日本海に面し1500年に渡って“つくる”文化が継がれている福井県鯖江市、河和田地区。越前漆器の一大産地であるものづくりの町で、2015年10月31日~11月1日に「RENEW」が開催されました。「RENEW」は鯖江で活動するつくり手の想いや、ものづくりの背景に触れながら商品を購入できる、体験型マーケット。鯖江の「つくる厚みとその社会」をテーマに、クリエイティブディレクター・服部滋樹さんと、哲学者・鞍田崇さんによる特別対談がおこなわれました。全3回に渡る2回目を、ライターの中條美咲さんがレポートします。
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クリエイティブディレクター・服部滋樹(@shigeki_hattori)
大阪を拠点に活動するクリエイティブユニット「graf」の代表を務める傍ら、「小豆島カタチラボ」「MUSUBU SHIGA」など、”デザイン”の視点から地域ブランディングを手がける。
哲学者・鞍田崇(@kurata_takashi)
明治大学准教授。哲学的な視点から社会や暮らしの「次」の形を追究している。著書に『民藝のインティマシー』『〈民藝〉のレッスン』など。
- 対談の前編はこちら:【対談:前編】服部滋樹×鞍田崇-縮退じゃなくて、濃縮。つくる厚みと、その社会-
人任せでは、社会は変わっていかへん
鞍田 前編では人口が減少していく時代だからこそ、自分自身の価値観を見いだして、濃く生きていこうと話してきました。
服部 これって、「豊かさ」ってなに?という視点から考えることもできるよね。「もの」の豊かさを突き詰めようとしていたのが、20世紀だと思う。それを平均化して効率よく分配しようとした究極がグローバルスタンダードだった。
鞍田 それを、一方的に悪し様に語る必要はないと思う。
(フロアに向かって)今日はベテラン世代の方々もおられるけど、なぜ豊かさを追求したかというと、圧倒的に貧しい状況があったからですよね? みんな懸命にそこから脱しようとした。その結果としての効率や豊かさだった。
服部 ただ、僕らは、それを疑わざるをえなかったわけやん。まず大学を卒業する頃、バブルが崩壊。追い打ちをかけるように、阪神淡路大震災を目の当たりにした。暮らしも社会の仕組みも、これまで通りじゃない。ゼロから、自分たちの手でつくり直さなきゃならないだろうと感じたんだよね。
鞍田 そこからの東日本大震災。だけど、5年経とうとしているいま、挫折感があるよね。あの時きっと多くの人が、20世紀型の豊かさに限界を感じて、「新しい社会をつくらなきゃ」と感じたはず。なのに、この国は結局なにも変わってへんやんか。
服部 変わっていないね。
鞍田 新しい社会への歯車が回りそうで、回り切らなかった。でもそんな時代だからこそ、手をこまねいているだけではなくて、自分たちが手を動かして「つくる」ことが大事だと思う。人任せでは、社会は変わっていかへんわけやん?
HOWからWHYへ。いま求められる、なぜ生きるか
服部 もともと、ものづくりには「いいものをつくりたい」というつくり手の気持ちが前提にあると思う。同じように、誰もが、「感じのいい暮らし」を求めている。より良く生きたいと思っている。問題は、その「良さ」。そして震災は、お金よりも「生きる」ことが大切だと気付かせてくれました。
鞍田 エエこと言うねえ(笑)。いまので2つ思いついたことがある。
1つは、「″これも自分と認めざるを得ない″展」という不思議な展覧会のこと。2010年に六本木の「21_21 DESINE SIGHT」で、メディアクリエイターの佐藤雅彦さんがディレクションしたものだけど、企画背景のインタビューが印象的で、思い出した。
その中でね、「いままでデザインはHOWばっかりを重視してきたんじゃない?」って指摘があるの。 HOWっていうのは、いかに便利なもの、いかにいいものをつくるかの「いかに」だけど、同時に、いかに生きるかという意味でもある。でも、いま焦点を当てるべきは、WHY(なぜ)じゃないか、って佐藤さんは言う。
なぜ生きるのか? そしてなぜつくるのか? 僕らはもう一度考える必要があるんだと思う。もちろんすぐに答えは出ないけど、「いかに」ばかりを求めてきた間に、肝心な根っこ、生きる理由を見失ってしまった。だからこそ、僕らに求められているのは、暮らしに根ざした実感かもしれないよね。ただ、もちろん、みんな何がしか感じつつ毎日生活している。じゃあ、求められる「実感」ってなんやねん……。
ここまでは哲学者でも考えられるんですよ。で、次は、2つ目。こっからはデザイナーの役割やで?(笑)(服部の肩をバシッと)
服部 出るぞお! 行くで! デザインの役割は、質の高いものや美しいもの、かっこいいものを示していくこと!
鞍田 さすが!(笑)で、2つ目だけど、デザインの役割についてDESIGN EAST(*1)でエンツォ・マーリ(*2)が語ったことがあるやん。
(*1)DESIGN EAST:「デザインする状況をデザインする」ことを目的に、2009 年、大阪を拠点に活動するデザイナー・建築家・編集者などによって発足したプロジェクト。
(*2)エンツォ・マーリ(1932~):デザイナー。家具やプロダクツなど多岐に渡り活動を展開。作品のうち29点が、ニューヨーク近代美術館の永久所蔵品に。
服部 お前らはクオリティの本当の意味、わかっとんのか?という話をしたね。
鞍田 エンツォ・マーリはイタリアデザイン界の巨匠です。彼が語ったのは、100%のデザインのクオリティとはどのような状態かということ。そして長いキャリアにおいて彼が実現できたはずの最高の仕事を、どれだけ踏みつぶされてきたか……。
服部 なぜ彼が最高の仕事をできないかというと、「お前らが馬鹿だから」だと言う(笑)。つくり手も馬鹿だし、売り手も馬鹿だし──。
鞍田・服部 「使い手も馬鹿だ!」と。
服部 会場がシュン……と静まり返った時に、エンツォ・マーリがノーベル賞について語り出した。ノーベル賞はまだ、本来祝福されるべき人に賞を与えていないとね。「だからお前らはデザインにおける100%のクオリティを分かってないんやあ!」と説教が始まって。
(フロアに向かって)みなさん、誰だと思います? 本当に祝福しなきゃいけないのに、まだできていない人って。
会場 ……(沈黙)
服部 答えは、性別も国籍も貧富の差もハンディの有無も関係ない「全ての2歳児の子どもだ」という。2歳児は、純粋無垢なわたしが、世界とはじめて対峙する時期です。机を見てもマイクを見ても不思議。すべてが初体験になる。そうやって一個一個のものごとをまるごと経験することが、じつは100%のクオリティなんだよね。3歳以上になってしまうと社会で教育されて、予備知識を持って物事を見るようになってしまう。
鞍田 そうそう。
服部 デザインは新しい経験をつくるべき。そうであるにもかかわらず、もうすでにあるものをつくり変えようとしているのがデザインの現状です。「生活者は馬鹿だ」とエンツォ・マーリが揶揄した理由は、必要とするものを、自分自身の感度で選べているのかどうかを問うべきだからです。手に取るものだけじゃない。生き方や暮らしを選択するのは、最終的に生活者なんだよね。
民藝運動への関心と、100年単位で循環する暮らし
服部 ものを買い、消費を前提に生きるいま、僕らがどういう価値観で生き抜かなければならないのか。僕は民藝が参考になると思う。
鞍田 それこそ、僕が著した『民藝のインティマシー—「いとおしさ」をデザインする』でも書きましたが、grafの『ようこそようこそ はじまりのデザイン』という本の中で服部くんは、民藝ってじつは時代に対するアンチテーゼだったんだとストレートに指摘しているね。
ものづくりに立ち返り、今の時代に残すべきものは何かと考えてみる。根源的に強度のある時間を過ごしたものが、過去から現代に残っている。野生的なるもの。これは、僕が指針としている民藝運動にもつながる話だ。僕は、民藝運動を時代に対するアンチテーゼとしての活動体として興味を持って見ていた。
引用:『ようこそ ようこそ はじまりのデザイン』(graf/著 学芸出版社 P181)
鞍田 本人前にして言うのもなんやけど、うまいこというなあと思った(笑)。
服部 柳宗悦(*3)さんが始めた民藝運動は、1926年にスタートしました。簡単に言うと、近代化とか工業化・都市化が猛スピードで進んで、世の中が変わろうとしている。そんな時代に「足元見ろよ、お前ら!」と叫んだのが、民藝運動ですよ。
(*3)柳宗悦(1889~1961):民藝運動を主導した思想家、美学者、宗教哲学者。
鞍田 あと10年すれば、1926年からちょうど100年。服部くんは、「もしかすると、当時と同じような状況と立場に我々は立っているんじゃないの?」って言いたいんよね。
(フロアに対して)100年前というとずいぶん昔に感じられるかもしれませんが、せいぜい3代前、おじいちゃんおばあちゃんたち世代です。たしかに僕も、100年後のいまだからこそ、民藝運動の意義を考えてもええんちゃうん?と思っています。手仕事ならではのぬくもりや、かわいらしさは、もちろん民藝の魅力。でも、それだけじゃない。民藝には、消費ありきの価値観を問い直す時期に来ている、今だからこそのメッセージが託されているんです、きっと。
たぶん僕らは5年とか10年ではなく、100年単位の括りの中で、繰り返される循環や営みを考えていくべきだろうと、そんなふうに思うんですよね。
後編に続きます。
お話をうかがったひと
服部 滋樹(はっとり しげき)
1970年大阪生まれ。クリエイティブディレクター。
98年大阪、南堀江にショールーム“graf” をオープン。 2000年“decorative mode no.3”設立。同年、中之島に移転し、 “graf bld.”を設立。家具、空間、グラフィック、プロダクトデザイン、アートから食に至るまで「暮らしのための構造」を考えてものづくりをするクリエイティブ集団“graf”の代表。近年では、京都のダンスカンパニー・モノクロームサーカスと共に瀬戸内国際芸術祭へ作品を出展、「小豆島カタチラボ」「MUSUBU SHIGA」など、”デザイン”の視点から地域ブランディングを手がけ、領域を超えて精力的な活動を続けている。
鞍田 崇(くらた たかし)
1970年兵庫県生まれ。哲学者。
明治大学理工学部専任准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。総合地球環境学研究所(地球研)を経て、現職。著書に『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社)、『道具の足跡』(共著、アノニマ・スタジオ)、『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(編著、フィルムアート社)。がある。近年は民藝や工芸を通じた哲学的な視点から、社会や暮らしの「次」の形を追究している。