東京でも有数の繊維問屋街である、日本橋横山町。馬喰町からも程近く、洋服を詰め込んだダンボール箱を山積みにしているお店が並ぶ通りに「IRORI Nihonbashi Hostel and Kitchen」はあります。
海外からの観光客の増加が止まらない昨今、都内では深刻な宿不足が懸念されています。そんな現状にも対応しつつ、「日本のローカルの魅力を発信する」というコンセプトを掲げているIRORIは、2015年10月にオープン。レセプションのある共有スペースにはその名の通り囲炉裏が設えられています。時には、その囲炉裏を囲んで、宿泊しているゲストやスタッフで盃を交わすことも。
IRORIが営業を開始してから、約半年。日々移り変わるゲストと、どんなふうに向き合い、どんな工夫をしているのか。走り始めたばかりの宿業のあれこれを伺うべく、プロデューサーの中尾有希さんと現場マネージャーの堤進太郎さんに、お話を伺います。
外国人だけじゃない。多様なゲストのニーズを学ぶ日々
── 徳島県神山町で堤さんにお世話になったことがご縁で、以前 「IRORI Nihonbashi Hostel and Kitchen」(以下、IRORI)のオープニングパーティーに、もとくら編集部を呼んでいただいたんですよね。ありがとうございました。
中尾有希(以下、中尾) こちらこそ、来ていただいてありがとうございました。
── 半年経って、オープンしてから気づいたことなど、あれば教えてください。
中尾 想像していたよりも日本人のお客様が多いのは、少しびっくりしましたね。
── たとえばどういう方々が宿泊されていますか?
中尾 ビジネスのお客様とか就職活動で東京に来た学生さんとか。おそらく、IRORIの立地が東京や新宿へすぐに出られる場所にあるからだと思います。海外からのお客様も、節約命! な、いわゆるバックパッカーもいますが、自分の好きなものにはお金を払うフラッシュパッカーのようなお客様も増えています。
堤進太郎(以下、堤) 食事はカップラーメンで、むっちゃ買い物をするアジアのひととか、宿代はなるべく抑えて体験にお金を払いたいというひとですね。
── 今はどれくらいの人数規模で運営されているんですか?
中尾 スタッフは私たちを含めて7名です。料理が得意な子やイベント企画が好きな子など、それぞれ得意技を持ったメンバーが集まっています。
── スタッフも海外での旅経験が豊富であったり、旅好きだというひとが多かったりするのでしょうか?
中尾 そんなことはなくて、経歴もバラバラです。でも、接客が好きだったり日本のいろんな地域に興味があったりと、共通項もあります。スタッフ全員がバックパッカーだと「ゲストハウスはこうあるべき」という先入観が生まれてしまうかもしれませんが、今のメンバーは新しい発見をいつもしてくれて、助かっていますよ。
堤 たとえば冬は寒いから毛布を買おうとか、部屋の温度をどれくらいに設定したらいいかとか。
中尾 そうだね、バックパッカーだと自分でなんとかしなくちゃいけない場面が多いから、私たちはあんまり気づかないんですけど(笑)。
堤 ビーサンは持ってるのが当たり前だし(笑)。
中尾 スタッフの一人がスリッパを販売したらどうかって提案してくれて。私が一人旅をしている頃には、スリッパを宿で買うなんて発想はなかったけど、実際はちゃんと売れるんですよね。「そうか、こういうところにお金を出す人もいるんだ」と、気付かなかった部分もケアできるようになりました。
お客様が多様だから、スタッフも多様な方が、いろいろな目線を持って運営できる。個性的なスタッフが集まってくれていることも、IRORIの魅力のひとつになっているのかもしれません。
地元のひとが集まる場所がおもしろい
── 堤さんは神山で、旅をしていた時のお話をうかがったことがあるのですが、中尾さんもバックパッカーだったのですか。
中尾 そうですね。30カ国くらい周りました。
── その旅の経験が宿業で活きることもありますよね。
中尾 あります。でも、日々勉強ですね。
中尾 たとえば、囲炉裏をつくることで交流が生まれるきっかけを、と思ったのですが宿泊数が40〜50人を超えると、お客様のすべての顔と名前が一致するレベルには、なかなか辿りつけないんです。20~30人の規模感であれば、お客様一人ひとりとコミュニケーションが取れるんですけれどね。コミュニケーションを積極的にとりたいひともいれば、ただ寝る場所として泊まっているひともいますし。
── IRORIには「日本のローカルな魅力を伝える」というコンセプトもあると思いますが、その発信の仕方や手応えでいうと、どうでしょうか。
中尾 地域の魅力を発信したいという想いはオープン当初から変わらず持っています。だから産地直送の食材を使ったごはんを提供したり、イベントを打ったりしています。でも、それを求めているゲストばかりではない、ということです。
部屋数が少なければ、IRORIのコンセプトに興味があるお客様だけを集めることができると思います。でも、IRORIの客室数は今だいたい70部屋。そうすると、やっぱり全員を巻き込むのは難しいんです。ただ、どんなゲストであっても縁があってIRORIに泊まってくれたことは事実。それぞれの楽しみ方で、IRORIでの時間を過ごしていただけたらと思っています。
── 発信するというのは、世界の人々へという意味と、それから日本人に向けて、というニュアンスも含まれますか?
中尾 はい。結果論ですがお客様に日本人が多いので、せっかくなら日本人にも、自分たちの国の良いところに気付いて欲しいと思っています。それから……個人的には旅の最中は、現地のひとと話せたほうがおもしろいじゃん、と思っていて(笑)。
── めっちゃ分かります(笑)。
中尾 私自身、地元のひとたちが集まるような場所を知りたい、と思うんです。その地域のひとが知ってるお店って、いいお店で観光客はなかなか知らないことが多いです。私たちも、いわゆる観光目的のためだけに来るお客様ではなくて、リアルな日本人とコミュニケーションの取れる宿を目指したい。それはつまり、日本人にも支持される宿であるべきということだと思うので、試行錯誤中なのですが(笑)。
でも、意外とカチッとスーツを着た男性が、ビジネスでご利用になった時、そのまま部屋に戻るかなーと思ったら囲炉裏を囲んで他の国から来たゲストと楽しそうに飲んでいることもあります。交流を求めているひとと、快適に過ごしたいひとの、どちらのニーズにも答えられる場所であれば、最高ですね。
何か国行ったことがあるかより、旅人の立場に立てるかどうか
── 少し、中尾さんご自身のことをお伺いしてもよろしいですか。もともとバックパッカーで、旅や海外がお好きだったことから、IRORIのスタッフになったのでしょうか。
中尾 もともと旅行業界で働きたいというのは昔から思っていて。日本らしさという個性が産業になって、地域に還元できるとするならば、そのひとつは観光業だと感じていました。大学卒業後は、リクルートが出している旅行情報雑誌の「じゃらん」と「じゃらんnet」というウェブサイトの営業部にいたり「Trip Adviser」という世界中の宿や観光地などのクチコミを集めているサイトをつくっている会社で働いたりしていました。
── どうして今、このタイミングで宿業のスタッフとして現場に立ちたいと思ったのですか。
中尾 旅をキャリアに活かせないかなってずっと考えていたんです。私自身、旅を通していろいろなことを経験しました。でもだからといって、一生旅人でいたいとか、海外へ逃げたいっていう思いは、私にはあんまりなくて。「日本でこういうことをするために旅に行く」というふうに、旅に出るのには目的があるんですね。
中尾 IRORIに入る前までは、アメリカで8ヶ月ぐらいNPOにて、自分に何ができるかを内省するプログラムに参加したり、リーダーシップ教育について学んだりしていたんですけど、旅 × 教育で何ができるかなあって考えていたときに、ちょうどIRORI立ち上げの話を、運営会社の社長から聞いて。……だからタイミングがちょうど良かったんだと思います。
── 実際どうですか? 同じ観光とか旅に関わる仕事ですが、まったく違いますよね。
中尾 正直、やってみたら本当に大変で、昔取材をしたりお世話になったりした宿のひとたちに謝りたくなることもありますね(笑)。今まで何も知らないのに、偉そうにいろんなこと言ってたんだなあって。
── 中尾さんご自身は、今後IRORIをどういう場にしていきたいなと思っていらっしゃいますか。これから仕掛けたい実験など、もしあれば。
中尾 私、宿の運営を考えて裏からサポートするのは好きですけど、接客にはあんまり向いてないなって感じています(笑)。ただ、日本の旅行業界に関わり続けたいという決意は、二十歳の頃から持っていたので、今までの経験に加えて現場の視点を知れるのは、すごく貴重です。
中尾 要は、旅人の経験があるかないかに関わらず、旅人の目線になれるかが大事で。その人の立場になろうとできるかどうかが、良い宿をつくるポイントだし、それには渡航数が多いほど経験値を積めるわけじゃない。何も考えないで旅をしていたら、気づかないひとは何も気づけないだろうし。
── 中尾さんご自身は、日本各地へ行かれることも多いんですか。
中尾 そうですね。幸い、今は頼れるマネージャーもいますし(笑)、地方のゲストハウス事情だったり、IRORIを使って一緒に何かできそうな方々を探しに行ったり、飛び回っています。
……あ、ゲストハウスを始めて気づいたこと、もう一つあります。
── なんでしょう?
中尾 スタッフみんなで一緒にご飯を食べることの大切さですね。宿って、肉体労働も多いし楽しい仕事だけじゃない。でも、みんなでチームワークで働いたあとに、おいしいものをみんなで食べるって、これくらいの規模で宿をやるなら、とても大事だなって。
堤 主体性のあるスタッフが多いから、僕らが何も言わなくても気づいたことは率先してやってくれます。美味しいごはんを食べることで、みんなのモチベーションの維持にもなるし、風通しいのいいチームになっていると思いますね。
中尾 IRORIの、この規模だからできることとできないこと、どちらも浮き彫りになってきた感じです。あと半年後、IRORIがどうなっているか、楽しみにしていてください。
(一部写真提供:IRORI Nihonbashi Hostel and Kitchen)
お話をうかがったひと
中尾 有希(なかお ゆき)
生粋の関西人ながら、学生生活を北海道で送り始めたことで地域の個性に気づき、休学して日本世界各地を旅する。結果「旅と人」に関わることのおもしろさにハマり、「日本の個性自体を活かして還元する仕事」「旅が人生を豊かにするきっかけになる」という思いから旅行業界で働く。旅行メディア、旅行口コミサイトでの勤務、シアトル暮らし、沖縄との2拠点生活を経て、現職。寝ても覚めても旅のことばかり考えている。
堤 進太郎(つつみ しんたろう)
1987年東京都生まれ。中央大学経済学部卒。3年間のメーカー勤務ののち、3年間国内外を転々としながら生活。2015年9月より(株)R.projectに入社し、社会復帰訓練中。