ひとが町や地域の宝だということは、自明の事実。けれど、ひとを育てるというのは、忍耐も時間もお金もいる一大事業です。
高知県嶺北地域・土佐町(以下、土佐町)に、突如現れた風雲児の瀬戸昌宣さんは、アメリカでの研究職を経て、土佐町へ移住してきました。地域おこし協力隊に着任してまだ3ヶ月ほどだという瀬戸さんに、教育がいかに町を変えるのか、熱い未来のお話を伺いました。
あえて限界集落の学校だけを探していた
── 瀬戸さんは地域おこし協力隊の方々の中でも、異彩を放つキャリアだとうかがいました。
瀬戸昌宣(以下、瀬戸) そうかもしれません(笑)。ここに来る前までは、アメリカで研究者をしていました。
── 土佐町で地域おこし協力隊に着任するまでの経緯を教えていただけますか?
瀬戸 ニューヨークにあるコーネル大学というところで10年間研究者をしていました。農業昆虫学が主な研究対象だったのですが、地元の小中学生に農学や昆虫学の出張授業をしたり、農家さんに農業技術についてのレクチャーやコンサルテーションをしたり、州内・州外での教育事業も行っていました。
一緒に渡米した妻も、アメリカの教育システムが好きだったし、2人の子どもを授かってからは子育てもアメリカでするつもりだったんです。
── 帰国しようと思い立ったきっかけは何だったのでしょうか。
瀬戸 いろんなタイミングが重なったんですね。博士課程に入って数えて渡米10年、研究者としても節目を迎えたある日、同僚から「マサ、最近つまらなさそうだな。そんな背中を子どもたちに見せちゃいけない」と言われて。僕自身、キャリアのことを考える時期だったから、ハッとしました。その頃、研究を楽しめていなかったのですが、自分の本心から目を背けていたんです。
同じ頃、近所で子どもたちの危険を感じるような事件がありました。銃社会に生きていることを改めて、それも親として、生々しく感じさせられたんです。それをきっかけに、アメリカでの暮らしの良い面と悪い面を素直に見直しました。
すると、10年のアメリカ生活で、ていねいさがあふれる日本の暮らしが恋しくなっていることに気づきました。ていねいさって、日本人の一番の武器だと思っています。それに「ていねい」という日本語は、英語一言で表すことができないんです。careful(注意深く)、thorough(徹底的)、close(綿密)、respectful(敬意を払う)、polite(礼儀正しい)であることが、ていねいということです。日本の様々な意匠や技、発想はこのていねいさに起因していると思っています。子どもたちにも、このていねいさに触れて欲しいと強く思うようになりました。
── 瀬戸さんのやりたいことと、家族で暮らしていくことを考えて、日本に帰ることを選んだ、と。
瀬戸 はい。では日本に帰って何をしようかと考えた時、教育に取り組みたいと思ったんですね。それも、大学生とか大学院生ではなく、小中高生とか発想が柔軟な年代の教育に関わりたいと思いました。出張授業などでも、昆虫や農業、サイエンスの話をすると、彼らは僕ら専門家にとっては見当がつかない角度から質問してくるんです。「それは50年後のノーベル賞かもしれない!」と僕は本気で思うのだけれど、そういう発想をつぶさずに磨いていくことは、今の学校教育ではなかなかできない。これから磨けばそれぞれの道で光輝くはずの子どもたちが、もしも足踏みをしているなら、僕はそこに、今までの経験を注いで、彼らが輝くための足場をつくりたいと思ったんです。
── そこで土佐町という地域に絞ったのは、なぜなのでしょうか。
瀬戸 教育事業を始めるなら、とにかく人数が少ないところに行きたかったから、ですね。
── どうしてですか?
瀬戸 人数が少ないと生徒たちの名前を全部覚えられるし、全員の個性をきちんと把握できるからです。
これからは、机に座ってみんなが同じことを同じように同じだけ学ぶ時代ではないと思います。“Tailored education”、つまりひとり一人のために「仕立てられた教育」が重要だと考えています。それは、僕の出身校のような1学年に400人いるような学校ではできない。だいたい2、30人くらいがいいなあと思って、限界集落の学校を探しました。
そんな時に、高知県立嶺北高等学校の名前を見る機会があったんですね。調べたら、地域の中高一貫教育の要で、地域への想いや愛を育みながら、個性を大事にした教育を標榜している。農業コースや商業コースもあり、職業教育にも力を入れていることも知りました。
── 規模としては理想だと。どのようにして教育事業に携わることになったのですか?
瀬戸 教育をやるとなると、行政の方々の協力は不可欠です。けれど僕は当時35歳。真正面から行政に入るのは難しい。ただ、どっぷり行政に入っても教育はしづらい。行政、学校、生徒、保護者の4者をフットワーク軽く横断的に関われるポジションが必要だと思っていました。どういうかたちがいいか考えている時に、土佐町が地域おこし協力隊の募集をしているのを見つけたんです。それも、嶺北高校を中心とした教育・人材育成という枠で。すぐに電話して、日本にすっ飛んで帰って、面接をしていただいて。
── 着任前に一度帰国されたのですね。
瀬戸 はい。自治体によって、地域おこし協力隊のモチベーションや活動の幅は、大きく違うんです。書面だけでは自治体の顔は分からない。町の方々と会ってみないと、お互い分からないこともあるだろうと思って。実際お会いしてみたら、土佐町は町長も上司も先輩の協力隊の方々も、みなさんエッジが効いていて、いいタイミングで着任できたなと思います。
── どんな点においてエッジが効いていると思いましたか?
瀬戸 たとえば、地域おこし協力隊の枠組みで、人材育成や教育に関わるひとを集めようという、その姿勢ですね。なかなかそういう発想にならないと思うんですよ。僕の面接で話している時も、初対面のこんな若造に、包み隠さず正直にいろいろなことを教えてくださった。とても謙虚で、ここまであけっぴろげにいろいろ話してくださる行政は、なかなかないと思います。むしろ僕が一番偉そうだったかもしれない(笑)。
── あはは(笑)。
土佐町に来て見えてきた実態とこれから
── 着任されて、まだ数ヶ月ですよね。その間に、見えてきた土佐町の教育事情について教えていただけますか。
瀬戸 小中高に関しては、様々な課題が見えてきましたが、まだまだ勉強中です。嶺北4町村の各自治体の教育方針が違うので、その受け皿である嶺北高校の教育改革に何が必要なのか、四六時中考えています。
土佐町については、たとえば町の標榜する「読書のまち」として、すぐにもできることがたくさんあると思います。すでに土佐町では、教育委員会、保育園、小・中学校の先生や保護者が、朝の読書時間や読み聞かせボランティアなどの活動を活発に行い、本に触れる機会を設けています。けれど、子どもたちが読書の面白さに気づいても、主体的に読書に取り組むためのインフラが不十分なんです。これは、非常にもったいない。
── インフラが不十分というのは、具体的にどういう現状なのでしょうか。
瀬戸 蔵書のデータベース化や貸出システムの電子化が進んでいないので、土佐町に今どんな本があるのか、町立の図書館に行かなければ調べることができないんです。通学に1時間かかる子もいる中で、わざわざ町立の図書館に行かなければいけないのは、システムの欠如による機会損失そのものです。テクノロジーで、その物理的な距離は簡単に超えられます。
さらに、特別支援学級の子や、学習障がいのある子が読書に主体的に触れ合う機会が不足しています。たとえば難読症の子、ディスレクシアと呼ばれる子どもたちは、知的にはまったく問題がないんですが、読んで目に入ってきた文字を、情報としてきちんと組み立てられないんですよ。けれど、きちんと話すことはできる。音読とオーディオブックなどの「聴く読書」を組み合わせることで、彼らは読書を楽しめるし、黙読ができるようになったりもする。オーディオブックを効率よく導入、利用するにも図書館システムの電子化は必須です。
「読書のまち」なら、読書のバリアフリー化を目指したい。そういう視点を持っていなかったことよりも、そういう提案をした時に、スピード感を持って拡大するためのインフラが整っていないのが、今の課題だと思います。
── なるほど……。
瀬戸 僕は、小中高を通して東京の私立の学校で学びました。だから、公立の、そして地方の教育環境について明るくない。地方の学力のスタンダードや問題点は、想像以上に難しい部分も多いです。
だから、どんな風に全体を盛り上げつつ、勉強したい子を伸ばしていけるのかについては、非常に悩んでいます。ただ、やはり答えは“Tailored education”にあると思います。土佐町に来て、いろんな方と話し合って、今はただ学力の平均値を上げるのではなく、彼らが持っている長所や特性をきちんと伸ばしてあげられる場所をつくることが最優先だと感じています。これからの子どもたちの多くは、未だ存在していない仕事をするようになるはず。勉強だけができれば生きていける時代では、もうないですから。
瀬戸 他の地方自治体同様、土佐町にも様々な課題はありますが、新米で生意気な僕にも(笑)、耳を傾けてくれる方が多くて本当にありがたいです。この町は、やる気に満ち溢れていますよ。教育は町を変えられると、多くのひとが本気で思っていますから。
好奇心旺盛な、自由な子であれ
── 子どもたちの特性を伸ばす、とおっしゃっていましたが、そのために具体的にどんなことをしていくのか現時点でのアイディアはありますか。
瀬戸 短期的なパフォーマンスと、長期的なパフォーマンスの2つを構える必要があると思っています。生徒それぞれが、短期的な失敗・成功体験を積み重ねながら、長期的な視野で自分の将来を具体的に描き、変化していく能力を養う必要があります。けれど、それを従来の教育で養うのは難しいんです。
── なぜでしょうか?
瀬戸 教育が社会を作っているのではなく、社会が教育を作っているからです。社会の変化は圧倒的に速く、その変化に合わせて行政が教育のシステムをつくると、この時点ですでに現実から周回遅れです。その周回遅れのシステムに、現場の先生たちは、常に後追いするかたちで合わせなくちゃいけない。そうすると、現行のシステムでは、先生たちがいくら時代や目の前にいる子どもたちと向き合いたくても、土台としては常に時代遅れにならざるを得ない。だから、そこを予測して、先回りして早く動ける僕みたいな存在が鍵になると思っていて。
瀬戸 将来を自由に描くには、土佐町は小さすぎる。僕は子どもたちに土佐町でずっと暮らして欲しいとは思っていなくて、県外、四国の外、はたまた日本を飛び出して世界へ行く子がもっと増えていいと思っているんです。
── さきほど、土佐町小中学校の校長先生にもお話を伺いましたが、同じようなことをおっしゃっていました。
瀬戸 残りたいひとというのは、何も言わなくても残るし、魅力的な町だと思えば、外へ出てもきっと帰ってきます。囲い込むのは、いろんな気持ちがくすぶってしまい、子どもたちにとっても町にとっても健全ではない。
僕がいま進めているプロジェクトのひとつに、都市留学というものがあります。東京や都会に行きたい子を集めて、期間限定で東京の学校に通学して暮らしてみる。毎朝満員電車にゆられて、受験戦争を戦ったり、部活を必死にがんばったりする。外のようすが分かると、自分の故郷がどういう場所なのか、地元で受けてきた教育が合うのか合わないのか、自分で判断できるようになると思うんです。僕も海外で暮らしてから、日本をより深く理解することができましたから。
── 瀬戸さんにとって、土佐町の子どもたちがどんなふうに暮らしていくのが目標ですか?
瀬戸 とにかく自由でいてほしいと思っています。自由でいるというのは、情報感度を高く持ち、好奇心を絶やさないでいること。僕自身も、大切にしていることです。
自由というのは、いくらでも失敗する権利があるということだとも思います。いくらでも失敗できるということは、いくらでも挑戦できるということです。「挑戦と失敗」の果てにしか「成功」はありません。先日、土佐町中学校の二年生に「世の中に存在するのは、“やるひと”と“やらないひと”の2種類だけ」という話をしました。ぜひ、子どもたちには「やるひと」になってほしいのです。もう少し具体的に言うと、「どうせ土佐町だし、このぐらいしかできないよ」なんてことを言わず、「土佐町でやる!」と言う人間を、できるだけたくさん育てたいと思っています(笑)。
── 瀬戸さんご自身の、土佐町で暮らしていく上での目標のようなものは、あるのでしょうか。
瀬戸 僕は百姓になりたいなと、昔からずっと思っています。
── 百姓。
瀬戸 農家さんになりたいということではなく、100の生業と技能を持つ人間になりたい、ということです。農業も林業もやりたいし、狩猟免許も取るつもりです。
高校や大学を卒業して、就職して、定年退職というレールはすでに存在しません。これからは複数の生業を持つことが、当然な世の中になると思います。その中で、生き抜く力を、土佐町の子どもたちには身につけて欲しいと思っている。だから、僕も100の生業を持って生きていく姿を見せたい。学力強化に加え、職業体験や、インターンシップ事業も今以上にカリキュラムに取り入れられないかなと、考えているところです。
── アメリカにいる時と、考え方は変わりましたか?
瀬戸 やりたいことや目指したいことは、ほとんど変わっていません。ただ、土佐町という、僕自身が生活の根を張る地域ができたことで、できることはグンと広がった気がします。
ずっと思っているのは、この地域に、教育の傘をかけたいということ。子どもたちが一人で自由に、雨の中も飛び出して生きてゆけるようになるまで見守る、教育の傘です。いつか傘のもとを飛び出した子どもたちが、嶺北に戻って、あるいは嶺北の外、日本の外で、新たな教育の傘をかけてくれればそれ以上に嬉しいことはない。
教育は、何も大人が子どもに教えるだけではありません。子どもが変われば親も自然に変わっていく。僕自身を含め、親が、地域の大人が変わり続けることで、教育の傘の骨はより強固になり、土佐町、嶺北の教育はゆるぎないものになると信じています。
(この記事は、高知県土佐町と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
瀬戸 昌宣(せと まさのり)
1980年東京生まれ。農学博士(昆虫学)。桐朋高校でバスケットボールに打ち込む傍ら、オーストラリアに留学。大学時代の米国留学を経て、米国コーネル大学にて博士号を取得。コーネル大学ニューヨーク州立農業試験場で博士研究員として研究と教育に従事。2015年の大晦日に家族で帰国後、高知県土佐郡土佐町に移住。地域おこし協力隊として地域の教育に参加。平成28年度からは嶺北高校教育魅力化特命官として新たに活動を開始する。
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