宮崎県小林市の山元智博さんがつくる「kiriflex(キリフレックス)」とは、サーフボードの中心に入っている補強材である「ストリンガー」と呼ばれるパーツのブランドのことです。
kiriflexを開発し、特許を取得。今ではそのシェア率は、日本のサーフボードブランクスの50%以上(2016年時点)になっています。
サーフボード業界を大きく変えた実績があるにも関わらず、山元さんは楽しそうに「いいものがないから、自分でつくっちゃった」と一言。
「祖父の言葉がきっかけだった」というkiriflexの誕生ストーリーや、今後の展望について山元さんに聞きました。
山元 智博(やまもと ともひろ)
1974年、宮崎県都城市出身。都城農業高校卒業後、宮崎県産業開発青年隊にて就学。鹿児島測量専門学校を経て都城の民間測量会社、民間建設会社に務める。その後、祖父の経営する製材所で木材について学び、サーフボードを独学でつくり始める。宮崎産の桐の木を使ったストリンガー「kirifrex」を開発し、特許を取得。現在に至る。
(以下、山元智博)
山元さんが手がけている3つのこと
主に3つのことやっています。まず、Moanalolo Surfboards(モアナロロ)というサーフボードのブランド。これは僕自身がボードをつくっています。
2つ目が、サーフボードの材料になるEPS(発泡スチロール)というサーフボードブランクスの製造。
3つ目が、サーフボードのストリンガーの製作。うちで一番有名なブランドが「kiriflex(キリフレックス)」です。
サーフボードをつくり始めたのは、32歳の頃。それまでは建設業をやったり、祖父の製材所の仕事を手伝ったりしていました。当時から趣味としてサーフィンはやっていたんですね。
2008年の春に、あるメーカーにサーフボードをオーダーしたんです。でも、出来上がってきたボードの形が左右非対称だったんですよ。簡単に言えば、納得のいかないものが出来上がってきてしまって。
せっかくお金を出してオーダーしてもそういうボードが出来上がるなら、自分でつくっちまえと。それが最初のきっかけです。
理想のサーフボードを自分でつくろうと思った
サーフボードづくりは、小林周辺では誰もやっていないことでした。
測量の仕事をしていたので、ボードの図面を描くことはすぐにできましたが、実際に形にしていくのはすごく難しかったです。今でも試行錯誤しています。
材料は何で、道具は何を使うのか。そういうことをネットで調べたりとか、知人に聞いたりしながら作業を進めていきました。
サーフィンもサーフボードづくりも、独学です。自分の技量は自分で磨いていきたくて。だから、ものをつくるにも、誰かに聞きたいとは思わなかったですね。自分で考えて、ダメ元でも挑戦するのが性に合います(笑)。
はじめのうちは全国のメーカーから、材料を取り寄せて製作していたんです。だけど、ストリンガーがねじれてたり、きれいにセンターに入ってなかったりして、おまけに重い。そういうのも見抜けるようになっていって、だったらすべて自分でつくろうとしました。
祖父のアドバイスで桐を使い始めた
その頃、まだ生きていた祖父が「桐がいいんじゃないか」とアドバイスしてくれて。
試しに買ってきた桐を切って、自分でボードに挟み込んだんです。乗ってみたら、もう、全然違ったんですよ。すげえのができたんです。
当時はプライウッドと呼ばれる、いわゆるベニヤがストリンガーに使われることが多かったんです。これは柔らかいんですけど、戻ってこないんですよ。ねじれに対して、跳ね返りが少ないんです。桐の木は、横のねじれにも強い。横にねじれたら、パンッ!て返ってくる。桐は、跳ね返りのスピードが違う。
プロサーファーが乗ったら、その違いは一発でわかりますよ。実際に現在では「一般社団法人 日本プロサーフィン連盟 JPSA」のトップランカー選手の3、4人はkiriflexを使っています。
始めてすぐに「これは突き詰めていけばいいものになりそうだ」と思いました。桐の丸太を市場で買ってきて、いろいろな方法で製材して。3年半くらい研究を続けて、ベストな方法を探していきました。
日本での「kiriflex」のシェアは50%以上
最初は宮崎県内で、サーフィンが上手いひとたちに乗ってもらって感想を尋ねていました。それから僕がFacebookで書いたり。地道なスタートでした。
転機になったのは、僕がインタースタイル(ボードカルチャーとファッションのビジネス展示会)に行って、そこで出会った営業マンに「騙されたと思って使ってみてよ」って渡したことです。
それがきっかけになって、オーストラリアの有名ブランドである「コアフォーム」を正式輸入している永和貿易株式会社という会社とタッグを組むようになりました。3年前の話です。
そこからkiriflexの注文がどんどん入るようになって、今では日本のトップクラスのメーカーも、ほとんどが使ってます。
2016年の段階で、日本でのシェアは50%以上です。毎年、大体15%ずつ上がっています。
他のサーフボードメーカーがつくれなかった「kiriflex」を山元さんがつくれた理由
僕がkiriflexをつくれたのは、うちが製材所だったことが大きいです。じつは桐を用いるというアイデアは20年くらい前にもあったらしいんですよね。
実際にその前例を知っている方と会って話もしました。桐をストリンガーとして使おうと思ったけど、みんなことごとく失敗したそうです。
なぜかというと、桐を製材したものが完全には乾燥しなかったらしいんですよ。技術がなかったって。でも、うちの場合は、乾燥させる技術とノウハウがあったので成功できたんです。
昔は、桐といったらものすごい高級材で、家具とか、米びつとかに使われる材料でした。「桐をサーフボードに入れる? バカじゃねえの」という声も当時はあったそうです。
でも今では高級な家具もつくらない。米びつもない。桐の使い道が無くなっていって、桐は、誰も買わない木材になっていました。
だからこそ桐が市場にいっぱい出回っていて、使い道もなく、持て余されていたんです。
kiriflexを世界に広めたい
サーフィンは、2020年の東京オリンピックの種目に採用されています。もちろんそこに向けてkiriflexをもっと広げていきたいのですが、日本でどうにかしたいんじゃないですよ。「世界でやっちゃえ」って思っています。
世界でのシェアはまだ1桁台。2017年に入ってから、ハワイとオーストラリアの営業に行きました。これからどんどん世界に広がっていきまよ。
モノづくりには、一切妥協しません。製品をいいものにするために、絶対に妥協しない。「これでいっか」で満足しない。ストリンガーって、サーフボードからほんの数ミリしか見えないものなんです。
どれだけちゃんとしたものが入ってるかというのは、僕にしかわからないんですよ。サーフボードを削るシェイパーたちもわからないこと。
だから、いかに使うひとに信用されるものをつくるか。
いつ誰が乗っても、ちゃんと動く材料に仕上げられているか。僕が妥協してしまうと、ボードが台無しになってしまう。だからこそ、絶対に妥協しない。その信念は持ち続けています。
サーフィンのおもしろいところってひとそれぞれだけど、僕の場合はいかにデカい波に乗るかです。高いところが好きなんですよ。
高いところまでいって、どれだけ速いスピードで降りるか。周りは僕に「スピード狂」って言いますけど(笑)。
今日 (取材当日)も、ちょうど台風が来ていて、いい波が当たってるみたいなんで。本当は今すぐにでも海にいきたいですよ。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
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