「地球にやさしい男になる」。
宮崎県小林市でお会いした、彫りの深い、丹精な顔立ちの男性が語るこの言葉が、何度も頭の中で繰り返されます。彼は子どもの頃、直感で「地球にやさしい男になりたい」と思い、その後は農業を学ぶために上京しました。大学で農薬や化学肥料を使わない有機農業と出会い、修行の道へ。「HORI-KEN Farm(ホリケンファーム)」の堀研二郎さんは、2011年に小林市にUターンし、現在は少量多品種で有機野菜を栽培しています。
「環境にできるかぎり負荷をかけない生き方がしたい」。大人になっても変わることのない彼の想いは、少年のようにまっすぐで、温かいものでした。
環境に関わる仕事がしたい。心の声を信じて農大へ
── 先ほど畑を見せていただきながら「地球にやさしい男になりたいと思った」とおっしゃっていましたね。
堀研二郎(以下、ホリケン) 中学生の頃、友だちと下校している途中に、ふと思ったんです。川や森、小林という地元の環境を、自分の後の世代に残したいなって。
── 若きホリケンさんは、何かに影響を受けてそう思ったのでしょうか。
ホリケン うーん……。思い出せるのは、やっぱり下校中の風景なんですけど、小学生の頃は川で魚を突いたり、虫を採ったりして遊んでいたんですよ。そういう“自然と遊べる環境”を、子どもなりに残さなきゃいけないと感じたんでしょうね。成長するにつれ、昔遊んでいた川が汚れたり、臭うようになったりしているのを感じていましたから。
それからです。漠然と「どうすれば小林の環境を守れるんだろう?」と考えるようになったのは。大学進学の進路決定の時も、「環境」というキーワードで東京農業大学を見つけ、進学することにしたんです。
── 有機農業と出会ったのはこの頃ですか?
ホリケン そうですね。大学の研修で初めて有機農業を知り、その可能性を感じました。農薬とか化学肥料を使わない有機農業なら、食べ物をつくりながら小林の環境を守っていけるんじゃないか、小林でもこういうことができればな……と思うようになって。それから本格的に農業に目覚めたんですよ。
── ホリケンさんがその時に感じた、有機農業の可能性というのはどういう点なのでしょうか。
ホリケン 自分のつくっているものが「土に還る」ということですね。
── というのは?
ホリケン 他の産業、たとえば工場とかでつくった人工物は、なかなか土に還らないんですよ。対して、有機物質をつくれる産業って、農業だけなんです。そういう意味では、一番環境に負荷を与えづらい産業なのかなと。
安心できておいしい野菜づくり。有機農業の本当の目的に共感した
── じゃあ大学卒業後は、すぐに農業の道を歩まれたのですか?
ホリケン 大学卒業後、はじめは東京の自然食品を扱う会社に勤めていました。全国の有機農家の野菜を販売しているうちに、やっぱり畑で野菜をつくりたいという想いが日に日に強くなっていって。就職してから1年経った頃、初めて農家になることを決心しました。
ちょうどその頃、大学の研修の実習先だった「ゾンネガルテン」というお店の手伝いをしながら提携農家のもとで農業を勉強しないか、という話をいただいていたので、3年間みっちり有機農業を学ぶために会社を辞めて岐阜へ修行に行くことにしたんです。
── 思い切りましたね。
ホリケン 修行できて良かったと思っていますよ。有機農業の技術を学べたことはもちろん、有機農業に対する考え方に心底共感できたので。
── そこで今のホリケンさんを根っこから支える、有機農業の考え方を養った、ということでしょうか。一番共感できたのはどんな考え方ですか?
ホリケン 有機農業の起源であり目的が、自分や家族が安心できるおいしい野菜をつくって食べることでした。その目的を実現する手段として、農薬や化学肥料に頼らずに野菜を育てるんです。自分の畑で採れた野菜を食べて、出た生ごみを堆肥にして土に還す。そしてまた野菜を採って食べて……と、循環させることが有機農業の基本なんだと学びました。
── 有機農業は、農薬や化学肥料に頼らないで野菜を育てるという、ひとつの独立したカルチャーみたいな印象を持っていました。
ホリケン そうそう、有機農業の野菜は良いんだぜ!みたいな風潮がありますよね。でも、そうじゃないんですよ。まずは自分たちが安心して食べるものをつくる力をつけなきゃいけない。本当にそれだけなんです。農家は一生懸命野菜をつくる。消費者はつくり手の想いに共感できたり野菜をおいしいと思えたりすれば、その農家の野菜を買う。お互いが支え合える関係でいられることが理想だと思います。
── 自分や周りのひとを思う、すごく地に足のついた考えから生まれた生業なんですねぇ。
地元にUターン「親父が背中を押してくれました」
── ホリケンさんのご実家は、もともと農家さんではないとうかがっているのですが、いざ農業を始める時はご家族からの理解は得られたのでしょうか。
ホリケン 進学の時に農業をやるかもしれないと匂わせていた頃は、猛烈に反対されましたね。会社をやめて小林にUターンする時は、家族だけじゃなく親戚一同にも。でもやっぱり、現場で野菜をつくりたかった。最終的には「本気で農業をやりたいならやれ」と、親父が背中を押してくれたんです。
そういえば最初にこの畑に連れてきてくれたのは、親父でしたねぇ。「この土地を使えばいいよ!」って。
── あえてUターンすることを選んだというのは、“小林でやるんだ”という気持ちがあったということですよね。
ホリケン 長野にいる有機農業の師匠が、「ホリケンくん、ぼくが引退した後もここに残れば?」と言ってくれて、長野か、お世話になった農家さんたちがいる岐阜で農業するかどうか悩んだ時期もあったんです。でも小林で生まれ育ったので、厚かましいけど恩返しの気持ちもあり、小林に戻ることを決めました。
生きるために食べるのではなく、俺は食べるために生きている
── 子どもの頃からずっとテーマが「小林」と「環境」で一貫している印象を受けます。ただ後者の「環境」だけを切り取ると、農業の他にも林業とか、さまざまな仕事があります。にもかかわらず、農業からブレていない。ホリケンさんにとって「食べる」ということはどれくらい大切なことなのでしょうか?
ホリケン おいしいものを食べたいっていう欲望は常にありますね。人間は生きるために食べるとよく言いますが、ぼくは違って、食べるために生きている(笑)。それくらい「食べること」が好きなんです。
おいしいものを食べた時って、めちゃくちゃうれしいじゃないですか。食べ物をつくって食べて、食べることによって心が満たされる。会話が生まれて、食でひととつながれます。
つくること、失敗すること、食べること。すべて農業という仕事の中で連続していて、その状態こそが自然の摂理です。作物がおいしく育てばうれしいし、台風で苗が枯れてしまったら、動物に食われちゃったら、ちくしょう!って、悲しくなってしまう。農業にはうれしいことも悲しいことも楽しいことも、すべてが盛り込まれている。すごい仕事なんですよ。
地球にやさしい男になるために
── ホリケンさん、仕事大好きですね。有機農業を通じてホリケンさんの目指す生き方が伝わってきます。
ホリケン 昔、ふとなろうと思った“地球にやさしい男”には、自分の生業を通じて極力環境に負荷を与えないような生き方をしていきたいです。他の農法や産業を否定しているわけじゃなく、ぼくは一つの選択肢として有機農業を実践することで、環境とより良い関係を保ちたいんですよ。
── より持続可能な生き方をするために。
ホリケン そうです。小林には、食料やエネルギーの資源がいっぱいある。たとえばこの辺の(畑の周りを指さして)杉の木を伐採して薪にしたら、雑木に植え替えたり、落ち葉を集めて腐葉土をつくったりして、いろんな動植物が暮らせる環境にできるはずです。豊かな生態系の中でこそ、逞しくおいしい野菜ができるんじゃないかな。誤解を恐れずに言えば、そういうふうに、この地域の中だけでも、まずは自分の営みだけでも循環させたい。
そうありたい原点には「地球にやさしい男になる」っていう想いが、やっぱりずっとあるんです。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
堀 研二郎(ほり けんじろう)
東京農業大学入学(2003)後、地方地域の自然環境について考える。地元の自然を有効利用できないかと考え始め、基幹産業である地方地域の農業の存在意義について考える。環境に負荷を与えず健康によい、おいしい食物をつくることを提唱する有機農業について学ぶ。東京農業大学卒業後、有機農業家のご指導のもと3年間の有機農業を実践。2011年宮崎県小林市で新規就農。
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