筆者は神奈川県の小田原市という郊外出身。今年で32歳になるのですが、同世代の友人らは結婚していたり子どもがいたりすることも多いです。
どこでどうやって子育てをするのか。
正直なところ、今はまだ当事者でもないし具体的に想像できません。ただ、その場が東京かと問われると、その可能性は低い気がしています。
東京で働くことは好き。
ただ、あまりにひとの多い東京という街で子育てをすることは、不可能ではないけれど想像しづらい。どちらかと言えば自分が育った土地のように、自然が多くある場所がいいかもしれない。今はそんなふうに考えています。
震災をきっかけに子育てのために十和田へ
グラフィックデザイナーの吉田進さんと、ライターの吉田千枝子さん。東京都内でデザイン会社を経営し、一戸建ての家を建てた進さんは「ずっと東京で暮らしていくと思っていた」と当時を振り返ります。
吉田 進(よしだ すすむ)
「字と図」の「図」。グラフィックデザイナー。1976年生まれ。多摩美術大学在学中からデザイン会社に勤務し、フリーランスを経て起業。千枝子さんの第2子の妊娠・出産を機に2013年に十和田市へ移住。市内唯一の酒蔵「鳩正宗」に2年間勤務したのち、退職。夫婦で創作ユニット「字と図」としてイベントプロデュースなどにも活動の幅を広げる。
吉田 千枝子(よしだ ちえこ)
「字と図」の「字」。ライター。1975年生まれ。大学進学のため上京し、卒業後は編集者に。ティーンズ向けライトノベル編集部や映像専門誌編集部などでキャリアを積む。第2子の妊娠・出産を機に家族とともに十和田市にUターン。
震災をきっかけに千枝子さんの地元である青森県十和田市へ移り住み、現在は東京に限らず青森県でのお仕事を中心に活動されています。
そんなおふたりが夫婦ユニット「字と図」として活動をするようになった背景には「子育て」「家族」に対する気持ちの変化がありました。
移住直後、進さんは一時的に十和田の酒蔵「鳩正宗」で働きます。先輩移住者から「デザインの仕事が十和田にないなら違うことをやってみたら?」と提案され、どうせやるならと、まったく違う業界に飛び込み、酒造りを行っていました。しかし、「東京からデザイナーが引っ越してきた」という噂はいつの間にか広まり、進さんのもとにはデザインの仕事が舞い込んでくるようになったのです。
様々な出来事に導かれて至った十和田での暮らしは「すごく豊かに感じている」とおふたりは言います。
深夜まで仕事をするのではなくて、子どもと一緒にいる時間を優先したかったという進さん。なぜそのような思いに至ったのか、これから十和田で子どもたちに何を伝えたいのか、十和田市現代美術館でうかがってきました。
家族といる時間を優先したかった
── 『日々コレ十和田ナリ』と『AOMORI DRAGON KNIGHTS』を読ませていただきました。進さんはもともと東京でデザイン会社を経営されていたんですよね。
進 僕は東京生まれで、バブルの世代を見て育ってきたせいか、家は一戸建て、お金はたくさん稼がなきゃいけない、深夜にタクシーで帰宅するのも当たり前、という価値観で仕事をしていました。
── 僕も前職がデザイン会社だったのですが、いわゆる“広告業界っぽい空気”というのはありますよね。夜遅くに稼働していることは当たり前、みたいな。
進 ひと仕事終わったら、夜中でも「焼き肉食べにいくぞ!」みたいな世界じゃないですか(笑)。それはそれで当時は楽しかったのですが、移住を決めたのは、自分の中で大きな心境の変化があったからです。仕事や周りの価値観に合わせて暮らすよりも、子どもとの時間を優先したいと思ったから。
── 子どもとの時間。何があってそれに気づいたのでしょう?
進 自分の価値観が大きく揺れ動かされたことがふたつあって。まず、東日本大震災です。原発がどうなるかわからなかったから、妻が子どもを連れて東京から沖縄に避難したんです。そのあとも鹿児島、カナダと結局は1年半くらい別々に住むことになりました。
東京で子どもに会えない寂しさと、仕事の忙しさもあって、どんどん自分の中で優先順位が変わっていったんです。仕事よりも家族が一緒にいることのほうが大事なんじゃないかって。
千枝子 私がカナダにホームステイしていたときのカナダの家族の暮らし方を知ったのも大きかったと思います。大学に行きながら子育てをしているみたいな、ちょっとヒッピーみたいなひとたちだったんですけど。
進 その方たちも、僕たちみたいな普通の家族なんですよ? でも、お父さんが「ちょっとお金がないからガソリンスタンドで働いてくる」という感覚で生きているんです。日本じゃ信じられないですよね。
そのあと、妻がカナダから帰国したタイミングで第二子を妊娠をしました。それで、妻の実家である十和田にしばらくみんなで住んで今後のことを考えよう、という話になったんです。
千枝子 でも出産のタイミングで子どもが緊急搬送されてしまって、NICU(新生児特定集中治療室)に入ることになったんです。
進 僕はまだ都内に住んでいて、今後はその子の面倒も見ないといけない、でもそんな状態で子どもを東京に連れてくることは難しい。僕も震災のときからずっと家族と離れていることが辛かったから、十和田に移住することを決めました。震災と子どもの病気、このふたつで、何よりも家族と一緒に過ごす時間が大切だと気づきました。しかしながら、移住後、第二子は亡くなってしまったんです。十和田に導いてくれたのだと思っています。
千枝子 毎日、集中治療室にお見舞いにいくだけでは気が滅入ってくるなと思って、気分転換じゃないですけど、ちょうどいただいた仕事をしてみようと思って。
進 それが「字と図」としての活動の第一弾である「和酒女子」のお仕事だったんです。和酒女子というのは十和田の日本酒好きの女性グループで。そのガイドブック『プラスのまち、十和田 女子たび本』をつくらせてもらったんですね。
千枝子 和酒女子の仕事を、辛い思いもある中でがんばってやってみたら、楽しかったよね。自分も生まれた土地に帰ってきて故郷のことを調べてみて「こんなに変わったんだな」って改めて十和田のことを知ることもできました。
進 当時は酒蔵で働いている時期で、お酒造りをしながら家に帰ってデザインの仕事をする、という感じで結構大変だったんです。でも、あれが本当に今の仕事に繋がっているから、あのときふたりでがんばってよかったです。
子供との時間ができて、精神的に豊かになった
── 「和酒女子」のお仕事が今の「字と図」をつくったんですね。移住して、お子さんと過ごす時間が増えて、気持ちの変化は大きかったですか?
進 東京とまったく違うのは、家で仕事をしていること。会社をやっていたときはお客さんもいるからそういうわけにもいかなかったですけど、今は10分でも15分でも、少しでも時間があれば子どもと一緒にいられるから、すごく豊かに感じています。
千枝子 私は最初、家でふたりで仕事をするのがいやで、抵抗があったんですけどね。家が仕事場になっちゃうと大丈夫かな?という気がしていましたけど、意外に大丈夫でした。いやなときはいやですけど。
進 「いや」しか言ってない(笑)。
千枝子 つくったものに対して「ちょっとそれイケてないんじゃない?」とか言って、変な空気になることもありますけど。
進 でもデザインをする上でも、フィルターとして信頼しているところはあります。つくったものを評価し合えるというのはいいですね。
── 進さんは、お仕事をしながら子どもたちにデザインを教えているという話もお聞きしました。
進 こっちに移り住んで、友だちの子どもやママさんたちと繋がりができた頃に、アートの習い事のようなスクールが欲しいというお話が出てきたんです。僕自身も、デザインは義務教育に盛り込んだほうがいいと思っているくらい子どもに学んで欲しい分野なので。
── デザインは、子どもにどんな力を身につけさせるのでしょう?
進 うまく言えないですけど、ひとつのものを多面的に捉える視点を身につけさせるのではないかと思います。よく言われるのは、昔話の「桃太郎」。あれは桃太郎が中心の世界で主人公なわけですけど、鬼の視点で物語を語ると全然違う世界になりますよね。そういうことを小さい頃から子どもたちに教えてあげたいんです。
十和田に来たときに、ローカルだと進路が決まってしまっていることが多いのかなと感じました。公務員か地元の企業か、とか。でも子どものうちから他の視点や価値観に触れるだけでも将来の選択肢は広がると思うし、僕らのようなデザイナーやライターが子どもたちにできることはそこの手助けかもしれない。
千枝子 知ろうとしないと気づかないからね。東京で家を建てて、周りに合わせて結婚式の予算を決めたり、35年ローンを組んだりすることも本当にそうしたいならありだけど、私たちは周りに流されてそうしてたんです。そうじゃない選択肢もあるってことに気づいたら別のことを選べるかもしれないですよね。子どもたちにしてもそうで。
進 うん。今後は子ども向けのワークショップをたくさん開いていきたいと考えています。
── 子育ての面が充実していくと、仕事の面でもいい影響がありましたか?
進 子どもと過ごす時間を含めて、十和田に来てゆとりができたんでしょうね。仕事面でも、自分自身が楽しめるデザインをつくれているんです。
僕が十和田に来て最初に勤めた酒蔵「鳩正宗」さんのラベルを去年デザインさせてもらったんですけど、そのラベルが「iFデザインアワード2017」という(世界的に有名な)国際コンペで賞をいただきました。これでひとつ恩返しできた気がするので、次はこの地域の伝統文化などにもデザインで関わっていけたらいいなと思っています。
どの分野の仕事もそうかもしれないですけど、いい仕事って東京のトップの人たちがやっていることが多いと思うんです。でも今後は、他の地域に住んでいるひとたちにも、東京や世界中から仕事の依頼が増えてもいいと思います。
千枝子 そうですね。「意外と地方でつくっている地ビールのデザインがカッコいい」とか、そういう時代がやっと来たような気がしています。
進 僕らとしては「必ずしも東京に執着する必要はないんだよ」ってことを知ってもらえる存在になれたら、おもしろいのかなって考えていますね。
(この記事は、青森県十和田市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
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