今から数年前、私(伊佐)は島根県の世界遺産の街・石見銀山大森に本社を置く、ひとつの会社に出会いました。その名は石見銀山生活文化研究所。愛称は「群言堂」です。
「灯台もと暮らし」の地域に根ざす企業特集の第一弾として、【島根県・石見銀山群言堂】を公開したのは今から1年半ほど前のこと。けれど、じつは灯台もと暮らし編集部は、特集公開後もさまざまなコンテンツ作成でご一緒させていただいておりました。
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つい先日も、「長年お付き合いしている静岡県の織屋に取材に行くので、ライターとして一緒に行きませんか?」と打診いただいた私は、二つ返事で「もちろん行きます!」。
本当は以下の記事を書けば、お仕事としてはおわりだったんです。けれど、あまりにもその織屋……「古橋織布」で働く方々がすてきだったから、私はもう1本、彼らの暮らしや仕事の詳細を伝える記事を書きたいと思ってしまって。
この記事を読むために、すこしだけあなたの人生の時間をいただけますか? 伝統と手仕事とともに生きる人生に、私は憧れ始めてしまっているんです。
群言堂と20年以上仕事をともにする織屋「古橋織布」
最初に、古橋織布のお話をいたしましょう。
古橋織布は、昭和3年創業の織屋です。静岡県浜松市は昔から「遠州織物」の盛んな土地として有名。けれど、日本のほかの産地に違わず、ここも現在衰退が続いています。具体的には、かつては1,600件以上あった織屋が、70件になってしまうほど。
織屋の生業は、生地づくり。シャトル織機という旧式の機械を用いて、日々、朝から晩まで布を織り上げています。
シャトル織機は、扱うのに想像以上に手間がかかる機械。毎日油をさしたり、止まってしまったら様子を見たり……。最新の織機だと1日あたり平均300〜400メートルほどの生地を織り上げられるところ、シャトル織機だと30〜40メートルほどが最大の生産量。
とはいえシャトル織機を使えば質の高い生地が織れるのかといえば、そうじゃない。古橋織布では、長い年月をかけてシャトル織機を独自に改良。様々な試行錯誤と職人技をかけあわせながら、空気を織り込んだようなふんわりとした風合いの独自の生地を完成させました。
その古橋織布が作る織物の中でも、群言堂が惚れ込んだのは「綿スラブローン」という生地です。触れた瞬間、肌に吸い付くような風合いで、どこかひんやりと感じさせるその生地は、さらりと着たい夏の日常着にぴったり。
そのままの生地では透けやすいから、群言堂の所長・登美さんは大好きな柄で染め上げます。今夏、群言堂が行っている「綿ローン祭」では、20年以上毎年作り続けてきた綿スラブローンのシリーズの中でも、特に好評だった3柄を復刻させました。
現当主・古橋敏明さんの後を継ぐ若者たち
でも私が素敵だなと思ったのは、古橋織布の志や技術、プロダクトとしての生地だけではありませんでした。
一番心惹かれたのは、その工場にたくさんの若者が集い始めていたこと。
以下の記事にも登場していますが、東京からIターン移住して入社した濵田美希さんを始め、当初は戻ってくる予定ではなかったというじつの娘の西井(旧姓・古橋)佳織理さん、夫の西井進さん、そして2017年4月に入社したばかりだという府川容子さん。
彼女たち20〜30代の新しい社員が、この6年の間に新しく古橋織布に仲間入りしたのです。
「どうして?」と私は聞きました。やっぱり、気になるじゃないですか。素晴らしい伝統と技術があるのに、「跡継ぎがいないんだ」と悲しそうに話す職人さんたちの表情や後ろ姿を、灯台もと暮らしの仕事を通じて今までたくさん見てきたから。
職人さんと一緒に、現場で働きたいと思った
もともと祖母が内職の洋裁仕事をしており、身近に工業用ミシンがある暮らしが日常。それが高じて自身も針仕事が好きになり、高校・専門学校とテキスタイルやファッションを学び続けてきた濵田さん。
「自分の好きな織物やモノ作りを仕事にしたいという気持ちがありました。でも、漠然と『パソコンや机に向かって作業するのはモノ作りじゃない』という想いも抱いていて。学生時代に自分でアポイントをとって、全国の産地をめぐる活動を始めました」
「職人さんと一緒に働きたい」という想いを持った彼女は、静岡県で古橋織布に出会います。
現当主・古橋敏明さんの印象を聞くと、「かっこいいというよりも、かわいい(笑)」。最新の織機を導入した方が、どう考えても生産性も効率もよいのに、まるで古い老舗のレストランの味を守るように、伝統と技術を大切に黙々と作業を続ける古橋さんが彼女はとても大好きなようです。
もちろん一人の女性としても、地域にたくさん友だちを作って毎日を楽しんでいらっしゃいます。Facebookの友人リストは、いつの間にか東京よりも静岡居住者の方が多くなってしまったのだとか。
地元を離れて、改めて実家ってすごいんだなって
どこの娘もそうかもしれませんが、古橋家の実の娘・佳織理さんは「高校卒業後はできるだけ早く実家を出たかった」のだといいます。
家族の反対を押し切って、興味のあった語学を学ぶため、大阪の大学の英語学科に進学。就職もそのまま大阪の鉄鋼業へ。日本のよいモノを語学を通して海外に伝えたいと、海外営業を担当します。
けれど、ある時実家の母から「海外からの発注メールを訳してほしい」「どう返信すればいい?」など、海外取引の英訳依頼をぽつぽつと受けるようになります。
実家が織屋だということはもちろん知っていたものの、どんな仕事内容で、どんな取引先を持っているかはまったく知らなかった佳織理さん。
「海外に誇れるモノ作りをしていたのか」と少しずつ家業を見直し、ちょうど将来を考える時期にさしかかっていたこともあり、当時お付き合いしていた男性と一緒に静岡県に戻ることを決心します。
おもしろそうだと思った。新しいことにチャレンジするのが好き
佳織理さんと同い年で、当時「転職の時期なのでは?」などいろいろと進路に悩んでいた夫の西井進さん。
同じ会社の同期だったため、繊維業界にはまったく馴染みなし。けれど「もともと新しいことにチャレンジするのが好き」という性格もあいまって、「楽しめるのではないか」と静岡にやってきました。
佳織理さんも進さんも、「このまま何事もなければ私たちが古橋織布を継ぐはず」と笑います。けれどそこには「私たちが継がなければ」という必要以上の気負いは感じられません。
「だって、伝統とか技術とか、後から知ったから」。
そう言いながら、目はしっかりと工場や技術を追っています。進さんは70代の職人・渡部さんからシャトル織機の手入れや扱い方の技術を盗む毎日。佳織理さんは、会社の現状と将来を見据えながらの、営業や企画全般を担当します。
夫婦ふたりの仕事上の関係性は、前職時代から佳織理さんが仕事をとってきて、進さんが生産管理をするというスタイルから変わりがないそう。なんだか息がぴったりに見えて、私は嬉しくなりました。
(ちなみに佳織理さんと進さんは伊佐と同い年生まれ。私が1度目の転職を決めたのも、彼らが実家に戻ることを決めたのも26,27歳くらいだったというから、やっぱりこれくらいの年齢ってみんな生き方に迷うのかしら?)
「へ通し」がつないでくれたご縁。この街に「伝える場」を創りたい
さて。4人目の府川さんは、古橋織布にとってもっとも新しいメンバーです。
もともと静岡県内で、別の仕事に就いていた府川さん。偶然、織物の生産工程を見る機会があり、そこで織機に縦糸を通す「へ通し」という作業に魅せられました。
「へ通し」とは、シャトル織機の取扱に必須の作業。けれどそれゆえにどの工場でも発生する作業ではなく、府川さんは「へ通しが実践できる工場はどこか」を探した末に、古橋織布に出会ったのだといいます。
じつは、20代は日本以外の外国で過ごすことが大半だったという府川さん。まだ「よその国におじゃましている」感覚もぬぐえない気がするそうですが、だからこそ遠州織物の魅力も際立って見えるよう。
高齢化・跡継ぎ問題に苦しむ日本の産地において、「たまたまだけれど、自分が浜松市に行き着いたのならば、自らの手で伝統を継ぐ環境を作りたい」と想いを語ります。
「Oriya」の誕生と、古橋織布のこれから
さて、そんなメンバーが集った古橋織布。最近、新しい動きが始まっています。
ここから以下は、少し群言堂公式サイトの文章を引用しましょう。
濵田さんを始め、若い世代が抱いた疑問は、「こんなに素晴らしいモノ作りをしている場所なのに、どうして静岡の人たちはそれを知らないのだろう?」ということ。
地元でたくさんできた友だちや知り合いに、「織屋で働いている」「生地を作っている」と話しても、なかなか具体的な仕事のイメージを持ってもらえなかったそう。
浜松市が、遠州織物の産地であることをあまり意識せずに暮らしている人も多いように感じたとか。
「このままではいけない」「もっと多くの人に織布を身近に感じてほしい」と作り出したのが、新ブランドの「Oriya」。古橋織布の技術を使って織り上げた生地をバッグに加工し、おばあちゃんの家でとれた甘夏など、地元で収穫した野菜や果物の染料で染め上げました。
若者のアイディアが詰まった浜松市発の新しいブランドは、年齢や性別を超えて、たくさんの人に届き始めています。(引用:群言堂公式サイト「伝統あるモノ作りを次世代に継いでいきたい」より
地元に根付き、古橋織布の仕事をするうちに自然と抱いた疑問。そこから生まれたのが「Oriya」でした。
私も、彼女たちが作ったバッグをついつい購入してしまいました。
「ごぼうで染めた水色がいいかな」「レインボーのチェックがいいかな」と思ったけれど、私のライフスタイルとキャラだと、ちょっと浮いちゃう……でもチェック柄も、とってもかわいかったです。
最近では、ブランド「Oriya」開始だけでなく、ほかの繊維産地の若手後継者とコラボして、若い世代向けのラメ入り生地の共同開発をすることも。ほかにも「Oriya」ブランドのシャツを作ったり、地域にモノ作りの担い手を増やすような拠点づくりがしたいなど、それぞれやりたいことはたくさん。
佳織理さんからは、「新しいことに挑戦するだけではなく、父・敏明の頭の中にしかないものをデータ化=残すことも優先しないと」という言葉も。私には彼らの存在や想い、まなざしそのものが、「衰退の一途をたどる」と表現されがちな産地の未来を築いていくように思えました。
この取材には群言堂所長であり、古橋織布の生地を採用し続けてきた張本人の登美さんも、現投手の古橋敏明さんも一緒に同行してくださったのですが、みな「未来しか感じない」と笑顔でした。
群言堂が数十年の時を超えて応援し続け、残したいと願ってきたものーー。その具現化は、こういった形で起こるのか、と思えた時間です。
灯台もと暮らしも、モノ作りや雇用を応援していきたい
灯台もと暮らしで、「一体これから先何ができるのかしら?」と私たちも日々考えています。
でも、こういう工場が、日本にすこしでも増えたらいいなとは思うんです。きっとあと数年で、取り返しのつかない伝統の喪失の時代に突入してしまうと思うから。いえ、すでにもう、失われてしまったものもあります。
繊維やモノづくり、この記事を読んでくださっているあなたは興味、ありませんか? 古橋織布さんや群言堂さんのような存在を、私たちもできる限りの力で応援していきたいし、応援しあえるような関係性を、築けていけたらいいなと思っています。
まずはもしかしたら、「知ったり」「買ったり」することが一歩なのかもしれないと思う。私自身も、最近「作り手の顔が見えるモノ」をたくさん購入してみています。
気になったら、気軽に群言堂や古橋織布のサイトを訪れたり、応援メッセージを送ったりしてみてください。そこで働く未来がもし描きたいと思ったならば、灯台もと暮らし編集部にも、ぜひ一度ご相談くださいね。
文・伊佐知美
写真:タクロコマ
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