠野では毎月1日のつく日に市場が開かれていました。当日になると、沿岸部からも内陸からも、たくさんの人が遠野に集まってきます。頻繁に、各地から訪れた人とモノが往来していた。そうすると、自然と各地のいろんな出来事や噂話、物語が集まってくるわけです。
さらに、遠野の中で物語が根付いたのには、山に囲まれた環境も影響しているのではないかと思います。
現在釜石への国道が通る仙人峠は、落差が400メートルくらいあり、昔は難所で荷物を運ぶのも一苦労だったところです。だから、昔は沿岸に荷を運ぶ場合多くは大槌街道を使っていました。
内陸と沿岸部のどちらから向かったとしても、遠野へ入るには、必ず山を超えなければなりません。交通の要所として情報が集まったことに加えて、北上山地の中にある人里でしたから、物語や文化が地域の中ですぐ広まって定着しやすかったのだと考えられています。
森は、自然と人間の生活拠点の境目
遠野を囲む山々は、生活の基盤を支えてくれる大切な存在でした。さらに、神聖な場所でもあったんです。神様も、人を化かす化物も、妖怪も、山に棲んでいると人々は信じていましたからね。
森は、人間の居住空間と神聖な山とを分ける、結界のような役割を果たしていたのだと思います。
遠野には昔、金山があったこともあって、仕事をするために山に入らなければならない人たちも大勢いました。
彼らにしてみれば、山は異空間への入口ですから、人間様のための山ではなくて、山の恵みをいただきに、お邪魔する感覚だったのだと思います。
事実、遠野の人々は、山を対象にした信仰を持ち、山から得たものを衣食住に活用してきました。人の暮らしと自然が共生する地域を「里山」と表現します。
遠野でも今ではひとが手をかけずに荒れてしまい、人が近づくこともできない山が増えています。山の恵みをもらって生活をするというところは変わっていませんし、そういう「里山」の姿をこれからも残していかなければならないと思います。
馬は暮らしのパートナー
さて、山を越えて遠野に集まってきたものは、人やモノ、森に棲むものたちや物語だけではありません。馬も、そのひとつです。
南部藩にとって、馬は生活の糧であり、仕事のパートナーであり、財産であり、家族でした。モノを運搬するときも、田んぼを耕すときも、馬は必須。南部藩自体が、馬をとても大切に育てていて、人と同じように、馬も戸籍を持っていたといいますから、遠野暮らしにおいて馬がどれくらい重要だったか分かりますよね。
幕藩体制が崩れて明治時代に入っても、遠野の馬は軍馬として重宝されました。江戸から明治になったあとも、遠野での馬のいる暮らしは、長く続いていたようです。
しかし、農作業の機械化が進み始める昭和30年代ごろから、急激に馬を飼う農家が減りました。
今の遠野ですか? 馬と暮らしている人は、かなり少なくなっています。しかし、流鏑馬行事や馬搬をおこなう上で、今でも活躍する馬があります。
遠野の概観が、分かっていただけましたでしょうか。
今の遠野は、かつてと変わったところ、変わらないところのどちらも見ることができます。本物の「里山」かどうか、「遠野物語」に出てくるような妖怪たちと出会える場所かどうかは、ぜひみなさんの目で確かめてみてくださいね。気持ちのよい、素晴らしい土地ですよ。
この施設のこと
遠野市立博物館
住所:岩手県遠野市東舘町3-9
電話番号:0198-62-2340
開館時間:9:00~17:00(入館受付16:30まで)
休館日:5~10月(月末日)、11~3月(月曜日、月末日、年末年始)
※月曜日が祝日および月末日が日曜日・祝日の場合は開館
※資料特別整理日 11月24日~30日、1月28日~31日
入館料:一般300円(250円)高校生以下150円(100円)( )内は団体20名以上の場合
公式サイト:遠野市立博物館
お話をうかがったひと
小向 孝子(こむかい こうこ)
遠野市立図書館博物館館長。遠野の歴史や民話をたくさんの方に伝えるのが仕事です。
【岩手県遠野市】特集の記事一覧はこちら
- もうすぐ、今を変える風が吹く。【岩手県遠野市】特集、はじめます。
- 【岩手県遠野市】Live with Horse!馬と暮らす里山の未来を作ろう|伊勢崎克彦
- 【岩手県遠野市】「遠野ゲストハウスプロジェクト」暮らしを望む丘の上に、地域の拠点を作る
- 【岩手県遠野市】「on-cafe」新しい暮らしの一歩は、あたたかなカフェ作りから
- 【岩手県遠野市】今を捨てて前へ進む。馬と暮らす未来のために|菊地辰徳
- 【岩手県遠野市】心地よい方へ流れ、暮らす。渡辺敦子の生きる道
- 【岩手県遠野市】山に囲まれた、馬と人と民話が生きる土地
- 【岩手県遠野市】昔の話ではなく昔話を語り継ぐ「語り部」という宝物
- 【岩手県遠野市】「奇跡のリンゴをつくりたい」夢を追うリンゴ農家・佐々木悦雄の第二の人生
- 【岩手県遠野市】「Bakery maru」パン屋のない土地に、焼きたてのパンを
- 【岩手県遠野市】喫茶&バー「カーゴ・カルト」の店主・高橋強が仲間と共に描く未来
- 【岩手県遠野市】から「made in 東北」を発信したい。「n-s」ファッションデザイナー・松田成人
- 【岩手県遠野市】「古屋弥右エ門」毎日を楽しむ大切さを教えてくれる、築180年の古民家の暮らし
- 【岩手県遠野市】染織に学ぶ、自分の「好き」を見つけるためのお金と時間の必要性|山田千保子
- 【岩手県遠野市】代官山から遠野市へ。私が惹かれた人と場所|伊勢崎まゆみ
(イラスト:犬山ハルナ)