「青森県十和田市は、アートの街」。

2008年に十和田市現代美術館ができて、そんなふうに言われるようになりました。

ただ、十和田市には文化的な意味でもうひとつ重要な側面があります。それは、十和田市は「建築の街」であるということ。

街のランドマークである十和田市現代美術館は西沢立衛さん、十和田市教育プラザ(十和田市民図書館)は安藤忠雄さん、市民交流プラザ 「トワーレ」は隈研吾さんの設計です。

建築のことを多少でも知るひとであれば、誰もが知っている有名建築家の建物がこれだけ立ち並ぶ街。

そんな十和田市に「このお三方の建築物があったことも、十和田を選んだ理由のひとつです」と語る建築家のご夫妻が住んでいます。

渡部環境設計事務所」を営む渡部さんご夫妻が、東京から十和田へ移り住み、地域でどのようにして仕事をつくってきたのか、ご紹介します。

良平さんサムネイル

渡部 良平(わたべ りょうへい)

1983年生まれ、東京都調布市出身。工学院大学大学院修士課程修了。卒業後はシーラカンスK&H、長谷川逸子・建築計画工房に勤務。学校や公共施設などの設計に携わる。2014年久美子さんと結婚し、2016年1月に十和田市に移住。「渡部環境設計事務所」を設立。同年、設計を手がけた所沢聖地霊園管理事務所がGOOD DESIGN AWARD2016を受賞。

久美子さんサムネイル

横濵 久美子(よこはま くみこ)

1980年生まれ。昭和女子大学大学院修士課程修了。大学院修了後は若松均建築設計事務所、中山英之建築設計事務所に所属し、主に住宅設計を手がける。2010年に「横濵久美子建築設計事務所」を設立。2014年、「榑縁(くれえん)の家」を設計。2016年に良平さんと十和田市に移住し、同年3月、長男を出産。

夫婦で建築設計事務所をやるのにちょうどいい環境を探してた

── 現在はご夫婦で働かれているんですよね。十和田に来られる前から、もともとふたりで働きたいというお話があったということですか?

良平 そうです。もともと、僕と妻は建築学科の大学院を出て、その後は一級建築士として別々の会社で設計の仕事をしていました。独立して一緒に事務所を設立しようという話になったのは、「結婚を機に一緒に働きたいね」と話し合ったことがきっかけです。

そんな中で、地方でやるのも東京でやるのも、メリットとデメリットはどちらもあると思うんですけど、東京生まれ東京育ちの僕は、隣人の顔も知らない土地で独立後に仕事を掴んでいくのは難しいかなと感じていました。

久美子 設計の仕事は、知り合いづてにお仕事をもらうことが多いので。

良平 特に独立したてはね。そう考えたときに、地方のように住んでいるひとの顔が見えたり、地域と繋がりを持っているほうが仕事に発展する可能性があると思ったんです。

ご夫妻が話す様子

── 十和田を選んだ理由はなんでしょう。

良平 事務所をやるなら東京じゃなくてもいいかな、と思っていたタイミングで妻のご両親が青森県の野辺地町へUターンし、妻が新居を設計することになりました。そこで知り合った青森県の建築家の方々に「こっちに来て事務所をやったら?」とお声がけをしてもらったんです。

僕たちとしても、青森県に移住すれば「こういうものを設計しました」という事例を紹介できるので、いいスタートが切れそうだなと思いました。

久美子 住む場所は、十和田市だけじゃなくて、野辺地町や青森市、八戸市や弘前市も検討していたんです。

良平 ひとくくりに「地方で暮らす」と言ってしまうのは少し乱暴な気がしています。「地方」にも限界集落のような地域や人口数十万人の地域などそれぞれに個性があるので。東京から移住する僕らにとっては、仕事をする上で人口6万人くらいの、アートや美術館があるこの十和田の規模・環境が丁度良さそうに感じました。

久美子 私たちも東京にいたときから美術館はよく行っていたので、十和田に現代美術館があったのは大きかったのかもしれないです。

まったくつてがない状態から建築業をスタート

── 十和田に来てからはどれくらいですか?

良平 1年半になります。

── 実際にこの1年半は、どうやってお仕事をつくっていったんでしょうか。

良平 最初は本当に知り合いがゼロの状態だったんです。なので、先ほどお話した「青森で事務所をやってみたら?」と声をかけてくださった建築家の方からサポートのようなお仕事をいただきました。

あとは「移住して来ました」と挨拶している中で、少しずつこの地域の方からお声がかかるようになりました。去年の実績はサポートと内装設計を中心としたもので、新築設計のご依頼をいただき始めたのは今年になってからです。

渡部良平さん

── つてがない状態で東京から来られたんですね。仕事がなかったら……という不安はなかったんですか?

良平 正直、結構不安でした(笑)。33歳で十和田に移住してきたのですが、35歳頃までに依頼がこなかったら東京に戻ることも視野に入れてましたね。

久美子 あはは(笑)、そうでした。

良平 この1年は妻とふたりでお仕事を完結できるように取り組んだ年でもあって。そのおかげで隅々まで自分たちでつくり上げる経験もできました。

久美子 なんでも自分たちでやろうという気持ちになったね。

良平 そうそう。

久美子 具体的な設計作業の分担はそこまで明確にしてないんですけど、どちらかというと私が内装寄りで夫が建築寄りというふうに役割分担しています。

良平 建築の設計って、いくつか案を出して、どれを選ぶかで道が大きく枝分かれしていくものなんですね。最初の選択肢が多いほど良い結果にも結び付くので、その案を最初にふたりで出し合って、方向性を絞っていくような流れで作業しています。子どもがまだ1歳なので、子育てでフルに働けない分の仕事をふたりで分け合ってやっていくというスタンスで取り組んでいます。

おふたり2

地域のひとも、訪れるひとも楽しめるような賑わいを生みたい

── 今後何か仕掛けていきたいことはありますか?

良平 じつは「字と図」の吉田さんなどをお誘いして、空き家を活用したプロジェクトを進めています。本来の設計の仕事とはまた別の軸なんですけど、空き家を活用し自分たちの住む街を少しでも良くしていきたいと思っています。地域の方々にも協力頂き、活用できそうな空き家の候補が3、4つほど出てきました。今はそこに入ってくれる魅力的なひとを探している最中です。

コンビニのような日本全国どこにでもあるものではなく、その場所に行かないと出会えないようなサービスや体験を創出できれば良いなと思っています。たとえば十和田には素敵なパン屋さんが見当たらないので、地域の食材を活かしたベーカリーだったりとか、地域の伝統や歴史を体験できるサービスだったりとか。建物などのハード面だけではなく、ソフト面もとても重要だと思います。

── 一級建築士で設計の仕事をしていると、正直な話、新築のほうがお金も儲かるし、効率がよいわけですよね。にも関わらず、空き家に目をつけたのはどうしてですか?

良平 今、アートの街として注目されて観光客が美術館をはじめとした場所に足を運んでくれていますけど、美術館を観終わったあとに訪れるようなところが少ないと思っています。東京にいるときにあった色々な楽しい場所が、十和田にはまだあまりないなって僕自身は感じていて。

宿泊施設も少ないので、青森市や八戸市に行ってしまうひとも多い。一方で、石ころを蹴れば当たるような感覚で空き家は余っているんです。

そこで、空き家を活用して上記のような課題を解決していければ、街という単位で面白いエリアが生れると思いました。また、街の活性化には若いひとも重要だと思っています。空き家を活用することで、新規事業にかかる初期費用を抑えて、若い人が事業を始めるための支援の場になれたらよいなとも考えています。そうして色々なコンテンツが増えてきたら、もともと十和田に暮らしているひとたちも、移住してきた僕らも、観光で訪れるひとも、みんなが楽しくなると思うんです。

良平さん1

若いひとが手を加えやすいような街をつくりたい

久美子 いま実際に、お隣の三沢市で空き店舗を再利用したプロジェクトが進行中です。それこそお仕事をいただいたのは「字と図」の吉田さんが仲介してくださったからなんです。

良平 そうなんです。依頼主は、もともと三沢市の高校に通っていたということで市内にお店を出したいという思いのある方でした。餃子ランチをメインとしたカフェで「ぎょうざかふぇOHAKO」といいます。

── へぇー! おもしろいですね、餃子ランチ。

良平 6月にオープンしたんですけど、お店には授乳室があったり、キッズコーナーやノマドができるスペースもあったりするんです。いろんなひとたちのニーズを満たす場所をつくりたいという依頼主の気持ちに僕たちも共感して、その想いに合うようにサポートしています。

竣工中の建物の模型を見せてもらった
建物の模型を見せてもらった

竣工中の建物の模型を見せてもらった2

OHAKO
店内の写真[撮影]渡部環境設計事務所
OHAKO-6
[撮影]渡部環境設計事務所

── そういうふうに街の中で、自分たちが設計した建物がいっぱいあったらいいな、みたいなことを考えたりもしますか?

良平 いえ、全てが自分たちの設計した建物である必要は無いと思っています。今はお金を抑えながら自分たちのセンスでDIYする方法がいっぱいあると思うんですよね。

あくまで僕らの楽しみは、街が賑わっていくことです。むしろ、画一的にならないように手を加えすぎないほうがよいとも思っています。空き家のプロジェクトは、建築単体の良さだけではなく、まちづくり的な視点で取り組みたいんです。

お子さんソロ

── 良平さんは、なぜ単にご自身の仕事である設計をしていくだけではなくて、まちづくりをやろうって思ったんですか?

良平 十和田市に移住して地域のひとと関わる機会が増えてく中で、東京にいたときよりも「この街に住んでいる」という実感が強くなっていったことがきっかけだと思います。そんな中、建築家として、自分たちがこの地域に対して何かできないかなぁと考えるようになったんです。

今、日本の人口はどんどん減っていて、建物はたくさん余っていて、これからも空き家は増え続けます。そこでまた新しく建築するよりも、あるものを使うほうが今の時代に合っていると思います。

でもひとりの建築家の手によってすべてが計画されてしまったら、今度は個性が消えておもしろみがない街になってしまうんじゃないかと思うんです。

僕たちはこの街に、若いひとたちが来やすいように、手の加える余地やポテンシャルが残っているほうが良いと思っています。先にゴールを決めて計画するのではなく、魅力のある個が集まって、群になり、街になっていく姿のほうが十和田には合っていると思うんです。

そしてこの十和田という街の変化を僕たちもこの街に住んで一緒に楽しみたい。空き家事業はそのために取り組みたいと思っています。

おふたり正面からの笑顔の写真

(この記事は、青森県十和田市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

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