ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。
夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。

確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。

自由に生きていい。そう言われても、

「どう生きればいいの?」
「このままでいいのかな」
「枠にはめられたくない」

私たちの悩みは尽きない。

選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。

ほら、今も細腕が店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……

連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」

第17回目となる今回は番外編。インドネシア・バリ島在住の実業家、生島尚美さんを国を越えて訪ねます。

sisiプンゴセカン店
sisiプンゴセカン店

── こんにちは、バリに来るのは二度目だわ。相変わらず素敵な街。

生島 尚美(以下、生島) こんにちは、バリ・ウブドへようこそ。

── そう、私は今回ウブドにきたくてバリへきたの。ここは、あなたの店?

生島 はい。バリ島ウブド「sisiプンゴセカン店」ですね。複合施設「ガーデン」に併設しており、カフェや図書館が裏手にあります。私がウブドで手がけている事業の本拠地です。

── あなたはこの街で暮らしながら、「sisiバッグ」を作って生きている?

sisiバッグ

生島 えぇ、バリで暮らし始めて、もう17年になります。一番最初にバリを訪れたのは、まだ私が学生の頃。ウブドを一目見て「あ、もう私ここで暮らしたい」と思って。1年間ホステスのアルバイトをして、100万円だけ握りしめて、この街へやって来ました。

けれど仕事はなかったので、いろいろと考えて。最初の1年間は貯金が徐々になくなっていくのを、ただ見つめていました。移住1年後に、「sisiバッグ」の店を立ち上げ、その後いろいろな事業に派生して今に至ります。

── いろいろな、というところが気になるところだけれど、いいわ。ねぇ喉が渇いたの、「KAFE TOPI」のフレッシュパパイヤジュースをいただいてもいいかしら?

生島 もちろんどうぞ。今日は風が気持ちがいい日。裏のオープン・エアの席で話しましょうか。

「sisiバッグ」から始まるインドネシアでの事業の日々

KAFE TOPI

── あなたが今バリで取り組んでいることを、もう少し詳しく教えて?

生島 じつはその、今飲んでいるパパイヤジュースも、私の店の商品です。「sisiバッグ」の「sisi」はインドネシア語で「傍ら」の意味。2000年に個人事業主としてバッグ作りを始め、8年後にPT(株式会社)に、さらに3年後の2011年には、PMA(外国資本の会社)にしました。

現在はバッグショップの運営だけでなく、「KAFE TOPI」のほか、「Warung Sopa」など異なるコンセプトを持った飲食店の運営、複合施設「ガーデン」の経営やテナント業、バリで開業したいひと向けのコンサルティング等を行う会社になりました。

── ……このドリンクも、この複合施設自体も、あなたの仕事の賜物ということ?

生島 すべてひとりで行っているわけではないですけれどね。移住当初はひとりでしたが、現在は夫も子どももいますし、現地で信頼できる仕事のパートナーも、従業員もたくさんいます。でもそうですね、すべて私の仕事です。

KAFE TOPI

── なぜ一番最初に、バッグをつくろうと?

生島 うーん……そうですね。最初は、バリに住みたいという一心でこの土地にきたので、勤め先を探そうと思っていたんですよ。でも私、気が小さいというか、変なところで小心者なんです。日本ではフリーターや、ちょこっとOLみたいなことをしていただけだし、英語も日常会話程度しかできない、もちろんインドネシア語なんてもっと分からない。どうしようどうしよう、と時間だけが経っていて。「ホテルスタッフは? いやいや経験がない。あんなにきれいな場所で働けない」なんて、ひとりで無駄に悩んで、なぜか動けなくて。

でも一方で、冷静に自分の状況を見つめている私もいました。「ウブドに住みたい。でも住み続けるために、私は何をしたらいい?」と自分のできること、街の状況、観光客の動向を調べていて。それで、最初はアパレルの店を始めようかと思ったんです。でも、サイズの問題が難しそうだし、何よりすでにウブドにたくさんアパレルショップがありました。

……でも、バッグの店はないなと思って。

── うん。

生島 ちょうどその頃、現地で暮らしながら知り合ったひとが「ここでお店を開いたら?」と場所を貸してくれる話もありました。タイミングもよかったので、「やろう」と。その頃私は25……いや、26歳になったばかり。不安もたくさんありましたが、甘えていてもここで暮らし続けていくことはできないと理解していたので、生きるための道を自分で切り開く気概で、取り組み始めました。

イブ・オープンさんと生島さん
職人チームのリーダーのひとりのIBU OPEN(イブ・オープン)さんと。sisiバッグ公式サイトより

店を開けても誰も来ない!「やれることは全部やった」設立当初

── ふぅん。いいわね、私が26歳の頃に、その挑戦ができたかしらと考えると、すごいなぁと素直に思うわ。

生島 ママがストレートに褒めてくれることって少ないから、うれしいな。オープンは16年前の4月末。観光でバリを訪れた日本人の方に買ってほしいと思っていたので、ゴールデンウィーク直前まで準備をして、職人を急かして。なんとか滑り込みでオープンさせました。

でも、蓋を開けてみたら、というか、店を開けてみたら、だぁれも来ない。

イブ・オープンさん
sisiバッグ公式サイトより

── ……あら、そうだったのね。

生島 いま考えれば当たり前です。お店を開けただけではひとは来ない、売るため、知ってもらうための努力をしなければ、お客さんなんて来ないですからね。

ウブドには「モンキーフォレスト通り」と「ハノマン通り」という大きな2つの通りがあって、その周辺が街の中心部。私の店がある土地は、そこから15分ほど歩いた、繁華街からは外れた通りだったんです。店の前を通るといえばニワトリ、犬、時折バイク。地元のひともめったに通らないし、舗装なんてされていないから、砂埃だって舞い上がる。

オープンしても誰も訪れないお店にいながら、「あぁ、私アホやな」って思いました。

sisiバッグのスタッフ

── そこから、どうやって現在のような人気店に?

生島 人気店になれたかどうかは分かりませんが、できることは全部やりました。店をオープンした頃はパソコンもない、SNSもない、通信速度も写真3枚送るのに15分かかる時代です。はじめは手書きとワープロで、「sisi壁新聞」という1枚モノのフリーペーパーをつくって、街中で配っていました。

でも、全然受け取ってもらえないんですよ。そりゃそうですよね。バリに観光しに来て、パンフレットなんかを見ているときに「あのぅ……壁新聞なんですけれど」なんて、いくら日本語で話しかけられたからといって、怪しくないですか?

生島さん

生島 私の岐路は、今振り返ると大きく2つ。

ひとつは、シンガポールから観光でバリを訪れた日本人女性が、「sisiバッグ」を買い付けてくれたこと。もうひとつは、本を大切にしていたことです。

── ふぅん……ひとつ目は、買い付け?

生島 2000年と言えば、アジア雑貨のウェブショップの走りの時期です。インドの「パシュミナ」をご存知ですか。日本では当時非常に流行していたアイテムですが、それを、シンガポール在住の日本人女性が買い付けて、試しにウェブショップで日本向けに販売していたんですね。旦那さんの仕事の都合でシンガポールに引っ越しされたらしく、最初は趣味程度のものだったらしいのですが、それがいつしか大当たり。でも「パシュミナ」が頭打ちになって、何か新しい商品を仕入れたいな、と思っていた時期に、そのオーナーの女性が偶然、私の店に迷い込んできたんです。

── へぇ、おもしろいわね。

生島 でしょう? じつは私、その女性を前日に空港で見かけていたんです。「うわぁ、キレイなひとだなぁ」と思って、見とれてしまって。だからそのひとがウブドの私の店の前を通ったときに、「あ! あのときの!」とすぐに分かって。

彼女は「モンキーフォレスト」という観光地に行きたかったようなんですが、私の店からそこは歩いて30分ほどかかります。全然違いますね〜なんて話をしていたら、「このバッグ、かわいいですね」と。「買えるんですか?」と聞かれたから、当然「買えます」とは答えましたが……。まったくお客様が来ない状態から、買い付け、なんて展開に頭がついていかなかったので、最初は彼女が何を目的で「買えるのか」と聞いているのか、理解するまでに時間がかかりました(笑)。

生島尚美さん
sisiバッグ公式サイトより

生島 その後、彼女がシンガポールに戻って「sisiバッグ」の販売を開始したら、飛ぶように売れる、売れる。先ほど、当時はウェブショップ開設の走りの時期だったと申し上げましたが、本当にその頃、ウェブショップが乱立し始めていました。人間、なにか新しいことをするときは成功例を真似しますよね。彼女の店は、まさにその「真似される側」の店でしたから、彼女の店を見た方から「うちでも取り扱いたいのですが」なんて問い合わせが増えていって。

じつは店を出したときの密かな目標に、私の店がある通りを「sisiバッグの店がある通り」と街のひとに言わせたい! というものがありました。オープンから4年後くらいかな。街中のカフェで日本人観光客らしき女性2人が「あぁ、あの『sisiバッグ』の通りね」と会話しているのを肩越しに聞いた時は、本当にうれしかったなぁ……。

── それは、うれしいわね。そして、シンガポールの彼女との出会いは、素晴らしい偶然だったのね。旅先で道に迷うって、結構ドラマチックな出会いを生むわ。本については、どういうこと?

生島 もともと本が好きで、「sisiバッグ」の店の傍らに、日本語の本を置く図書スペースを作っていたんです。そこには小説やガイドブック、インドネシア語の本なんかのほかに、漫画も置いたりして。

そうしたら、日本人経営の店ということもあって、バックパッカーの男の子たちが通ってくれるようになったんです。彼らが来ても商品は売れないんですけどね(笑)。150円くらいでコーヒーが飲めるような簡単なカフェスペースもつくっていたので、「ここにきたらゆっくりと漫画が読めるぞ」なんて旅行者の間で口コミで広がって。

で、彼らも長居している罪悪感からなのか、お礼の気持ちからなのか、今度は街中で日本人観光客に何か良いお土産がないか、と質問されると「sisiバッグっていうものがあってね」とうちの店までお客さんを連れて来てくれるようになりました。あとは、日本へ帰国するときに、母への土産に、なんて1つ買ってくれたりとか。

そういう出会いやつながりがあって、少しずつお店が大きくなっていった感じです。今は当初の場所からは移転して、店舗数も増え、ウェブショップも開設。SNSも普及しましたから、「sisi壁新聞」を発行していた当時とは、随分様子が違いますけれどね。……ふぅ、たくさん話しました。

── 話が上手いのね。聞いていてとても楽しいわ。

生島 私、さっきも少し言いましたが、日本にいた頃100万円貯めるために、大阪でホステスの仕事をしていたんですよ。今も、インドネシア在住の日本人向けに、スナックのママの設定でラジオのパーソナリティーをしているくらい、おしゃべりは大好きです。たまに日本に戻って、講演会なんかもやりますし。

── スナックのママ……。

生島 なんだか、親和性を感じますねぇ。あはは!

club尚美

単身移住から17年。結婚、出産、家族がたくさん増えました

── 旦那さんとの出会いは、どこで?

生島 じつはそれもねぇ、店なんです。彼はバリに来て、竹の工房で修行をしたいと思っていたようで。となるとインドネシア語が必要でしょう。勉強せなと思っていた時期に、彼も「モンキーフォレスト」に行く道中でうちの店に迷い込んで。みんな「モンキーフォレスト」に行きたいんですよ、でも迷ってうちの店に来る(笑)。あ、ちなみに彼は日本人です。

で、先ほど申し上げた通りうちの店にはインドネシア語の本があったので、「ここで勉強してもいいんですか?」と。「コーヒー1杯頼んでくれはったらいいですよ」と言って、そこから。

ウブド

── へぇ。道はずれの場所に店を出すのも、悪く無いわね。

生島 と思いますよ。成功させるという気概があれば、なんでも楽しめます。

彼と出会った頃は、店を出してちょうど3年が経過したくらい。ビジネスも軌道に乗り始めて楽しくなってきた頃だったので、一度日本に長期帰国をして体制を整えて、またウブドに戻ってこようと思っていたタイミングでした。「じゃあ結婚しようか」となって、一緒に帰国。2004年から2008年まで日本を拠点に仕事を続けて、ウブドに戻ってきた頃には、夫と娘、息子の4人家族になっていたので、友達みんながびっくりしていましたね(笑)。

── ……今、私もびっくりしたわ。4倍じゃない。へぇ、そうだったのね。

ウブドの夕日

はじめから上手くいくことなんてきっとない。大切なのは「成功させる気概」

── ウブドに初めて訪れてから、お金を貯めて、住み始めてから17年。街は、変わった?

生島 そうですね……ひとは増えました。地元のひとが車を持ち始めて、渋滞も起こるようになって、少しずつ街も変わっていくなぁなんて思うこともあります。でも、私が一番最初に惚れ込んだ「具合の良い田舎」は少しも変わらないし、ひとのあたたかさも健在です。

ウブド

── 率直に言って、海外でビジネスを立ち上げて続けていくことに、不安はないのかしら。

生島 海外でビジネスをする苦労を挙げ始めたら、キリがないです。だってここは、日本ではないのですから。慣習もルールも、従業員の教育ひとつとっても、日本の常識が通じないことが多々あります。でもそれは、郷に入れば郷に従え、です。

── そういえばインドネシア語は、どうやって覚えたの?

生島 独学です。ウブドに初めて旅行できた直後、帰国したその日から勉強を始めました。あとは、付き合ったのは短期間でしたがバリで彼氏がいたのが大きかったかもしれませんね。

最初はもちろんカタコトでしたが、ひとつ単語を覚えて使って、また使って、「通じた!」の繰り返し。一朝一夕にうまくいくことなんて、やっぱりあんまりないんですよね。「成功するまで続けること」なんていうと月並みですが、それを楽しみながら、続けていくことは大切なんじゃないですかね。インドネシア語も「今日は何も疑問を持たずにスラスラ話せた!」と思えるようになるまで2年くらいはかかりましたよ。

いまは問題なく意思疎通ができますし、ビジネスも大分慣れました。ウブドで暮らせて、毎日最高だなと思っています。大変なことも含めて。

生島尚美さん

100年後にも継げる何かを。私は図書館を愛している

── ふぅん……これから、あなたは何をして生きていくのかしら。

生島 そうですねぇ。私はこの数年、毎年新しい建物を建てていたんですよ。「sisiバッグ」店舗しかり、「KAFE TOPI」や「Warung Sopa」などの飲食店しかり、この複合施設「ガーデン」しかり。でも、「ガーデン」は規模が大きかったですね。いやぁこれは参った。正直に言って大変です!(笑) あと数年は、この「ガーデン」の経営に力を割いていくことになるんじゃないかと。

あ、でもそういえば、私は結婚当初、あんまり子どもがほしいと思っていなかったんですよ。でも、案外悪くないなって。自分はシワが増えていくけれど、ふと隣を見たら肌つやつやの元気な子どもたちが笑っていて、一緒にごはんを食べて、自分よりもインドネシア語が上手くなっていく。そんな光景を見ていたら、「うん、いいじゃない」なんて思います。だから子どもたちの成長はもちろん楽しみですよね。イチ母として。

生島さんの子どもたち

生島 あとは、私は図書館を愛していて。

── 図書館?

生島 じつはこの2階は、初期の「sisiバッグ」店舗の図書コーナーを拡大した、日本人向けの図書館になっているんです。やっぱり、本はもちろん、映画なんかも大好きなんですよね。日曜日にはサンデーマーケットを催したり、時折映画上映会を行うこともあります。こういった文化的な、ひとが集える空間がつくれたのは本当にうれしいことです。設立時は、日本のクラウドファンディング「Ready for?」を利用しました。

図書館

生島 「sisiバッグ」はこれからも私の大きな軸になると思いますし、大切にしていきたいブランドです。同時に、図書館があるというのも、私の心の大きな支えです。もし私が死んでも、図書館は誰かの手で継がれていくだろうなぁ、このウブドの地で。と思えることが幸せだと感じますね。

── へぇ……私も、最近よく100年後のことを考えるわ。何に笑っても、何に悩んでも、100年後はこの場にいる誰もがきっとこの世にいない。その限られた儚い時間の中で、では私は何をしよう? と思ったりする。本は私も、大好きよ。

【かぐや姫の胸の内】いつか月に帰ってしまうとしても

生島尚美さん

── かぐや姫は月に帰ってしまった……。もしあなたが、明日月に帰るとしたら、最後の1日は何をする?

生島 最後の一日は……小心者の私はいつもと変わりなく、でも心をこめて大好きな人たちと「普段通り」の時間を過ごすと思います。実際、子どもたちを学校に送る時、決してそうなってはいけないのだけれど「これが最後の時かもしれない」と、眠る時はこのまま一生目覚めないかもしれない、という想いを持って寝顔を見つめて居ます。じつはひとりで「ママがもし死んじゃったとしてもあんまり悲しんじゃダメよ」なんて涙を浮かべてブツブツ言ってる夜もちょこちょこあるんです。

── ふぅん、話を聞かせてくれて、ありがとう。ウブドに来られてよかったわ。緑濃い道、やさしい笑顔、美味しいごはんに、かわいいバッグ。また訪れたいなと思う場所だわ。もし私が、移住したいと思ったら、そのときは助けてくれるのかしら。

生島 えぇ、私は移住サポートなんかもしますから。何か困ったことがあったらいつでも連絡してくださいね。せっかく出会えたのだから、みんなで楽しく生きていきたいじゃないですか。

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お話をうかがったひと

生島 尚美(いくしま なおみ)
1973年、大阪府堺市生まれ。16歳から接客業のアルバイトを続け、大学4年の時に学生をしながら輸入家具&飲食店経営会社に入社。大阪・ミナミの料理屋の店長を経験。その後、唯一接客業ではない内装デザインのデザイナーアシスタントを経て学生の時から大好きで通っていたバリ島移住を決意。費用の為にホステスをし1999年にバリ島移住。2000年にオリジナルバッグのお店「sisi」を立ち上げる。バリ島に5店舗とテナント業、コンサルタント業を行う。「sisiバッグ」の公式サイトはこちら

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旅行ガイドブック「ことりっぷ」さんとの連動企画「世界一周さんぽ」でも、バリのウブドの暮らしを紹介中です。合わせて読むと、ウブドの町並みがより身近に感じられるかも!

世界一周さんぽ

【かぐや姫の胸の内】多様な生き方が選べる現代だからこそ、女性の生き方を考えたい──