歴史ある民家が仲良く連なる大森町の一角に、「他郷阿部家(以下、阿部家)」はあります。
ガタガタッと音を立てて開く引き戸の向こう側には、土間があり「納川」と書かれた文字が掲げられています。
「ただいま」。「おかえりなさい」。
阿部家は、そんな言葉が似合う宿。初めて訪れるひとにとっても、足繁く通う常連さんにとっても、阿部家は、ひとつの帰る場所。今となっては全国各地に“住人”を持つ阿部家ですが、人知れず古びて、すぐにでも崩れてしまいそうだった空き家が息を吹き返したのは、今から15年以上前のことです。
「群言堂」の築く衣食住の世界観を体現した宿へ、ようこそ。
古民家再生6軒目。実家のような「他郷阿部家」ができるまで
「株式会社 石見銀山生活文化研究所(以下、群言堂)」の所長・松場登美さんが見つけた、ボロボロの武家屋敷。この出会いが、阿部家のはじまりです。1789年に創建された立派なお屋敷は、もとは石見銀山の地役人・阿部清兵衛とその家族や子孫が暮らす家でした。阿部家と呼ばれるのは、そうした歴史が由来となっています。
床は抜け、ツタは絡まり、朽ち果てていたお屋敷でしたが、登美さんは一目見てすっかり惚れ込み、買い取ってから13年かけて少しずつ改修していきました。当時、群言堂が古民家を再生するのは、阿部家で6軒目でした。
古い家の修復をしながら、わたしたち夫婦が強く思うようになったのは「世の中が捨てたものを拾おう」ということでした。(引用:書籍「群言堂の根のある暮らし」より)
阿部家は松場夫妻や島根県の大工さん、そして群言堂の建物やモノづくりにおいて欠かせない元左官の楫谷稔さんが、じっくり手をかけて直していきました。その際、きれいにしすぎず、さらに古いものを磨いて活かすことをとても大切にしていたといいます。
ですから、阿部家のあちこちには、かつての家主・阿部家の人々の暮らしや、素材の以前の姿や、質感を垣間見ることができます。
たとえば、阿部家の顔、そして心臓とも言える台所には元は小学校の階段の腰板だった廃材を使ったテーブルと、廃校から集めてきた小学生用のパイプ椅子が並び、その上にはお尻が冷えないようにと、ふかふかの座布団が敷かれています。
納戸の柱には、かつて暮らしていた子どもたちが背比べをした跡があったり、寝室には様々な場所で使われていた、いろいろな模様のガラスがパッチワークのようにはめ込まれていたり、古い石見焼の甕(かめ)をふたつに割ったものが洗面台になっていたり……。
なぜ、ここまで古いものにこだわるのか。それは登美さんの、ものとその背景にあるひとへの愛情にあります。
「今は賞味期限が切れたから捨てるとか、流行遅れになったからいらないとか、そういうものがすごく多いでしょう。でもそうやって切り捨ててしまうと、ものは往生しないと思うんですね。日本は、八百万の神様の国ですから、ものにも魂が宿っていると考えてきました。私も、お役目を全うした後のものも、往生するまで愛おしんで使いたい。阿部家の暮らしは、特にそういうことを大事にしています。」
一見ガラクタに見えるものたちを巧みに組み合わせ、修繕に次ぐ修繕を経て、阿部家はゆっくりと「暮らす場所」に戻っていったのです。
「家の声を聞く」そこに暮らしがあればこそ
その後、阿部家は2008年から宿としてお客さまを迎え入れるようになりました。現在は1日3組までが宿泊でき、部屋は奥の間、茶室、洋間の3つが用意されています。
夕食は、その日に泊まっているお客さまと、登美さんや群言堂の社員さんたちと一緒に食卓を囲みます。旬の食材を使った家庭料理はもちろん、「おくどさん」と呼ばれるかまどで炊かれたおむすびは絶品。鋭いカンで、火をくべるタイミングや蒸す時間などを習得してきた登美さんや、その登美さんに習うスタッフによってつくられます。
また、バーやシアタールームとして改修された蔵は、洗練された雰囲気を醸します。
2008年から宿としてお客さまをお迎えしてきた阿部家。家の隅々から、ひと気やぬくもりを感じられる理由は、家が持つ歴史やしつらえられたものの背景にももちろんありますが、登美さん自身が生活していた家だったということも含まれるのでしょう。
改修を始めてから、毎日拭き掃除や掃き掃除、庭の手入れやかまどを使った炊飯まで行い、登美さんの衣食住は阿部家で営まれました。
「建物も、傷んだり壊れたりすると、まるで子どもが風邪をひいたかのように感じられるんです。どうしてかは分からないけれど……ただ、建物にはよくさわっていますよ。だから微妙な変化が感じられるのかもしれません。私ね、模様替えが好きで、しょっちゅう模様替えをするんですよ(笑)。ものを動かすと、家の違う表情が見えてくるんです。
人間なら会話をすれば相手が考えていることや性格が分かるけれど、家はしゃべらない。でも、しつらえを変えたり配置を変えたりすると、家と会話しているような気分になるんです。だからこそ、ひとが暮らすことで、家が家として生きていけるのだと思います。」
今年(2016年)に入って、登美さんは改築したばかりの元は旅館だった会社の女子寮「朝日館」へ引越しましたが、登美さんが暮らしていた部屋には、阿部家の暮らしを学ぶために訪れるスタッフやインターン生が宿泊しています。
中国に「他郷遇故知」(ターシャーイーグージー)という言葉があるそうです。「人生にはいくつかの大きな喜びがある。その一つは、異郷の地で自分のふるさとに出合ったように、まるで実家のように迎えられたときだ」という意味で、ここから「他郷」の名前をもらいました。(引用:書籍「群言堂の根のある暮らし」)
実家ではないけれど、訪れることでご縁がつながっていく、不思議な宿「他郷阿部家」。先人が生きてきた過去から本質を理解し、未来からの視点で創造していこうという意味を込めた「復古創新」という言葉は、群言堂が大切にしている精神のひとつ。阿部家は、その心を形にしている、唯一無二の民家であり、宿なのです。
(一部写真提供:石見銀山生活文化研究所)
この宿のこと
他郷阿部家(たきょうあべけ)
住所:島根県大田市大森町ハ159-1
電話番号:0854-89-0022
宿泊料金:1名様 24,000円(税抜)、9~10名様の団体の場合は18,000円(税抜)
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