島根県から北に約60km離れた隠岐諸島に、海士町(中ノ島)はあります。西ノ島町(西ノ島)と知夫村(知夫里島)の2町村と合わせて島前と呼ばれるこの地域では、2008年に「島前高校魅力化プロジェクト」が始まりました。

ある時は全校生徒が90名を割り、廃校寸前まで追い込まれた島前高校ですが、今では島外から毎年100人もの「島留学」希望者の子どもたちが、島に訪れるそうです。

持続可能な地域をつくるためには、海士町を含めた日本の、とりわけ過疎地域において未来を担うひとづくりが急務です。今回、教育をテーマとする地域のひとづくりについて、同プロジェクトの拠点として竣工された島の公立塾「隠岐國(おきのくに)学習センター」の豊田庄吾(以下、豊田)さんにお話をうかがいました。

豊田庄吾さん

「島前高校魅力化プロジェクト」の目的は持続可能な地域づくり

── 豊田さんは「島前高校魅力化プロジェクト」を推進するために、2009年から尽力されています。そもそもこのプロジェクトはどのような目的を持っているのか、教えていただけますか。

豊田 島前高校魅力化プロジェクトの目的は、魅力的で持続可能な高校と「地域」をつくること。そのためには、産業、雇用、他にも福祉や医療も、当然教育も必要です。さまざまな地域の担い手を、高校を中心として島前(*1)3つの島で担っていくのが新魅力化構想の目的です。

(*1)島前:隠岐諸島のうち、西側に位置する有人3島とその周辺の無人島により構成される群島の総称

── このプロジェクトで定めている目標はありますか?

豊田 「島前高校魅力化プロジェクト」では、ふたつの数値目標がありました。ひとつ目は、島前地域内からの入学率を70%にすること。入学率が一番ひどかった平成20年は45%……つまり、島前地域3島の中学生の半分が島を出て行ったという事実があるんです。島の子どもが島の高校に入学できるようにする目的があります。

ふたつ目の目標は、島の外からの入学者数を増やすこと。どんなに島前地域内の高校への入学率が上がっても、中ノ島、西ノ島、知夫里島の3つの島の中学生が20人を切ってしまったら、100%進学したとしても島根県が定めている基準を下回り、高校は潰れてしまう。島唯一の学校が廃校になるのを防ぐためにも、島外から生徒を呼ぼうとしたんですよ。

── 全国各地から受験希望者が来るという「島留学」の制度ですね。実際に結果を出すための工夫は何でしょうか。

豊田 島外からわざわざ離島に進学したいと思ってもらうためには、「おっ、あそこの高校はおもしろそうだ」と思ってもらえるフックが必要です。そこで、カリキュラムとして「町づくりコース」をつくることにしました。当時、地方創生というキーワードはありませんでしたが、今でいう地方創生リーダーを育成するようなコースです。立ち上げ当初、全国を回りながら各地で説明会を開きました。

隠岐國学習センター

── 都市を出て、あえて離島で学ぶことに、どのような価値があると思いますか?

豊田 この島では、問題が山積みの日本がこれから知るべきことを、体感的に学べるんじゃないかなと思ってます。人口減少や少子高齢化に注目すると、日本で一番深刻な問題が進んでいるのは過疎地域です。島根県にある離島の島前地域は、まさにその地域で。日本の重要課題がぎっしり詰まっています。

こういう場で学んだ人材が、日本の未来を切り開くんじゃないかとぼくらは思っています。子どもたちはこの島で学ぶことで、今後迎えるであろう、人やお金といったリソースが少ない中で結果を出すことが求められる社会であっても、任せられた仕事を遂行できる力がつくと思っています。

廃校の危機は、地域の危機に直結している

── 今回のテーマでもあるのですが、過疎地域において、学校というのはいったいどれくらい重要な存在なのでしょうか。もう少し、自分ごととして意識してみたいのですが。

豊田 学校は地域の存続に直結しています。たとえば子供の数が減ると先生の数も減る。
そうやって学校が衰退していくとどうなるでしょうか。中山間地域も厳しい状況ですが、
特に離島は厳しいんですよ。

── 具体的にいうと、どうなるのですか?

豊田 仮に学校が廃校になったら、島に住みながら本土の高校に通うことはできない。本土までは片道約3時間もかかりますから。だから結局、高校進学と同時に下宿しなきゃいけないんです。すると親たちは仕送り費用がかかってしまうので、高校生の世代が島から出ていくだけじゃなくて、子どもが高校に進学するタイミングで親も一緒に島を出てしまう。(島根県の)松江に家を借りて仕事を探して、高校に子どもを通わせる。つまり高校生がいなくなると親もいなくなり、下手すると家族ごといなくなってしまいます。

豊田庄吾さん

── ひと世帯が島から流出することもざらにあると……。

豊田 だだでさえ人口が減っているにもかかわらず、働き盛りの親世代がいなくなると、行政は税収が得られない。結果、よい行政サービスを提供できない。もっというと伝統文化・伝統芸能も継承されなくなってしまうんです。少し言葉を変えて繰り返しますが、学校の危機は、地域の危機に直結しているんです。

── 学校の危機と島の存在が繋がっていることを理解しているからこそ、当時の背景を踏まえて「島前高校魅力化プロジェクト」が始まったと。

豊田 そうです。島の子どもの数は圧倒的なスピードで減り続け、2008年には入学者の数が28名になりました。島根県ではその年の入学者数が21名を下回った状態が3年続くと、統廃合の対象になるという決まりがあるんです。その当時、試算したら今から2年前の2013年には、島前高校はどんなにもがいても潰れることがわかっていました。それがきっかけで、いよいよ自分たちでなんとかしなきゃいけないと、島前地域で「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠の発展の会(魅力化の会)」を立ち上げました。

地域の厳しい現実が、教育コンテンツになる

隠岐学習センター

── 現在まで島前高校が廃校にならずに続いているという意味では、ひとつの成功と言えるのではないでしょうか。

豊田 ぼくらは自分たちのことを成功事例ではなくて、挑戦事例だと思っています。教育面でも次のステップに進むために、今でも挑戦をしている。やりながらいろんな方のアドバイスを受け止めていこうと考えているところです。

── たとえば今考えていることはなんですか?

豊田 言い方はおかしいですけど、厳しい現実が教育コンテンツになるんじゃないかと思って。今まで大人がふたをしてきた地域の厳しい現実を、きちんと子どもたちに見せるのが大事だと思う。農業の次の担い手がほとんどいないとか、これだけ人口流出しているとか、このままだと地域そのものが無くなってしまうという現実です。

── わざわざ子どもに、これまでの一般常識であれば「知らなくてもいい情報」を共有する理由があるということですね。

豊田 そうなんですよ。子どもを含めた若者は、フロンティアスピリッツを持った開拓者です。今までは都会や海外がフロンティアだったから、子どもたちは上京や世界一周をしたがり、どんどん攻めていったと思うんです。けど今は、都会が開拓され切ってしまった。じゃあ、次はどこを開拓するかというと、各地域だと思うんですよ。

実際は、開拓するのが難しい。でもだからこそ志を持って挑戦したいという若い子は多い。みんなの前に立って授業をしていて、ぼくはそう感じています。

隠岐國学習センター

── じゃあ子どもたちにとっては島前地域もフロンティアであり、開拓しに来ているということになりますね。

豊田 子どもたちの視点になると、新しい教育のあり方が見えてきますよね。島前高校だけを「学校」とするのではなくて、全体を高校として捉えるとおもしろくなる。住民も先生、町長も、役場の職員も、民間企業で働く人たちもみんな先生です。島内にないものはIT技術をうまく活用すれば、グローバルに学べる。

いい意味で島はクローズド。閉じている、日本社会の縮図です。対して都市部は一個一個の社会のパーツが大きい。もちろん最先端かもしれないですけど、社会の全体像が見えづらいと思うんです。

── 島で学ぶ子どもたちが、どんな人材に育ってほしいですか?

豊田 地域で生業をつくっていける、地域起業家的な人材に育ってほしいと考えています。海士町が好きで帰りたくても仕事がないから帰れない……ではなくて、仕事をつくりに島に帰ってくるような場づくりをしていけるといいですね。もちろん起業する若者が増えていく傍らで、島で廃業する人がたくさんいるのであれば、その人たちのビジネスリソースを活用しながら、時代に合わせてビジネスのやり方を変化させて継業することも必要じゃないかな。島の文化を継ぐという意味でも、「継業」というキーワードを大事にしたいです。

地域の未来を担うひとづくりで大切なこと

豊田庄吾さん

── 島前高校の生徒さんと話しましたが、みんなハキハキしていて自然体ですね。自分に子どもが生まれたら、この学校に進学させたい!と思いました。

豊田 島前高校は1学年で80人が定員です。にもかかわらず、島外から入学希望の生徒がすごく増えてきて、資料請求だけで年間800件以上あります。ただ、80人に対して全体の3割、24人だけが県外枠なんですけどね。

── ちょうど昨日はオープンスクールだったと聞きました。

豊田 今年のオープンスクールには約160人の子どもとご両親が来てくれました。みんなここ隠岐國学習センターに来ると、すごくいい表情になって、「わあっ」て喜んでもらえるんです。

でも今はハード面ができただけです。隠岐國学習センターをいい場所にできるかどうかは、ぼくらスタッフと子どもたち次第。ここからちゃんと、魂を吹き込んでいきたいですね。

── 橙色の石州瓦に、太い支柱。学習センターからは、隠岐建築の文化を感じられます。ここだからこそできることがありそうです。

豊田 隠岐國学習センターは、継承することの大切さを体現する場所でもあります。単なる塾をつくろうと思ったら、築100年の古民家の建物はいりません。ここでやっていきたいことの本質は、先人たちのバトンを受け取って次世代につなぐということ。継げる人たちを育てたいから、地域の文脈がわかるような空間になっています。

── ここを拠点として、今後どのようなひとづくりをしていきたいですか?

豊田 今、住民行政が一緒になって「この島をよくしよう」という機運が少しずつ高まっています。ぼくはここで、地域の未来を担うひとづくりをしたい。そのためには協力なしには実現できない。いかに地域が自分ごととして教育に取り組んでいくか。子どもたちも島の未来を自分事として捉えて、どう地域の未来に貢献するかを考え続けることが大切なんです。

子どもたち全員が、地域に戻ってくることが重要ではありません。一生をかけて自分の故郷と関わっていきたい、恩返しをしていきたいと実感するような素地をつくることが、これからの地域教育だと思います。

お話をうかがったひと

豊田 庄吾(とよた しょうご)
福岡県大牟田市出身。大手情報出版会社、人材育成会社を経て、2009年11月海士町(あまちょう)に移住。高校魅力化プロジェクトに参画し、高校連携型公立塾、隠岐國学習センターを立ち上げ、現在同センター、センター長。学校と地域が一体となった人づくりの実践者として、地域の未来の担い手を輩出する『現代版松下村塾』を創るべく奔走中。 キーワードは継承、志、グローカル人材。

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