馬に惹かれ、馬に魅せられ、馬との暮らしを求めて、遠野に訪れた菊地辰徳さんと奥様の恵実子さん。移住してきて約一年半。かつて遠野の「ふつう」だった、古くて新しい馬のいる暮らしを実践するために、今ようやくスタート地点に立ったといいます。
「……さて、何から始めよう?」
若い頃から環境問題に興味があったという菊地さんの、理想の暮らしのイメージが今、遠野で体現されようとしています。
馬が、これからの暮らしを助けるパートナーになる
菊地辰徳(以下、辰徳) 高校生の時から、環境問題に関心がありました。当時は、自然環境の保護を包括的にとらえる学問が、日本にはなかったから、アメリカの大学へ行ったんです。それからずっと環境問題に関する仕事をしてきました。
それとはまた別に、僕は馬術も好きでした。千葉県出身で、遠野に来る前は東京の谷根千エリアと呼ばれる下町に住んでいたんですが、そこから千葉の乗馬クラブに通っていました。
辰徳 そんな中で、ある時ふと、環境問題を解決するひとつに「馬力」があると気づきました。
馬耕や馬搬は、馬力を使って田畑を耕したり、山から木を運び出したりする方法のこと。そこに化石燃料は必要ありません。太陽と土と水があれば、持続可能なエネルギーになる。機械はゴミとして残ってしまうけれど、馬は土に還るから、永遠に循環するんです。これに気が付いてから、別々の関心事だった馬と環境というテーマが噛み合って、馬との暮らしがイメージできるようになりました。
じゃあ、実践できる所はどこなのかを探してみると、都心はまず無理。そんな時、今「遠野ゲストハウスプロジェクト」に挑戦している克彦くん(伊勢崎克彦さん)と出会いました。遠野にはクイーンズメドウ・カントリーハウスという馬のいる宿泊施設があって、僕がそこに通いだした頃、彼はクイーンズメドウでスタッフとして働いていて。
辰徳 僕としては、遠野へ移住すると決めて、いざこの土地に来た時に、一抹の焦りもあったんです。想いを早く形にしたい、と。僕くらいの年齢(38歳)になると、ものすごく稼ぐ人もいれば、そうじゃない人もいる。けどどんなにお金を持っていても、みんな将来への不安を抱えている。それがどうしてなのかを、つきつめて考えていくと、結局生きるために必要なものを、貨幣だけに依存しているからなんですよね。
東日本大震災の時に、多くの人が「お金があってもモノがなければ買えない」という事実に気づいたはず。お金に依存せずに生きる基盤を作ることが、実は本当の豊かさを手に入れるうえで、重要なことなのかなと思います。たとえば、食料とかエネルギーとか、なるべく貨幣ばかりに依存しないで、ちゃんと回せる仕組みを作りたい。
こういう構想を後克彦くんとも何度も話し合って始まったのが「遠野ゲストハウスプロジェクト」です。
僕自身、遠野へ移住して来るときに仕事を作って来たわけではありません。克彦くんたちとプロジェクトを進めながら、前の会社と少し仕事をしたり、ほかにも新しいことを探したりしながら、暮らしています。
だから、環境が整おうとしている今、ようやくスタート地点に立ったという感じですね。
今を捨てると前へ進める
辰徳 遠野での暮らしですか? そりゃあ、大変なこともたくさんありますよ。コンビニが車でないと行けない距離にあったり、好みの美容院がないから髪を切る時に困ったり……。ただ夜は満天の星が見えたり、野菜が新鮮なまま安く手に入ったりして、当たり前ですけど、環境は激変しましたね。
奥様 恵実子(以下、恵実子) 私も、結婚するまでは東京でOLをしていました。彼とはアメリカの大学が一緒で、帰国後に再会して、結婚したんですけど、それがちょうど遠野へ移住するタイミングと重なりました。ずいぶんと長いこと東京で暮らしてきたけれど、私もそろそろ生活変えたいなと思っていたんです。だから、移住することも、彼が考えていることも、すんなり理解できたし、むしろ積極的に遠野について来ました。
辰徳 普通は反対されますよね、仕事も決まっていないし(笑)。でもそれを理由にしていたら、たぶん一生移住はできなかった気がするなぁ。
恵実子 今は、東京に居た頃に比べて時間がすごくたっぷりあるように感じます。朝からゆっくりご飯を作って、昼間は子どもと過ごして、あとは趣味だったアクセサリー作りも本格的に始めました。ガラスや淡水パールを使った、イヤリングやネックレスを、イベントなどで販売させてもらっています。
遠野へ来たとき、「私も変わりたい」と思ったんですね。雑貨を作ることがはずっと好きだったし、これからは趣味としてというより、ちゃんとやりたいなって。作りっぱなしではなく、お客さんに見てもらえるような工夫を考えたり、そのために時間を割くようになりました。
恵実子 東京と比べれば、不便なことはたくさんあるけれど、工夫次第で何とでもなります。ないものねだりより、あるものを見るようになれば、全然問題ない。でも、ずっと東京にいたら、こんなふうに考えられたかは分かりません。場所を変えて気持ちが変わって、少しずつ理想に近づいている気がします。
辰徳 栃木県の益子町に「starnet」(スターネット)というお店があるんですが、主宰者の馬場浩史さんと知り合えたことも、自分の暮らしや遠野への移住を考えるうえで、とても影響しています。
馬場さんは、「クリエイティブな自給自足」ということを何度も話していました。馬場さんと、時には益子町長も交えて、益子で何ができるかなって会議を重ねていたんです。でも、その話し合いが盛り上がってきた時期に、馬場さんが亡くなってしまって。
結局益子で何かを始めるということはできなかったけれど、あっちゃん(渡辺敦子さん)も「starnet」で働いていたし、何かと縁がつながっているなあと。今は、地方に手仕事や職人さんの作品を美しく紹介したり、カフェをオープンしたりする動きは、決して珍しくないけれど「starnet」はその先駆けだと思っています。
辰徳 遠野への移住を決心したのは、仲間の存在はもちろんですが、じつは馬場さんの言葉が大きくて。それまでは、馬との暮らしを漠然と思い描いていて、でも決断できないでいた。何かを始めようと思っても、会社をキッパリ辞めることもできず、いろんな保険をかけることばかり考えていました。
でも、むかし馬場さんに「やりたいことができるかできないか、それは今を捨てられるか捨てられないかだけ」と言われたことを思い出したんです。
人って安全を求めたいから、転職するにしても移住するにしても、ある程度収入源を確保したいと思うし、セーフティネットを作りたがる。でも、過去の延長線上で新しい物事を進めるのは難しい。だから会社を辞めると決めたら、いろんなことが一気に動き出しました。
ポジティブに今を捨てる選択をしようと思えたのは、馬場さんや仲間のおかげです。あの言葉がなかったら、たぶん思いきれなかった気がします。
これから変わる遠野に目を凝らせ
辰徳 遠野へ来て、子どもが産まれて、馬と暮らし始めて。僕個人の環境がどんどん変わるなかで、遠野という地域の変化は、さあここから、という感じです。
辰徳 はじめは、移住するのに遠野でなければならない理由はありませんでした。遠野に決めたのは、馬がいるということも大きいけれどそれだけではなくて、同じ志を持った仲間がいたから。
いっしょに目指す未来を描けるひとがいるかいないかは、暮らす上で大きく違います。
やっぱりまったく縁もゆかりもない土地より、仲間がいる場所のほうが、魅力的に映りますし、地域で何かを始めたくても一人では何もできませんから。
今いっしょに活動している仲間はバックグラウンドもバラバラだけど、将来のビジョンや目指す社会像が重なっている。そこを徹底的に話し合ってから、僕らは移住してきました。
今は、馬の飼育環境をより良くするために、裏山の放牧場の拡張や、草地の整備も進めています。自宅の納屋も、お店にしたいなと思っているし、やりたいことはいっぱいで。
辰徳 今までは、おもしろい場所があったら、自分はそこへ行くゲストの立場でした。でも、今度は遠野でホスト側になれる。仕事がずっとコンサルタントだったから、誰かのために何かを考えたり提案したりするけど、実行するか否かは、お客さんが決めます。そこへのもどかしさと葛藤がずっとありました。
だから、遠野では自分のフィールドをつくって、ホスト役として遠野で、これからの心豊かなライフスタイルを表現できるような場所を作りたい。
20年以上、ずっと向き合ってきた環境問題ですが、解決策は分かっていても実現するのは一筋縄ではいかない。でも、今ここでやろうとしていることの先に、ゴールがあると感じています。僕自身、いろいろな出会いや経験が積み重なって、ようやくいろんなことが目の前で実現しつつある。
遠野のこれからが、楽しみです。
お話をうかがったひと
菊地 辰徳(きくち たつのり)
千葉県出身。米国の大学で環境学を修め現地の環境コンサルティング会社にて環境監査・トレーニングの業務に従事。その後、国内の経営コンサルティング会社や東北大学大学院環境科学研究科の研究員を経て、環境/CSRコンサルタントとして企業のCSR経営を支援する。2013年に長年馬術を通じて関わってきた馬と暮らすこれからの持続可能なライフスタイルを実現するために、東京から遠野への移住を決心する。馬を活かした里山つくりを推進している。
菊地 恵実子(きくち えみこ)
愛媛県出身。カリフォルニア州立大学ヘイワード校(現イーストベイ校)にて美術の学位を取得。帰国後、都内にて金融機関やアパレルブランドに勤める。2014年遠野への移住を機に結婚。アクセサリーブランド「minori」を展開中。
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(イラスト:犬山ハルナ)