2月11日、鶴岡のお菓子屋「木村屋」さんと、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんがつくった「かわらチョコ」のお披露目会として「庄内ここ未来会議」がおこなわれました。
イベントでは、かわらチョコづくりに携わった方々のお話の他にも、鶴岡をふくむ庄内エリア、そして山形県全体を盛り上げる人たちが集りました。
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庄内に呼ばれた人々
登壇したのはぜんぶで4名。それぞれに仕事や活動範囲は違えど、庄内に造詣の深い人たちです。
料理研究家 マツーラユタカさん
まずは、イベント中に振舞われた庄内プレートをつくった料理研究家のマツーラユタカさん。普段はマツーラさんと金子健一さんの二人で「つむぎや」というフードユニットを組んで活動しています。
「庄内プレートというお題を頂いたので、昔から慣れ親しんでいる食材を使って、新しい魅力を引き出せるようなレシピにしました。例えば冬の定番食のひとつであるどんがら汁をアレンジして、ジャガイモのペーストと混ぜてポタージュ風にしたり、木村屋さんとのイベントですのでモナカの皮をつかってお菓子っぽくしたおかずも加えました。」
お皿の上に盛り付けられた料理は、ぜんぶで7品。イベント会場にいる全員が、庄内プレートに舌鼓をうちます。中でも、冬の山形の風物詩でもあるどんがら汁に着想を得て作られたスープは、体の芯からあたたまる美味しさでした。
普段は横浜を拠点に活動しているマツーラさんですが、出身は鶴岡ということもあり、外の視点から中の文化を見たときの発見を料理にも取り入れたと言います。
「地元の人は土の人、外の人は新しい風を運んでくれる風の人、その両者が出会って土地の風土が育まれるという考え方があって、僕はだから風土という言葉が好きなんです。今回も、庄内の食材に新しい風を吹かすということは意識したことの一つです。」
また、ほかの地域から見ると鶴岡の食文化は注目の的になっていると感じているとマツーラさんはいいます。地元のものを大切にしつつ、それらを外へ持ち出して伝える動きも多く、土の人が風を運ぶことのできる可能性を秘めているのです。
「ほかの地域に文化を伝播していけるのは、庄内のバックボーンゆえだと思います。食文化もそうですが、ただ食材が豊かで美味しいだけではなく、庄内には移動が禁じられた時代に活動していた山伏がいたり、ものを受け継ぎ、種を繋ぐ文化が根付いているのだと思います。」
庄内の食文化を一言で表すと?というヒラクさんからの質問に「脈々と、ですかね」と答えたマツーラさん。風土、はFoodでもあるな、とお話を聞きながら思いました。つまり、内外の視点を取り入れた食が文化をつくっていくというつながりも、きっとあるのではないのでしょうか。
都会にいると、いつでもどんな食材も食べることができますが、地元のものでつくられた庄内プレートは、どこかほっとする味がしました。
山伏 星野文紘さん
マツーラさんのお話にも出てきた山伏ですが、一体どういう人のことを山伏というの? という疑問に答えるように次に登場したのは鶴岡の山伏、星野文紘さんです。
星野さんは羽黒山の13代目の妻帯山伏(※1)として宿坊を営んでいる星野さん。山で暮らす星野さんに、ヒラクさんが「出羽三山とは星野さんにとってどういう存在ですか?」と問いかけると「出羽三山は命の源ですね」とおっしゃりました。
「日本人にとって自然が神様ですが、それはなぜかというと命を育むものだから。今の感覚だとあまりピンとこないけどね。人間には肉体と魂があって、肉体を作り出すのは食で、食は山と川と海からいただくもの。魂ちゅうのは、岩とか大木から享受するもの。だから人間は肉体も魂も、ひいては命ぜんぶが、自然と深くつながっているんですね。」
(※1)妻帯山伏:既婚者で山の麓に住む山伏のこと
日本というのは山国だからこそ、山伏が生まれ、その存在が文化の流れを生み出していました。自然を司る山は、食を生み、命をつくる。つまり、山は命の源だと星野さんは言います。
「山というのは女性の躰なんですね。赤ちゃんが胎内から出てくるのは産まれるということ、つまり山から出てくることは産まれるということなんです。羽黒山伏たちの修行のひとつで、穀物に憑依してその稲森を田んぼに植えるという修行があります。豊作を祈るための儀式の一つだけれど、こうした背景を庄内の人たちが共有していれば、もっと山伏の文化が自分たちとどれくらい深い関係にあるのか、分かると思いますよ。」
ヒラクさんいわく、菌の種類のうちお醤油やお酒をつくる稲霊(いなだま)という菌がついた稲が本当にあるそうです。神様をくっつけるという教えは、もしかしたらこの菌のことも指していたのかもしれませんね。
「TSUCUL」編集長 今野優さん
庄内だけでなく、山全般に関わるお話を聞いたあとに登場したのは、風の人の1人でもある今野さん。鶴岡の魅力を伝えるリトルプレス「TSUCUL」の編集長を務めています。鶴岡にUターンで戻ってきたとき、羽黒山をはじめとする文化に触れ、地元の良さに再度光を当てようと雑誌を立ち上げました。
鶴岡の新しいカルチャーをつなげ、つくりたいという思いで命名された「TSUCUL」。自主的に雑誌をつくっていくことはとても大変ですが、地域の情報をどう編集しているのでしょうか。
「アイディアを出すとき、まずは自分たちがいいなと思うことが大事です。自分たちが楽しめないコンテンツは読者の人たちにも、その雰囲気が伝わってしまうと思います。野草を食べられたらおもしろいんじゃない?というテキトーな発言から(笑)最終的には水の特集をしようということになったり。各冊子で絞ったコンテンツに焦点を当てて、尖ったものになるよう気をつけていますね。」
尖ろうと思うと、協力していただく地域の人のコミュニティの障壁も免れません。外から入ろうとする今野さんたちに違和感を覚えたり、情報をオープンにしづらいと感じる人もいるそうです。
「そういう方々には、無理にこじあけるというよりは、全く関係ない雑談をしたりしますね。直接本題にいくのではなく、無駄話から信頼関係を築けると、相手もおもしろいことを教えてくれたりしますね。人同士のつながりを大事にする方が多いですし、自分たちもいろいろなことに興味がある人たちを巻き込んで、作っていきたいと思います。」
「TSUCUL」を作る上で、地域の価値に光を当て続けていきたいと語る今野さん。誰も気付かなかった魅力を、いち早く届けられる冊子として、これから注目のリトルプレスです。価格も1部300円という安さ。鶴岡に来た時はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
NPOミラツク代表 西村勇哉さん
最後は風の人代表と言っても過言ではない、様々な地域で新風を巻き起こしてきた、西村勇哉さんです。普段は地域を超えたコミュニティの協力関係をつくる場づくりをしています。
「西村さんの活動は一言で表現できないくらい、多岐に渡っているのですが、本質的な解決すべき問題は何で、その先に何を目指していらっしゃるんでしょうか?」と聞くヒラクさんに、「話し合いの場や交流するためのフィールドワークを企画・運営することで、みんなが望んでいるのに実現しないことを実現に近づけることを主軸に置いています。」と話します。
「みんなが望んでいる未来というのは子どもが健やかに育つ幸せな環境だとか、言葉は違っても近いイメージです。僕としては、同じようなことを考えている人が知り合える場を作れば、協力できたり自分のすべきことが見えてくると思うんです。身を以て体験しないと、本質的な理解はできないと思うので。」
頭で考えているだけでは分からないことはたくさんあります。今の時代はコミュニケーションが簡略化される時代ですが、より肌感に訴えかけるような関わり合いを増やすよう心掛けているそうです。
地域のコミュニティをつくるとき、どうしても避けられない壁が大なり小り存在します。西村さんは、そうしたものとどう対峙しているのでしょうか。
「ある時、旅館に呼び出されて、地元の人が15人くらい居るところに放り込まれたことがありました。なんだこの若いヤツは、って雰囲気で怖かったんですけど、当たり前ですよね。だって地元の人でもない若者が急に自分たちの地域に入り込んできたんですから。ですから、押し付けるというよりはみなさんが何を考えているのか、まずは聞いてみる。そこからできることがあれば挑戦させていただくという感じです。」
西村さんは、地域が良くなるために、と主観で考えるというよりは、常に客観的立ち位置から暮らす人々を見つめるプロだなあと感じました。だからこそ、人と人を繋いで新しい化学反応が生まれるのでしょう。今は「食と健康」の関係性に興味があるそう。次はどこでどんなことを仕掛けるのかが楽しみです。
ここからまた新しい風を
最後は4人全員が出てきて、会場一体となってディスカッション。冒頭「人の顔が見える場にしたい」と話したとおり、イベントの感想や庄内への思いなど、様々な声が挙がります。
「かわら人形というもともとあった文化が、風と土の人によって掘り起こされましたが、他にもそういうものが庄内から生まれるとうれしいです。」
「一過性の盛り上がりだけではなくて、地元の文化を理解してくれる風の人を呼び寄せるのが庄内の魅力だと思います。そういうつながりはこれからも大事にしたいですね。」
「命が巡るということが、自然に会話に出てくる地域というのは、そう無いと思います。こういうことに意識が強いのは地域の特色ではないでしょうか。」
「食というのは、地元の人と農家のひとがつながって守られるものです。湧水を守るために活動している人もいれば、農薬を使わざるを得ない人もいる。山の人たちと海の人たちももっと話し合わなくちゃと思いました。」
かわら人形という、庶民が季節を楽しむためだったものが、現代の庄内でさまざまなひとを呼び寄せ、つながりあう。決して活動の領域が重なってはいない人同士でも、こうして同じ場所で出会えたというのは、かわら人形そのものが土着の生活文化から生まれたものだからこそ、強い引力を帯びているからなのかもしれないと思います。
土の人も風を起こせるし、風の人も土へ降り立てる。どちらの可能性と役割をも、誰しもが担っているのかもしれないと感じる庄内の夜でした。