ダンス、演劇、音楽劇などのパフォーミングアーツが好きな私(編集部・立花)が掲げた問は、「私はアートで救われるのか」。「私は何者なのか」という不安や焦燥感、そして「何を言ってもどうにもならない」という社会のぼんやりとした諦めと閉塞感から脱するために、アートが今できることや、アートが必要な意味について、学びます。

私の地元である静岡に、演劇専用の劇場である「SPAC – 静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center 以下、SPAC)」があることを知ったのは、じつは最近のことでした。

毎回、「私はアートで救われるのか」という問を投げかけるのは、正直ちょっぴり怖くて不安です。でも、地元である静岡ならば心強い気がして、思い切って取材依頼させていただいた、SPAC芸術総監督の宮城聰さん。SPACの受付に到着すると、快く手を振り出迎えてくださいました。

宮城さんのお話をうかがった、約1時間。私がこれほど演劇に心をつかまれた理由や「救われたい」とこわばっていた心が、ゆっくりほどけていく心地がしました。

私たちを縛る言葉・集団・肉体

宮城聰(以下、宮城) わざわざ東京から、ありがとうございます。

── いえ! とんでもないです。静岡は地元ですので……。しかもこのグランシップ自体、中学3年間ずっと電車の窓から見ていた景色だったので、馴染み深いんです。まさか地元にこんな所があったとは当時はまったく存じ上げなかったのですが、改めて取材させていただけることになり嬉しいです。

グランシップ
SPACが拠点を構える施設「グランシップ(静岡県コンベンションアーツセンター)」。この建物の先端部にSPACの専用劇場がある

宮城 あぁ、そうだったんですね。

── 今回、「私はアートで救われるのか」という抽象的なテーマなのですが、宮城さんのお話をうかがいたく、参上いたしました。よろしくお願いいたします。

宮城 よろしくお願いします。このテーマを見たとき、あるひとが、演劇に限らずアーティストというのは自分がアートに救われた経験を持っているからアーティストになったんだと書いていたのを思い出しました。たしかに、僕もそう思うなぁと共感しましたね。ただ、アートによって救われたひと同士はアートの必要性をわざわざ言葉にして確かめ合わなくてもいいけれど、そうでないひとにアートの必要性を説明するのって、なかなか難しい。

自分が救われたという経験を基盤に立っていると、その基盤を持たないひとにどういう言葉を使えば理解してもらえるのか、とてももどかしいですね。

── はい。

宮城聰さん

宮城 アートの中でも演劇は、特に日常生活に近いものだと思っていて、だからこその救いがあると考えています。僕はよく「演劇は地上的だ」と表現するのだけれど。

── 地上的?

宮城 僕らが日々生きていく中で受けている制約を、演劇はだいたい引き受けているんですね。その制約というのは言葉と集団と肉体。この3つの鎖が、僕らの日常を縛っている。

たとえば絵を描いたり作曲をしたりする作業は、言葉を使わなくても一人でやろうと思えばできる。でも演劇は、集団でなければできない。それから言葉を使わなければいけない。そして、肉体も駆使する。映画は集団でつくりますし、言葉も使いますが実際に観客に手渡すタイミングでは、肉体はいらないですよね。

言葉と、集団と、肉体。これらのどれか1つからでも解放されたら、僕らはどんなに楽だろうかって思うんです。寝ている時に見る夢は、まさにそれですよね。肉体から解放されているから、どこへでも自由に飛んでいくことができる。言葉も、「愛する二人に言葉は要らない」って言うでしょう。言葉なしに分かり合えた瞬間があると幸せな気持ちになりますよね。

── そうですね。いちいち伝えなくても分かり合えたら、どんなにいいだろうと思います。

宮城 気持ちを全部言葉にしようとすると、なんかズレていくような気もするじゃない? 「美味しい」という感覚は、体験するだけで十分幸せなのに、言葉にしたとたん、感動のすべてを表しきれないもどかしさを感じたりする。

集団は、もう言うまでもないですよね。僕らのストレスのほとんどは、集団によるものだと思います。誰かとともに生きていかなければならないことによる、ストレス。

この3つのどれか1つからでも解放されていれば、地面から飛翔できるんだけれど、演劇はその全部を使わなければならないから、「地上的」と呼んでいます。演劇は上演中も、日常を生きているひとが立っている地面と同じ場所に足をつけて表現しなければならない。けれど「地上的」だからこそ、演劇を通して得たものは日常に“お土産”として持ち帰ることができるのではないかと思っているんです。

演劇で思い知るのは、「分かり合えない」ということ

── 日常へのお土産というのは、どんなものなのでしょうか。

宮城 僕らを日常に縛り付けるこの3本の鎖を意識して突き詰めていくと「僕ら人間は一人きりだ」という孤独を強く感じるようになるんです。当たり前かもしれないけど、人間は一人では生きていけない生き物ですよね。言葉も集団で何かするために必要なもの。ひとが集団として生きていくことを考えれば考えるほど、孤独というものが浮かび上がってくる。演劇は、この孤独を浮かび上がらせるのに適したツールなんですね。

── 演劇を通して「私たちは一人きりだ」という孤独を知ることが日常生活へのお土産、ということでしょうか。

宮城 そうです。ただ、孤独だと思い知る時に絶望しないで済むのは、3つ目の鎖である肉体があるから。演劇は肉体も使う芸術だからこそ、孤独を露呈させるけれど、救いにもなるんだよね。肉体という最後の防波堤があるおかげで、ギリギリ孤独に近づける。

何故かというと、肉体は、自分ひとりでは絶対につくれないものだからです。親が必要だというだけではなくて、2億年続いている人類の進化の過程がないと、僕らの肉体は生まれ得ない。頭の中で考えるイマジネーションや知識は、自分一代のものと言ってもいいのかもしれないけれど、肉体は2億年くらいつながっているわけです。最後の最後で、そのことは救いになってくれる。どんなに孤独であっても、みんな同じhuman being(人間)という生物だという、揺るぎない事実を共有できるんです。

── 確かに「考え方は違っても、みんな同じ人間じゃないか」という意識に変えられれば、違った価値観と出会ってもうまく対面できそうです。肯定できなくても「違う」ということをありのまま受け止められるような気がしますね。

宮城 たとえば言葉と集団だけだと、孤独に蓋をできるんです。肉体がない世界というと、バーチャルやネット上が分かりやすいかもしれません。分かり合える仲間だけでまとまることができますし、分かり合えないひとは徹底的に排除できます。なぜなら、物理的に目の前にいないから、いくらでも無視できる。でももし身近に「圧倒的に意見が合わない」というひとがいたら、無視できませんよね。肉体は、そういう意味で「分かり合えない」という孤独を露呈させてしまうんです。単純に言うと、肉体があることで、いかにひとが自分と違う考えを持っているかがさらけ出されてしまう、ということです。でも、肉体があるおかげで、隣にいるひと、目の前にいる相手が「同じ人間だ」と信じることができるんです。

── 孤独だという感覚を共有できるのは、みんな人間だから、ということですね。

宮城 矛盾しているようですが、演劇は孤独を突き詰めることで、自分は一人じゃないということを発見できる道具とも言えます。日常生活では、孤独であることを突き詰めたくないので、隠蔽したりごまかしたりすることに一生懸命になりがちです。でも隠蔽すればするほど、孤独ってふくらんでしまうんですよね。そこから抜け出すのって難しい。

僕らも芝居をつくっていると、何年も一緒にやっているメンバーなのに「なんて分かち合えないんだ」ということを思い知ります。それでも一緒に続けられるのは、同じ肉体を持った人間だという防波堤があるからかもしれません。

宮城聰さん

多様性を受け入れられない地域は衰弱する

── 今まで私は、なぜこんなにも演劇が好きなのだろうと考えていたのですが、宮城さんの今のお話をうかがって、その理由が分かった気がします。

宮城 「私たちは孤独で分かり合えない」という感覚は、日常生活では避けがちですからね。でも揺るぎない真実。この真実と向き合う力を得るのに、演劇はとても大事なはたらきをしていると思います。

ちょっと余談になりますが、エリザベス女王の時代に、シェイクスピアの演劇を見に来たひとって、王様もいれば庶民もいたんです。1つの劇場で、価値観の違うひとたちが、同じ演劇を観るという状況だったんですね。小さな田舎で生まれた演劇は共同体を統治する役割、つまりみんなが1つの価値観を共有して安心する作用があった。一方で都市の演劇というのは、価値観がみんな違うということを露呈させていくものなんです。

宮城聰さん

宮城 都市で生まれた演劇は、全然違う価値観のうちどれも否定されることなく、並列のまま終わるパターンが多いです。そうすると芝居を観終わったあと、「僕と全然違うものを大切にしているひとがいるんだなぁ」という感想を持つ。優劣をつけず「違うんだなぁ」という感覚を共有したところで終わる。その「違うんだなぁ」という状態で終わるのがなぜ大切かというと、価値観の違うひとたちと生きていく知恵を与えてくれるからなんですよね。私にとってはコレが一番大事なのに、隣のひとにとっては違うものが一番大事だという場合、どうやって生きていけばいいのか。嫌だから排除しようとか、塀を建てて行き来できないようにしようとかではなく、違う価値観を持つひとがいる日常を楽しむにはどうしたらいいか。それを考えられるようにするのが、演劇の役割だと思っています。

── 宮城さんは、いま静岡のSPACを拠点にされていますが、SPACの演劇というのは都市的な演劇になるのでしょうか。勝手な感覚ですが、静岡は田舎的価値観というか、「共通する価値観」を大事にしたいという気持ちが強いような気がしますが……。

宮城 「わざわざ伝えなくても、大事なものは分かっている」という感覚は、東京とか神奈川に比べたら強いかもしれませんね。でも昔の共同体と違うのは、静岡で一見のどかな暮らしをしている中にも、必ず「僕はちょっと違う」と思っているひとがいるということです。うまいこと周りに合わせているように見えても「僕は浮いているような気がする」っていうひとがいる。そういうひとは、静岡を出て行ってしまうんですね。

静岡に居続けると、周りと違う価値観を隠さなくちゃと思うけれど、東京に行けば、いろいろなひとがいるから楽になる。SPACの事業で、中高生を招くことがあるのですが、僕の感覚では、このままでは息が詰まるのではという子は、結構いる気がします。

── 私も息が詰まったタイプだったので、分かります。

宮城 一見のどかで牧歌的な地域だとしても、その中で合わせられないひとはいて、そういうひとは流出してしまうと思うんですね。でもそれって、静岡にとっては大きな損失で。そういうひとたちこそ、静岡に残って「いや僕はこう思う」とか「私は違うと思う」って言ってくれないと、厳しい言い方ですが、その地域はだんだん衰弱していくのではないかと思います。

── 自分の存在や価値観を、理解してもらえなくてもいいからせめて許容してほしい。でもそれを望めないのなら、出て行くしかないですね……。

宮城 これは世界中のどの地域でも言えることだと思うんだけれど、多様性を拒否して、単一性というか、そこにしがみついて生き残るのは、この先不可能だと思います。多様性って、ひとの数だけあるわけだから、増えることはあっても減ることはないわけで。現状のままということもありえない。親子の間ですら、多様になっていく。そうすると多様性とどうやって付き合うか、どうやって受け入れるかを考えないと、許容できない場所からはひとがいなくなっていくだけ。暮らす人々の価値観が違うということを思い知りつつも、共存する知恵を獲得しないと、地球上のどこの地域も未来はないと思います。

── けれど、違う価値観を受け入れられない、もしくは受け入れたくない人々が暮らす地域は残り続ける気がします。それは、どうしてでしょうか。

宮城 自分の中に押し殺していた違和感が、見えてきてしまうからじゃないかなぁ。知らない・見えないうちは、現状に満足、あるいは我慢できるんだけれど、違う世界があると知った途端、「自分たちと違うもの」が気になってしょうがなくなってしまうんですよね。人間のおもしろいところなんだけれど。

── 演劇は、そういう違和感に思い切って触れて顔を付き合わせるのに、良い起爆剤というか、きっかけになる気がします。

宮城 そうですね。さっき「分かり合えない」ということを思い知るのに演劇は適当だという話をしたんだけれど、その逆も有りうるわけです。自分の中の違和感を飼い慣らせない観客が、演劇を観て「あ、隣のひとも僕と同じように『コレは違う』と思っているんだ」って確認できるかもしれない。これは、劇場でないと体験できないことなんです。

たとえば映画でも、隣に知らないひとが座っているという点では一緒ですが、映画のほうがパーソナルな関係になるんですね。「隣のひとと私」というよりは「作品と自分」という関係性になりやすい。でも演劇はそうではなくて、左右両隣のひとやほかの観客を完全にシャットアウトして観ることはできません。

── そうですね。

宮城 観劇中に周りが笑っていると「あれ、ここ笑うところ?」って思ったり、逆に自分だけクスッて吹き出しちゃったり、周囲とか観客との関係性ってすごく意識します。これは演劇というメディアの特徴で、作品自体を役者、裏方、観客という集団でやらなければ成立しないからこその作用だと思います。だからと言って演劇は、違和感をどうすればいいのか、価値観の違うひととどう付き合っていけばいいのか、その方法や答えを明確にくれるわけではない。でも、「みんな孤独なんだ」「こんなにも違う価値観がある」という事実を共有することはできる。だから、演劇を通してどこかホッとできるひとがいるのかもしれません。

お話をうかがったひと

宮城 聰(みやぎ さとし)
演出家。SPAC‐静岡県舞台芸術センター芸術総監督。1959年東京生まれ。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年「ク・ナウカ」旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出は国内外から高い評価を得ている。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、また、静岡の青少年に向けた新たな事業を展開し、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。14年7月アヴィニョン演劇祭から招聘されブルボン石切場にて『マハーバーラタ』を上演し絶賛された。その他の代表作に『王女メデイア』『ペール・ギュント』など。06年よりアジア舞台芸術祭プロデューサーをつとめる。04年第3回朝日舞台芸術賞受賞。05年第2回アサヒビール芸術賞受賞。

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