2016年、ダンス、演劇、音楽劇などのパフォーミングアーツが好きな私(編集部・立花)は、「私はアートで救われるのか」という問いを掲げて様々な方に取材を行いました。
その結果、私自身が救われた経験があるからこそ、その経験を誰かと共有したいということが分かり、同時に次なる疑問がわいてきました。それは「私はアートで誰かを救えるか」。アートという表現方法を通して、誰に何ができるかを考えます。
宝石問屋が並ぶ、東京都台東区の御徒町駅付近。代々商売をしているひともいれば、新たに工房やショップを開く方もいて、今でも活気が絶えません。
その御徒町駅から徒歩5分ほどのところに「ご近所♥ギャラリー 吾郎」というギャラリーがあります。
今回、そこでお話をうかがったのは一般社団法人ノマドプロダクションの代表理事・橋本誠さん。地域のアートプロジェクトの企画・運営をはじめ、イベントのアーカイブまでを担うお仕事をされている橋本さんに、地域でアートを展開する際の視点と醍醐味のリアルな部分をうかがいました。
本質を理解するだけでなく“何が起こるか分からない”おもしろさを探りたい
── こちらのギャラリーは、ノマドプロダクションさん主催のギャラリーなのでしょうか?
橋本 誠(以下、橋本) ここは、もともと青山吾郎さんという男性が住まれていた建物です。吾郎さんはもう亡くなってしまったんですが、町会長をされていた、この地域では有名な方でした。1年半ほど前から親族の方が、「ご近所♥ギャラリー 吾郎」という名前で写真や絵の展示をされているのですが、たまにこうして僕らもお借りして、展示やイベントを行なっています。
── 先日は、上野の銭湯「燕湯」さんでイベントを行っていらっしゃいましたね。
橋本 基本の仕事は、地域のアートプロジェクトの企画・運営のお手伝いや、そういった現場で動けるアートマネージャーを育成するための勉強会や講座を開くことなどです。また、各プロジェクトを記録するための動画や冊子づくりもおこなっています。
今回、ここでの展示や燕湯さんでのイベントは「生活と表現」というプロジェクトの一貫で開催しました。僕らの事務所や、講座の仕事をしているアーツ千代田3331がすぐ近くなので、僕らの生活の拠点エリアなんですね。
── どういったプロジェクトなのでしょうか。
橋本 アートというと一般的に美術館やギャラリーなど、いわゆるハコモノと呼ばれる場所でしか作品を見られないイメージが強いかと思うのですが、もう少し日常に近いところで触れられるものを届けようと思って始めました。
町の喫茶店や中華屋さんの協力を得て、お店のエピソードなどを取り入れた作品の展示を行ったり、燕湯さんではスイッチ総研(*1)が銭湯を舞台に、実際にあったらおかしい小話のような演劇パフォーマンスを開催したりしました。
(*1)スイッチ総研:スイッチを押すと始まる3秒〜30秒の演劇「スイッチ」を専門に上演する団体。日本各地の芸術祭や演劇祭に招聘され、その場ならではのスイッチを研究開発上演している。公式サイト
── 地域で開催されているアートイベントって、今とても増えているように感じます。
橋本 そうですね、たくさんあります。
── ハコを飛び出して、地域でアートを展開する醍醐味って、橋本さんは何だと思われますか。
橋本 アーティスト自身や、アートイベントを仕掛ける側が予想していなかった方々に見ていただけるのが、地域でアートイベントをやるおもしろさだと思います。
アート好きな方や、普段まったくアートに触れない方々にまで見てもらえるとなると、発表の仕方や考え方がすごく変わってくるんですよね。
作品をつくって見てもらって終わり、ではなく観客とアーティストがコミュニケーションをとって一緒に作品をつくっていく表現も生まれてきて、これがかなりおもしろい相乗効果をもたらすことがある。作品づくりに関わってくれた方の生活にもアートの存在が作用することもあります。
日常にアーティストがいたり、作品づくりをしている人々がいたりすることで、地域の営みのひとつとしてアートが存在感を発揮する状態は豊かだと思います。
── 地域のアートイベントなどを見ていると、日常とアーティスティックなものは明確な区切りがなくて、なだらかなグラデーションになっていると感じます。
橋本 アートを日常と差別化できるように言葉で説明すべきシーンはあるのですが、僕自身は全てのひとに対して「アートとは」というふうに境界を明確にして、それを全員で共有しなければならないとは思っていません。地域に開かれたアートは、例えば近所の、アートに興味がない子ども達やお年寄りの目にも触れます。必ずしもそういった方々に「アートとは何か」と本質を理解するよう促す必要は、僕はないと思う。
── アートを生業にしている方と、アートに触れたことがない方々とをつなぐ場所に、橋本さんはいらっしゃるんですね。
橋本 スイッチ総研の銭湯公演をコーディネートする上では、そのグラデーションの中にいるんだなということを、強く実感しましたね。彼らにしっかりとした作品をつくってもらいたいと思うことと同時に、僕は燕湯さんの常連でもあるので、銭湯の女将さんとどうコミュニケーションすべきなのか難しいこともありました。
スイッチ総研ファンはたくさんいるのでチケットは売れるのですが、ファンの方しか来ていただけないのは、あんまり意味がない。だから、燕湯さんにもチラシを置かせていただいたり、常連さん向けに割引価格を決定したりしました。銭湯も美術館とかと一緒で、セミクローズドじゃないですか。
── そうですね。誰にでも開かれている場所だけど、そこを目指して来たひとしか中に入らないという意味では似ていると思います。
橋本 このご近所ギャラリーも、昔から地域にいる方にとっては馴染みのある場所かもしれませんが、あくまでギャラリーなのでなかなか中に入ってもらえないんですよ。でも実は、外からはしっかり見られていて。
僕がクリーニング屋さんで領収書を切った時「ノマドさん、知ってるよ。吾郎さんのところで何かやっているよね」だとか、偶然居酒屋でお話しした方が「毎日通っているところだ!気になっていました」とか(笑)。
宣伝活動をする時も、地元の方に対しては「吾郎さんの所をお借りしてるノマドの橋本です」っていうところから会話が始まる。お互いの共通言語はアートではなく、すでにある地元のコミュニティやひと、場所なんですね。
橋本 こういうふうに生活とアートが、線引きできない時もある。でもそれは、僕たちが拠点を持っているからこそ生まれるリアルだと思うんですよ。全然生活と関係ない土地でやっていたら、こういう会話や関係性は生まれづらいんじゃないかなって。
だから、あえて曖昧な状況の中で、おもしろい表現が生まれるかどうか知りたいし、その瞬間に立ち会いたい。僕みたいな立場のひとがいなくても、今は地域の中でアーティストになりたい方とか、地域おこし協力隊として特定の場所やコミュニティに入っていくアーティストも多いです。ひとつずつの動きは大きくないこともあるし、アートと呼べるものか分からないけれども、新しいプロジェクトが様々な土地で始まってきている流れは、おもしろいなと思います。
大事なのは「誰に何を見てもらうのか」
── 地域おこし協力隊の話題が出ましたが、私自身が4月から北海道で協力隊になるのです。アートや編集という手段で、何かできないかとぼんやりではありますが、考えています。同時に、各地域の文化や歴史に興味があるため、いつもそこに着目するのですが、橋本さんがアートプロジェクトをやる上でそういった歴史的背景などを考慮されることはあるのでしょうか。
橋本 アートプロジェクトをやる上でよく考えるのは「誰に何を見てもらうのか」ということです。「誰に見てもらうのか」ということが考えられていないと、プロジェクトやイベントを実行すること自体が目的化していて、誰と関わっているかが見えなかったり、活動を通してやりたいことが何なのか分からなくなったりするんですよね。あとは、アーティストが一人で作品をつくる完結型なのか、誰かと関わりながら一緒につくるのかによっても、状況は変わると思います。
僕が最初に街に出てアートプロジェクトを行なったのは、横浜の寿町という街でしたが、初めは誰が、どういうひとに向けてプロジェクトをやるのがいいか手がかりが何も掴めなかったんです。だから「どうしよう」って思っていたんですけど、アーティストが「街へ通う口実をつくりたいから、作品づくりをするんだ」だとか「出会ったあのひとに作品を見せたいんだ」だとか、それぞれの活動に意義を見出していたり。アーティストが集まる状況を見て「なるほど」と思ったんですね。
── アーティストたちが集まる現象自体に「なるほど」と思ったということですか?
橋本 アーティストたちが関心を持つポイントって、本当にそれぞれなんですが、寿町に関しては地域に暮らすひとに興味を持ったアーティストたちがどんどん入って来ていたんですね。作品のおもしろさというよりも、アーティストが集まるスピード感や、集まってくる状況そのものが、おもしろいなぁって。
── 寿町へ移り住んだり住み込みで制作をしたりしていたアーティストたちは、表現欲求を発散させる場所だけではなくて、地元のひとと繋がりたいなどの別の欲求があったのでしょうか。
橋本 そういった方々もいたと思います。地域に入っていくために、表現欲求を抑えていた方もいましたね。
寿町に限らず、最初に地域に入っていくときは、生活の場を作品の発表をする場所としては考えていないケースもあります。でもやっていくうちに「この作品をあのひとに見てもらいたい」とか「ここでつくった作品を、もっと外のひとに見て欲しい」とか、アートプロジェクトを「誰に向けて行うか」をおのずと考えるようになると思います
橋本 地域の歴史や文化からアプローチして「じゃあ誰々さんというアーティストを呼んで、こんなコンセプトの作品をつくってもらうのはどうだろう」とアプローチしていく場合もあります。最初から、こういう場所でこれをやってくださいって決めてしまう方が簡単です。ですが、何が起きるのかある程度予想できてしまい、おもしろくないんんですよね。
状況って生ものでリアルに動いている世界だから、“誰に向けて何をつくるか”は変わっていくのは必然だと思います。当たり前だけれど、プロジェクトをやりたいひとたちだけの都合では、何も決められません。たまにはご近所付き合いのように、段階を踏んで作品を育てていくことも、アートの表現と言えると思うし、思ってもみなかったものが生まれることがあります。時間と手間はとてもかかるけれど、そういうものが、それこそ誰かを救えるんじゃないかな。
── 完成品を、ドカンと地域へ持っていくこともあるけれど、橋本さんがおもしろさを感じられるのは、長期的に作品をつくりあげるプロセスそのものが、アートとして表現になりうるというところなんですね。
橋本 そうですね。
あとはいくつかのプロジェクトを実施して思うのは、課題を抱えている地域に惹かれるアーティストって多いのかもなということ。アートは問題を直接的に解決する手法ではないですが、人口減少とか財政難とか一目瞭然の課題がある場所で何かをつくる方が、表現としての分かりやすさはありますよね。
でも、まだ誰にも気づかれていない、潜在的な魅力や課題に気づいて、リアルに地域に入り混んでいるひとほど、実はすごいんじゃないかとも思いますよ。
── 誰にも気づかれていない課題……。
橋本 何もない地域って、じつはないと思うんですよね。問屋街を抜けたこの辺り(東京都台東区)も、見た目はただの雑居ビル街ですけど、上層階には昔から住んでいるひとがいて、文化やコミュニティがある。
そんな感じで「何もないんじゃないか」って思われているところに、何かを見出すアーティストの方がやるなって思うし、何もない、そういう場所で新しいものを生み出せるのは、すごいなって思いますね。
アートを通してひとは救われもするし堕落もする
── 今回、「私はアートで誰かを救えるのか」というテーマを立てて、橋本さんのところへ参上したのですが──。
橋本 恐ろしいテーマですね(笑)。
── 一筋縄ではいかないテーマだと、自覚しております(笑)。yes/noで答えられるものではないと思うのですが、橋本さんがプロジェクトを遂行する中で、手応えを感じた瞬間はありますか?
橋本 「救う」という言葉は、すごく強いですよね……だからはっきり「救えました!」と言うのはなかなか難しいです。
ただ、アートプロジェクトが社会包摂になったり社会関係資本をつくるきっかけになったりすることは、よく議論されていて、何かイベントを開催することで参加者に「ここは、あなたが居ていい場だよ」って伝えられたり感じてもらえたりしたなら、それは広義で救えているって言っていいのかもしれません。
そんな、ある種“やさしい”アートの場がある一方で、ひとをドラスティックに変えてしまうほど強い表現も、あると思います。僕もそういう作品に出会ったからこそ、この業界に入って来ました。そういうものばかりやっているわけではないけれど、誰かの人生を変えてしまうレベルのアートや表現は確かにあって、それらは必ずしもひとを救っているとは言えないかもしれませんね。見ようによっては救っているけれど、堕落させる場合もあると思う。
そう言う意味では、アートは手法を間違えると危ない薬になることも、時にはあると思います。
── そうですね……確かに私も救われた部分がある反面、何か社会的なレールのようなものから大きく逸れた感じはします。それをアートのせいにはしていませんし全然後悔もしていないし楽しくて仕方ないのですが、アートが何かのきっかけにはなっているかもしれません。
橋本 おもしろさと難しさは表裏一体ですからね。先ほどの課題解決の話で言うと、地域に根を張って作品をつくるコミュニティアートのようなものばかりだと、ただのサービス業のような状態になってしまって、続けることが苦痛になってしまう場合もあるんです。
今までは、僕らはプロジェクト単位で出かけて行って仕事をすることが多かったのですが、どこかに根を張って、小さな場所でもアートと地域のどちらのミッションにも答えられるような活動をするのもおもしろいのではないかと思っています。だから、おもしろさと難しさの両面を、考え続けなくちゃいけない。
今日本で増えている行政主体の芸術祭やアートプロジェクトの多くは、実行委員会単位で実施されているので、定期的に続けられているうちはいいと思うんですけど、終わってしまうとそれらの立ち上げ時期や運営段階からの資料とか情報が全てなくなってしまう可能性があります。過去のプロジェクトのことを知りたくても、どうすればいいか分からなくなるかもしれない状態です。
── もったいないですね。
橋本 もったいないし、すごく辛いです。アーティストの作品はもちろん自分たちの活動や仕事が残らないということですから。
だから僕らも自分たちが関わる過去のアートプロジェクトだけでも、しっかりとアーカイブしていきたい。そのためにも拠点が必要だから、「ノマドプロダクション」なのに、今は場所が欲しい(笑)。そうすれば、地域の課題解決の過程とアートの表現がもっと見えるようになるのではないかなと思います。
お話をうかがったひと
橋本 誠(はしもと まこと)
1981年東京生まれ。アートプロデューサー。横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程卒業。ギャラリー勤務を経て、2005年よりフリーのアートプロデューサーとして活動をはじめる。2009〜2012年、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)に所属しプログラムオフィサーとして「東京アートポイント計画」の立ち上げを担当。都内のまちなかを舞台にした官民恊働型文化事業の推進や、アートプロジェクトの担い手育成に努める。2012年より再びフリー。主な企画に都市との対話(BankART Studio NYK/2007)、The House「気配の部屋」(日本ホームズ住宅展示場/2008)、KOTOBUKIクリエイティブアクション(横浜・寿町エリア/2008~)。共著に『キュレーターになる!』(フィルムアート/2009)、『アートプラットフォーム』(美学出版/2010)、『これからのアートマネジメント』(フィルムアート/2011)、『現代アートの本当の学び方』(フィルムアート/2014)など。Tokyo Art Research Lab事務局長。ノマドプロダクション公式サイト
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