“アトリエ+キッチン+ワークスペース=多様なコミュニティを創造する場”をつくりたい。

滋賀県、琵琶湖沿いを舞台に立ち上がったクラウドファンディングプロジェクト「VOID A PART(ボイド アパート)」。起案者は廃材と植物を掛けあわせたアート作品を創る、「ハコミドリ」の周防苑子さん。そして、表に立つ彼女を支えるのは、共同代表を務める牧貴士さんです。

盛り上がりを見せつつある滋賀県の未来を探るべく、滋賀県立大学の環境科学部で、環境建築デザイン学科の助教を務める川井操(かわい みさお)さんと牧貴士さんの対談が実現。発展が進むアジアと滋賀県を比較しながら、本当の滋賀県らしさ、そしてVOID A PARTの可能性を考えます。

牧貴士さん

牧 貴士@maki194

滋賀県出身(これ大事)。現在は京都でクリエイティブディレクターをしている。
対談の前に:じつは今回の対談を申し出たものの、川井さんとちゃんとお話したことがないんですよね。でも、風の噂では、学生時代に破天荒で有名だったとお聞きしているので、現在とのギャップが楽しみです。

川井操さん

川井 操(@kawaimisao

島根県出身。滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科助教。
対談の前に:セルフビルドやコミュニティデザインに関心があるからこそ、期待しているVOID A PART。影の立役者は、どんな想いを持っているのか探っていきたいです。

コミュニティが景観を維持し、ひととモノを循環させる

牧貴士(以下、牧) 今日はぼくらの活動の拠点である、滋賀県の未来についてお話できればと思っています。

川井操(以下、川井) おもしろそうですね。

 川井さんはアジアの都市建築のなかでも、とりわけ中国を研究対象としていますよね。

川井 そうです。

 中国は良くも悪くも注目を集める国じゃないですか。国の発展を支えるのは当然、市民です。中国で結びつきの強いコミュニティが形成されているのは、どんな地域なんですか? 日本でも今後「コミュニティの力」は国全体としての大きな活力になっていくと思っているんですけど。

川井 中国はスラム化した歴史的なエリアこそ、コミュニティの色が強いですね。歴史ある土地にはもともと住み着いている地(じ)のひとがいます。彼らはお金を稼ぐために自分たちが所有しているスペースを貸し出して、その賃料で稼いでいるんです。

発展途上国が工業化するときは、生産能力を上げるために農村からひとを雇うようになる。田舎から都市に移ってきたはいいものの、住むところがない出稼ぎの外来者たちは、安い賃料で貸し出している歴史的なエリアに住み着いていきます。「地のひと」と「よそ者」が混ざり合うことで、自ずと相互扶助な関係が生まれ、強固なコミュニティを創り出しているんです。この構造は、発展途上国のひとつのスラム原理ですね。

川井操さん

牧 スラム街のようなコミュニティの生まれるエリアは、まちのどのあたりになるのですか?

川井 スラム街はまちの中央と、その周縁部にできることが多いんです。つまり都市のエアポケット(*1)になった場所です。大きな視野で見れば、滋賀県も関西圏と中京圏のエアポケットのようなエリアですね。そこに一定規模のコミュニティが形成されている。スラムと地域コミュニティの構造は、本質的にすごく関係性があると思う。

(*1)エアポケット:飛んでる飛行機が急下降する空域。局地的な下降気流が発生すると起こる。転じて、他と違ってそこにだけあるべきものがない状態。空白の部分。(引用:日本語表現インフォ

 確かに、そうですね。

川井 滋賀県は都市と近接の関係にあって、立地条件がものすごくいい。水質や土壌がよく、作物も育てられる。だからコミュニティが1,000年以上続いているような集落や地域がけっこうあります。

 地域を歴史的な観点で知るというのも大切ですね。その辺のことに疎いので、今日こういった話が聞けるのは凄く楽しみにしていました。

川井 たとえば滋賀県湖北地域にある菅浦では、中世期に「家ガワリ」という慣習のあった集落があります。それは、それは、惣(そう)と呼ばれるコミュニティ内で家を交換して、差額が発生する分はお金を払うという相互扶助の制度です。

牧 それはおもしろいシステムですね。

川井 滋賀県は景観やコミュニティの構造の大きな変化は起きないまま、ぐるぐるとひとやモノが循環していたんです。こんな現象をVOID A PARTを皮切りにモデルとして示せると、地域全体が元気になるんじゃないかな。

U・Iターンの仕掛け人が増えている

牧貴士さん

 そういった事ができるといいんですが、滋賀県のような既にコミュニティがある場所で新しいものを受け入れてもらうには、難しいところもありますよね。

川井 最近は花屋さんができたり、足軽屋敷を買い取って住んでいる若い家族がいたり、あるいはゲストハウスのような宿泊施設を運営したりしているひともいる。2010年以降、少しずつ滋賀県のなかでおもしろいことを手掛ける地域が顕在化している気がします。

 日本全体でも動き始めていますけど、滋賀県でも新しいムーブメントが起こりつつあるタイミングなんですかね。

川井 滋賀県立大学ができてから20年が経ちました。卒業して一度滋賀を離れたOB・OGがUターンして、この土地に戻ってきています。彼らが発信者となって仕掛けていることが目立ってきているんですよ。「半月舎」の上川さんと御子柴さんのふたりもそう。信楽の窯元・明山窯の石野啓太くんも滋賀県立大学出身です。

VOID A PARTのすぐ隣りにある北欧カフェの「vokko(ボッコ)」が中心となって、その周辺にひとが集まっていくコミュニティができあがりつつあることもおもしろいですよね。

完成予定の「VOID A PART」が立つ琵琶湖のほとり
完成予定の「VOID A PART」が立つ琵琶湖のほとり

 町づくりのはじめの姿に似ているのかもしれませんね。

川井 はい、特に琵琶湖畔にとってすごく重要なきっかけのような気がします。VOID A PARTやvokkoの考え方やスタイルに共感して、その周辺で仕事をしたいと思うひとが増えてくるんじゃないかな。

 琵琶湖周辺は、じつはまだ手付かずの地域ですよね。そこで新しいことをやり始めるのは、誰かに気を使うこともなく、自由にトライできます。広がりが無限にあるので楽しみです。

VOID A PARTは滋賀を凝縮して伝える空間

川井 ところで牧さんはどうしてVOID A PARTの共同代表になったんですか?

 やっぱり気になりますか?(笑)

川井 だって牧さんは起業して、東京で会社を経営したことがあるくらいだし、どうしてかなって。ぶっちゃけ、滋賀県に戻ってきた第一印象はどうでしたか?

 滋賀県は何もないですね。おもしろいくらいに何もない。あるのかもしれないけど全然目立ってない。そこが凄くおもしろくてワクワクしています。この土地なら何でもやり放題じゃないかと思いました。

川井 はは(笑)。たしかにVOID A PARTができる琵琶湖沿いなんかは、土地がたくさんあるしね。

 そうなんですよ。ここで何か始めようか考えていたときに、VOID A PARTの相方となる周防と出会いました。出会った……というか声をかけられたんですけれど(笑)。

周防と話してみると、ぼくとは違ってとにかく行動できる子でした。彼女は「ハコミドリ」の作品を展開できるお店をつくりたいけど、新しく何かを始めることに不安をもっていたので、この子を応援しようと思ってVOID A PARTのプロジェクトに関わり始めたんです。

川井操さん

川井 なるほど。このプロジェクトに関わり始めてはじめに取り掛かったことは?

 お店をやるかやらないかは別にして、今すぐできることとして、まずはお店にできそうな場所を探してみたら?と提案したところからがスタートでした。そうしたらすぐに、VOID A PARTになる琵琶湖沿いの物件を見つけたんですね。だからぼくは「やればいいやん、早くやろうよ」って言い続けたんです。それでも、周防はなよなよしている(笑)。じゃあぼくも共同代表という形で責任を持って、一緒にやりますよと申し出ました。そして、今に至ります。

川井 あぁ、そうだったんですね。

 やりたいことは諦めない限り、やり続ければいつか必ずできる。ぼくはそう考えています。

川井 そしてやるからには、滋賀県から発信したい。世の中にインパクトを与えたいと思っているんですね。

 そうですね。昔から何もない滋賀が好きだったんですよね。余白が多いというか。その割に、近江商人という言葉があったり、何かを始める土壌のある地域ですし、琵琶湖という素材もある。それに、ひとはみんないいひと。けれど日本の中でもパッとせず埋もれているし、世界に対しても発信できていないからもったいないと思って。

川井 ぼくも牧さんの想いに共感しますね。

 日本、そして世界において、おもしろくて楽しい地域コミュニティの事例として、VOID A PARTの挑戦を発信していきたい。だから周りにいてくれる方々に協力してもらえると、ものすごくありがたいんです。

川井 応援します。だって若くして起業する個人事業主が集まってこそ町を変えてくれると思うから。それはアジアの賑やかな町を見てもそう思うし、東京を見てもそう。VOID A PARTは琵琶湖周縁から発信する基点となる存在になると思います。

川井操さん

VOID A PARTは、ひとの行動のきっかけをつくるチャレンジの場に

 まさに仰るとおりで、地域で何かが起きていることをメッセージとして伝えていきたい。この想いは、今の地域の情報発信の仕方に違和感を覚えるからかもしれないです。

川井 それはどういうことですか?

 「滋賀県の野菜がおいしい」と言えば、川井さんは頷くと思います。じゃあ、青森県や鹿児島県、ほかの地域の野菜はどうですか?

川井 うん……、たしかにどの地域の野菜もおいしいと思っちゃうなあ(笑)。

 そうですよね。ぼくはみんなが伝えようとしている地域の良さって、どれも似たり寄ったりだと思っています。似通っているから悪いと言いたいのではなくて、その土地にある素材よりも、その地域で育ってきた個人の考え方や想いに焦点を当てたほうが「地域らしさ」が滲み出る気がする。

川井 わかりやすくいうと県民性や市民性みたいな、気質のことですね。

 そういう地域文化を享受しながら暮らして養われた人間性こそ、クローズアップされるべきなんじゃないかなって。たとえば将来の夢を語るだけでも、そのひとの人柄が表れるじゃないですか。

川井 ちなみに牧さんの夢って、なんですか?

 ぼくの人生の夢は、世界中のみんなが「やりたい」と思ったことを気軽にトライできるような世界にすること。人によってやりたいことができない世の中はよろしくない。やりたいことができる方が楽しいし、生きているんだったら楽しい人生を送りたい。これは、もうずっと昔から想い続けていることです。

川井 その夢は、VOID A PARTに詰まっているんですか?

 もちろんです。VOID A PARTの1つのコンセプトは、リアルな場を構えるけれど、インターネットのようにトライアンドエラーがしやすい場所であることです。新しいコンテンツを生みだすことで、外から見るとVOID A PARTという場の形態が変わっているように見受けられるかもしれません。でもそれが新しい文化になって「やりたいことは、こうやればできるんだよ」と伝えられる事例を発信し、影響を与えていきたいなと。ぼくにとってVOID A PARTとは、ひとの行動のきっかけをつくるチャレンジの場でもあるんです。

牧貴士さん

川井 チャレンジしようとするひとを受け入れたり、そのひとたちの表現の場にしてもらったりする場所にしていきたいと。だからVOID A PARTの説明を聞いても、その全貌が把握できなかったのかあ(笑)。

 すみません(笑)。

川井 でもそれって、限りない可能性を秘めていることなのかもしれないですね。簡潔で論理的にものごとを説明しようとしている現代の風潮は、息苦しくて、あんまりぼくは好きではないんです。白でも黒でもないグレーな部分を受け入れる場所が必要だと思う。多様性を許容する空間だからこそ、新しい文化が生まれ、おもしろいひとを育む場所になるといいなと。

 ぼくはこの土地で育ってきたからこそ、滋賀で挑戦して、滋賀で生きることを楽しくして、どうせやるんだったら世界に滋賀を届けたい。「俺たちでやったぞ」と言えるほうが楽しいですよね。周防とがんばります。VOID A PARTの行末を楽しみにしていてください。

お話をうかがったひと

牧 貴士(まき たかし)
大分生まれ滋賀育ち。立命館大学卒業後、2005年に東京で独立。2014年に地域おこし協力隊として飛騨市に移住、地域活性化の為の事業立上げをおこなったあと、滋賀に戻り、現在は京都でクリエイティブ・ディレクターとして勤務。大好きな競馬予想を通して、「プレイヤー変数」と「環境定数」の組み合わせにより、個々人の発揮できるパフォーマンスを推し量ることができることを知り、この考えを元に「個人が最も実力を発揮できるシチュエーションを提供し、やりたいコトをやる」ことで事業を軌道に乗せるサポートをおこなっている。

川井 操(かわい みさお)
島根県出身。滋賀県立大学大学院修了後、中国北京で都市設計事務所に勤務。その後、東京理科大学工学部建築学科助教を経て、2014年10月より滋賀県立大学環境建築デザイン学科助教。専門はアジアの都市建築研究である一方で、滋賀県の地域デザインに学生たちと取り組んでいる。これまで研究室でおこなった代表プロジェクトは「信楽・旧藤喜陶苑改修プロジェクト」(2015年10月完成)。