海士町には、子どもの数が減ったために廃校になり、誰も通わなくなった学校や保育園の建物が、いくつかそのまま残っていました。これらを有効活用できないか、と島の人々でオープンさせたのが「あまマーレ」。
集落支援員として海士町で「あまマーレ」の運営に今年4月から携わっている、ムラー和代さんに島の場づくりについて伺います。
趣味で集い、仲間が見つかる「あまマーレ」
── 「あまマーレ」での取り組みについて、まずは教えてください。
ムラー和代(以下、ムラー) 島の人たちが、ふらっと寄れるような遊び場として開放しています。月に2,3回イベントを開催したり、子育て中のお母さんと子どもが遊びに来れる場所としても活用していただいたりしています。
── もともと保育園だったということもあって、建物もあたたかい雰囲気がありますが、「あまマーレ」自体はどういった目的でオープンされたのでしょうか。
ムラー 目的はいろいろあって、それらがうまく合致して開設されました。1つ目は、子育て支援の場。
ムラー 2つ目は、仲間集め。「あまマーレ」を表すキーワードが「趣味で集える場所」でもあって、趣味を活かした学びや交流が生まれる場所にしたかったんです。
海士町は人口2400人の島です。都会にあって当たり前のものがないことが多い。でも、ないからこそ自分たちで工夫してお菓子作りやものづくりをする人たちはたくさんいます。
1人でつくるより、みんなでわいわい作って食べたり遊んだりできる場所があれば、自分の趣味を通してコミュニティができる。そのきっかけを届ける場所として、「あまマーレ」を使ってほしいなって思っています。
── たとえばどんなイベントを開催していますか?
ムラー 本当にいろいろです。海士町ならではの事例でいうと、「ママ会島ばっぱ交流会」という島のお母さんとおばちゃんの交流会かな。ばっぱというのは、おばあちゃんの意味ですね。
海士町はIターンやUターンで、新しい住人がどんどん増えていますが、旦那さんの転勤についてきた奥さんたちは、まずは島に自分の居場所をつくることから始めなければなりません。「あまマーレ」を、彼女たちが家や職場以外で、くつろげる場所にしたかったんです。
ムラー 女性たちにヒアリングするうちに分かったのは、地元の人たちと交流できる機会が少ないということ。なかでも長年島で暮らす年配の方々との世代間交流を求めていることがわかりました。そこで、島のばっぱたちと移住してきたお母さんたちを集めて、郷土料理を教えてもらいながら交流できる会を開くことにしたんです。現在は、2ヶ月に1度くらいのペースで開催しています。
── ここなら、子どもたち同士が遊んでいる間にお母さんたちは料理を習えますから、親子で楽しめますね。
ムラー そうですね。「ママ会島ばっぱ交流会」は、おかげさまでとても好評です。あと人気なのは「スイーツの日」ですね。もちろん食べものを扱ったイベントだけでなく、フリーマーケットやアロマセラピーのワークショップもあります。
── イベント企画はすべて「あまマーレ」主催なのでしょうか?
ムラー そんなことはないですよ、今までのイベントの半分くらいは島の方々からの持ち込み企画です。貸しスペースでもありますから、島の人ができるだけ自由に活用していただきたいと思っています。
既存の場所を活かすという意味では、「あまマーレ」をつくった3つ目の目的として、「リサイクル」が挙げられます。海士町にある空家を有効利用したいという思いがありました。
ムラー 少子化で廃校になった学校や保育園などが、まだ手をつけられずにそのままの状態で残っていました。どれも綺麗だし、もったいないなぁと思っていたんです。
── 「あまマーレ」内では古道具も販売していますよね? あれも、もともとあった資源を活かす方法のひとつなのでしょうか。
ムラー そうですね、空家には手付かずの食器や古道具が、まだ使える状態で放置されていましたから、それらを引き取ってきれいにして販売しています。
私もアンティークや古いものが好きだったこともあって、楽しくやっていますよ。それに、島にはこういう雑貨や、ちょっとしゃれた食器を手に入れられる場所がありませんからね。
ムラー 現在も島の人がいらなくなったものを「あまマーレ」で引き取っているんですが、最近は連絡をいただくことが増えました。それでも清掃センターはゴミでいっぱいです。「あまマーレ」という場所や、こうした引取りの活動の認知度が、もうすこし上がれば無駄なゴミを出さずに済むかもしれません。
一人でも誰かとでもホッとできる場所をつくりたい
── ムラーさんは海士町ご出身なのですか?
ムラー そうです、Uターンですね。
── どうして海士町へ戻ってこようと思われたのでしょうか。
ムラー 私たちが子どもの頃は、島に帰ってくるという発想自体、そもそも誰にもなかったような気がします。私も同じで、高校を卒業してから大阪に出て、その後イギリスやスイスで暮らしていました。
独身の頃はイギリスに一生住みたいと思っていましたが、子どもが生まれてから日本で子育てするのもいいかも、と思うようになりました。旦那さんはドイツ人なのですが、日本にとても興味を持っていたので、日本への移住を決めるのに時間はかからなかったです。田舎に住みたいという気持ちは二人ともあって、西日本の田舎を3人と猫二匹で車で周りました。でもなんとなく「ここだ!」ってピンとくるところが、私にはありませんでした。「どうせ田舎に住むなら自分の故郷である海士町があるじゃん!」という気持ちが、いつもどこかにあったんだと思います。
だから、地元へ戻ってくるまで、海士町が移住者受け入れに積極的な町になっているというのは知らなかったんです。
── かつてのふるさとが変わっていく様子は、ムラーさんにはどう映りますか。
ムラー 住みやすいと思います、私にとっては。
たしかに最初は、知らない人がいっぱいいて戸惑うこともありましたけれど、いろんな人がいたほうがおもしろいし、刺激もある。田舎だから、自然と顔見知りも増えていくし、せっかくみんなで暮らすなら仲良くなりたい。そういう気持ちの人が多いから、「あまマーレ」のような場所も成り立つし、人も集まるのだと思います。
── 島の人たちにとって、「あまマーレ」はどういう場所になってほしいですか?
ムラー ここに行けば、きっと誰かいると安心できる場所になってほしいと思っています。それと同時に干渉されずに一人でのんびりできる場所。
私自身、以前は、気分転換に自宅ではない場所で過ごしたいと思ったとき、いつも明屋海岸にコーヒーと本を持って行っていました。でも天気が悪いと外で読書もできません。
たとえば島のお母さんたちは、もっと大変だと思います。家にずっとこもって子育てしているのは、息が詰まります。だからこうして外に集える場所があるだけで、息抜きができると思います。「あまマーレ」が、一人でも誰かといてもホッとできる場所になるといいなぁと思っています。
── 場づくりで言うと、「隠岐國学習センター」や図書館など、海士町の中でもいくつか取り組みをしているところがありますが、「あまマーレ」のオリジナルの空間としては、どんな風に特化していきたいですか?
ムラー どんなの、とは言えませんが、あまマーレらしいイベントをやっていくことですかねえ。あまマーレらしい空間づくり。最近は、島のなかで小さなイベントがたくさん開催されるから、日程がかぶらないように調整するのが大変なんですけど(笑)、そういう動きが活発なのは素晴らしいと思うので、私たちは古いものを活かしてホッとする空間づくりを目指したいですね。
さきほど申し上げたように、ものづくりされる方も多いので、古道具販売と合わせて作家さんの作品を販売することも考え中です。「あまマーレ」でできることはいっぱいありますし、やりたいこともまだまだ尽きませんよ。
(一部写真提供:Mueller 和代)
お話をうかがったひと
Mueller 和代(むらー かずよ)
1993年、イギリスのカルチャーに魅かれ渡英。ロンドン芸術大学キャンバーウェルカレッジ(University of the arts London, Camberwell college)で陶芸を、ロンドンメトロポリタンユニバーシティ(London metropolitan university)、ファインアート科でアートを学ぶ。2008年、家族で帰国。海士に住み始めるが、2012年にスイスに移住する。2015年春、再び海士に帰ってくる。現在、もともと大工の旦那が大改装中の家に小学生の娘と、猫二匹、鶏たくさんとともに暮らす。まだまだ夢を追いかけ中だが、もう、放浪するのはやめる予定。
この場所のこと
あまマーレ
開館時間(スタッフのいる時間):10:00~17:00
貸切予約で使用できる時間:9:00~22:00
休館日:毎週木曜
住所:島根県隠岐郡海士町大字海士4958-1
電話番号:08514-2-2525
公式サイト:あまマーレ
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