ものをつくり価値を生み出し続け、「すごい」と認められている職人さんは、日々どんなことを考え、何に挑戦しているのだろう? どんなことに苦労してきたのだろうか?
「灯台もと暮らし」をスタートさせて、もうすぐ4年目。この仕事を通じてひとの役に立ちたいと考えるほど、自分のなかにふつふつと疑問が湧き、こう聞いてみたくなったのです。
そこで今回、ものづくりの名人を訪ねてみました。
卓越した技能士として国に認められた「現代の名工」のひとり、橋之口幹夫さん。宮崎県伝統工芸品に指定される、籐製の家具、工芸品をつくっています。
橋之口 幹夫(はしのくち みきお)
1934年に設立した「橋之口籐工芸工房」の2代目・代表。国の卓越技能士「現代の名工」。籐工芸は宮崎県伝統的工芸品指定。大切にしている精神は「ぴしゃっと。納得のいく作品つくりにつとめています」「昨日より今日は、少しでも良い物ができるように」オンラインショップはこちら
籐(とう)製家具とは?30年変わらない代表作も
籐とは、熱帯アジア原産のヤシ科の植物です。軽くて柔らかく、丈夫で複雑な曲線加工ができるため、古くから家具の材料として使われています。
橋之口さんは、この籐を使って椅子やテーブル、棚、ベッド、そして時計までつくっています。
籐の工芸作品をつくれる職人は、全国でもわずか40人ほど。「現代の名工」に選ばれている橋之口さんのつくる家具は、その中で、どのような違いがあるのでしょうか?
「それは、『かけやすさ』が一番の違いだと思いますね。デザインはデザイナーがつくるものが優れていると思いますよ。
私は“籐の性格”を知りながら手を加えていきますから、使う方の身体に馴染むものになると自負しています。籐製カウチは三十数年デザインを変えていないうちの代表作です」
家具職人になることが夢でした
「私は中学を卒業して橋之口籐工芸に入ったんですよ。師匠の橋之口の親父が、学校に椅子の座面の張り替えをしに来たんです。若い方はご存知ないかと思いますけど、昔は先生の椅子もスチールじゃなくて木の椅子だったので。
その様子を見に行ったのが親父との出会いでして、弟子になったんです。まだ私は子どもでしたけど、ものづくりが好きでした。漠然と家具職人になりたい!っていうのが夢だったんですよ」
手仕事の真髄
もともと籐の工芸品をつくりたかったわけではなく、師匠との偶然の出会いによって籐の工芸職人になったという橋之口さん。天皇陛下献上品の製作はもちろん、いまや国の卓越技能士「現代の名工」に選ばれた籐使いの名人は、籐工芸の魅力についてどのように考えているのでしょうか。
「普通は籐を曲げるときに、スチームで加熱して型にはめて曲げるんです。それは楽なんですが、ひずみも生まれる。
既製品を見たらすぐわかりますが、5脚並べたら全てが均一ということはありません。スチームは水蒸気ですから籐は湿気を吸収して、製品になったときに自然と伸びてしまうわけです。
うちはバーナーを使って膝で曲げていますので、籐が伸びません。私が10個つくったら10個が均一のものになる。そういう違いがあると思います」
「『橋之口さん、ここをこうしてつくってください』とか……。極端な話ですけど、私が図面を描いて籐を曲げていきますからお客さんの要望になんでも応えられます。
手のぬくもりが通った作品が籐工芸。うちみたいに全工程を手作業でやってるところはまずありませんので、この一言に尽きると思います」
おかげさまで、自分があるんです
ご自身がつくる籐工芸にファンができたのは、宮崎県暮らしの工芸展への出展がきっかけだといいます。その後、個展の開催、さらには東京での物産展出展へとつながったそう。
現在は、このような催事に加えてインターネットによるオンライン販売をおこなっています。
「今年で橋之口籐工芸工房は83年目に入りました。いつも申し上げるんですけど、支えてくださったのはお客さんですね。お客さんが私を育ててくれたということです。
私が現代の名工になれたのも宮崎県のお得意様が、広く言ったら九州、いまは日本全国まで買ってくれる方々が広がりましたけれども、『これをつくってください』『こんなものをつくれますか?』と、“つくるチャンス”をくださったおかげさまですもんね。
これはお客さんでないとできません。おかげさまで、自分があるんです」
職人半分、商売人半分になるべきでしょう
50年以上職人としてキャリアを重ねれば、いい経験だけではなく苦い思いをしたこともあるはずです。橋之口さんにとっての苦労とは、どのようなことなのでしょうか。
「私は苦労を苦労と思わんですかね。そう思えるほど、ものづくりが好きなんです。好きだからこそ今まで貧乏しても続けられたんですね。ものづくりはほんっ……と、貧乏します。もうこれは息子たちにも言っています。プライドを持ってつくればつくるほど貧乏する」
「ですから『俺は橋之口から買ってやった』と言われるのは、あまり好かんとですよ。私はそういうひとに頭を下げてまで売りたくはないです。
『橋之口さんの家具を買わせていただいた』って言ってくれる方を大切にしたい。ある意味、商売人じゃないということですよね。本当やったら職人半分、商売人半分になるべきでしょう」
もう一度、挑戦したい
取材中、何度も「自分はやっぱり職人だ」と語る橋之口さん。これからチャレンジしたいことはあるのでしょうか。
「さらに進化した時計をつくってみたいですね。今まで8本つくって宮崎県に3本、福岡に4本、名古屋に1本あるのですが、私なりに進化したのをね、もう1回挑戦してみたい」
「50年以上やっても、最高な製品は未だにないです。だからこそつくることを積み重ねる。
買ってくださることへの感謝の気持ちを込めて一所懸命つくっていれば、お客さんに意気込みが伝わると思うんですよ。逆に嫌々つくっていたら、それはいい方向に伝わらない。
楽しく、想像しながらつくれると、いいものができる。ものづくりで大切なことはそれやと思うんですよね」
(一部写真提供:橋之口籐工芸工房)
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
文・写真/タクロコマ(小松﨑拓郎)
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