約10年前から完全無農薬栽培を行い、地域を超えて「海士町産あいがもこしひかり」などの価値ある農産物を生み出した「農事組合法人サンライズうづか」。
同法人が拠点とする、島であり町でもある島根県海士町は、なんと耕作放棄地がゼロ。島の農業を支える向山剛之さんに、海士町の農業の現状と課題、そして持続的な農業の仕組み「営農組合」を中心に、お話を聞きました。
耕作放棄地がゼロの理由
── はじめまして。今日は向山さんが代表をされている「農事組合法人サンライズうづか(以下、サンライズうづか)」の活動や営農組合、「海士町産あいがもこしひかり」が生まれたきっかけなど、海士町の農業についてお話をうかがいたくて来ました。
向山剛之(以下、向山) そうかそうか。まあとりあえず……(パイプ椅子を並べてくれている)どうぞここに座ってください。
海士町という島の農業についてとなると、まずこの島にある田んぼの広さから話そうか。海士町には、100ヘクタール(=東京ドームが21個分)くらいの田んぼがあるんですわ。都会の人がびっくりするくらい広くて、多い。それが今、転作(*1)して、今はだいたい90ヘクタールの田んぼでお米を育てています。
耕作放棄地はゼロ。荒れているは田んぼは、ほとんどないです。そのなかで私たち「サンライズうづか」は16ヘクタールの田んぼでお米をつくっています。全体が90ヘクタールだから、17%くらいになるんかな。それを、10人の構成員で管理しています。
(*1)転作:従来から栽培している作物の種類を、他に転換すること。出典:転作(テンサク)とは – コトバンク
向山 もともとは兼業農家として、3、40年とずうっとやっとって。そのうち、自分が引退したあとの田んぼがどうしても心配になりました。たとえばわたしが急に具合が悪うなったとか病気になったとしよう。そうしたら、田んぼはどうするのか、誰が管理してくれるのかという問題があります。すごく危機感を感じた。
でも島の個人農家はみんな手一杯。自分の田んぼを持っているから、それ以上手を広げることはできないのが現状です。
じゃあどうすればいいか?
ひとりですべてをやるのではなく、組合(=営農組合)をつくって、みんなで田んぼを管理しようという結論を出した。それが平成12年ですわ。結局、任意の組合を10年くらいやったかな。平成19年の1月に法人化して、今に至ります。
向山 島で育った人が都会に出ていくから、島には「不在者地主」がいっぱいいるんですわ。 私たちはそういう人たちの農地を預かっています。土地があっても農業をする人がいなかったら田んぼは荒れてしまうでしょう。営農組合に入っとったら、組合が面倒みてくれるから、心配やない。
「地区の農地はみんなで守ろう」というのが考え方の基本です。儲けなんていうのは次の問題。とにかく農地を荒らさないようにする。それで地域を活性化しようということが営農組合の一番の目的ですわ。
採用しても続かず、後継者不足の危機
── 営農組合のメンバーは10人と仰っていましたね。島の17パーセントも田んぼを管理していることを考えると、人手不足ではないですか。
向山 うん、少ないです。 結局それだけ農家になる人がいないんです。10人中、定年を迎えた人が半分。もう半分が50歳以上です。若い人は地域にいないから、どうやってこの農地を守っていくかが、わたしらにとっても大きな課題なもんで。
── 地元出身の若者がUターンしてくることはないんですか?
向山 Uターンして農業で暮らすことはできると思うけど、帰ってこないね。「生活ができない」と彼らは言う。たしかに派手な生活はできない。でもIターンの人が住宅に入って家賃払って生活するより、Uターンの人が実家で同じ給料をもらって生活するんだから楽だと思うけどなあ。
どうしても、楽な方法でお金になることを望んでおるんではないかな。分からんけど。
── そうかもしれません。
向山 本音はUターンの人を希望しますけど、行政はIターン者の受け入れに力を入れとるからね。本土に出た地元の人がUターンで帰ってきて、「そんなら田んぼでもつくりましょうか」「畑をどうしますか」という人はもうほとんどいないけん。だけんどうしても、Iターンの人に頼らないけんかなあという気がしておる。
それで「株式会社巡の環」の安倍くんや信岡くんとお付き合いしながら、良い人材おれば研修生で入ってもらったりできないかなと思っていろいろお願いをしとるけど。なかなか、農業を続けてくれる人が見つからんね。この10年で2、3人が来て、ひとり採用したけど結局1年もたなかったんだ。
── 次の担い手を採用したら、教育するのも大変だと聞きます。仕事に慣れていないから始めてすぐは、必ず農機具を壊すとか……。
向山 そうやなあ。作物を育てるなら、天候が一番大切だけえ。それをできるだけ早くキャッチしないと。だから空を見て、「明日は雨になるの」とか、「少し寒そうだけえ、だから少し遅く苗を植えましょう」とか。 天候を予想できないと先の計画が立てられない。
それだけにね、農業をやったことない人いうのは、作業の流れなんてわからないの。
── 申しわけないですが、たしかにわからないです。
向山 わからんでしょ? だから結局、ひとりに私ら営農組合のメンバーがひとりひとりについて、農業のことを教えるということが、これがまた大変なんだ。
── マンツーマンで教えて、一人前に育ってもらうということですよね。
向山 ただ教えている最中は、自分の仕事ができない。そこが難しいところでね。パソコンのキーボードを打つ若者ならいっぱいいるだろうけど。田んぼや畑に行って仕事しなさいって言ったら、何をしたらいいかわからん人ばっかり。
それでもとにかく若い人に……島に来て本気でやる気があれば、私たちはそういった人たちに田畑を任せようという気でいるよ。
自給する島になるために六次産業化へ
── 向山さんの夢、あったら教えていただきたいです。
向山 今は原料しかつくっていない……だけん目指しているのは二次(食品加工)・三次(流通、販売)を取り込んだ六次産業化すること。加工と販売までを実現したい。冬の仕事のない時期に加工の仕事をつくって、販売できないかなあと思って。
味噌をつくったり、蕎麦をつくったり。もう70近いけど、夢はいっぱいありますよ。
── 海士町は島なのに「天川の水」という湧き水がありますよね。島での自給がしやすい、数少ない島だと思います。
向山 そうなんだよね。でも、島だから食材のほとんどが他所(よそ)から入ってくる。たとえば豆腐をつくる大豆はぜんぶ本土から輸入している。それにストップかけようということで、大豆にしても小麦にしても、島で自給するくらいのものは私たち(営農組合)が生産しています。味噌も醤油もそうだね。生鮮野菜が本土から入ってくるのを少なくしようということで、野菜の栽培を少しずつ始めました。
向山 今、裏手にあるハウス一棟で、ミニトマトを栽培しているんですわ。でも結局人口が少ないために、思うように売れないんだ。余ったトマトはジャムに加工しようかな。
私らが子供の頃には、空き地は畑にしとったんですわ。今は雑木林になってしまって荒れ放題。海士町で栽培していた農作物を、海士町でつくる人がいなくなったから、畑を少しずつ復活させたい。
アイガモ農法は百姓の知恵。島ならではの特産品を育てる
── 「サンライズうづか」といえば「アイガモ農法」のイメージが強いです。どういうきっかけではじまったものなんですか。
向山 隠岐諸島には、昔から他の地域にはあまりいない、黒カメムシいう害虫が多いそうでね。今は農薬を散布すればある程度駆除できるけど、どうしても害虫が残ってしまう。全滅することは、まずないけえ。だから昔は家でアヒルと鴨を飼っとったんや。 朝になったら、鳥たちをかごに入れて、田んぼに連れていくんですわ。
向山 それで田んぼへ離して、1日田んぼで泳がして。夕方になったら家に連れて帰って。また明くる日も田んぼに放すと。今日はここの田んぼ、明日はここの田んぼって順番に回すことで、被害を少しでも減らそうとする。
それこそ百姓の知恵ですわ。アヒルは動く虫類に、すごく反応がいい。すぐ飛びついて食べるんだ。 農薬のない時代には害虫をよう退治することできないけえ。
── いつしかなくなってしまった農法だけれど、もともと海士町にはそういう習慣があったんですね。
向山 それこそ戦争中の、昭和20年くらいかなあ。農法というより百姓の知恵なんだ。そういう習慣が昔あったということを聞いて、15年くらい前から私たちもはじめたんですわ。
世間が安全志向に向かうなかで、アイガモを泳がして、田んぼの草が生えないようにした。アイガモは害虫も食べてくれるということで、10年前から完全な無農薬になったんです。
── 10年前ともなると、無農薬栽培の先駆けですよね。「灯台もと暮らし」のイベントでケータリングをよくお願いしている「MOMOE」さんも向山さんがつくった「海士町産あいがもこしひかり」を使っています。消費者から信頼を得た、ひとつの成功例だと思います。
向山 そうかもしれんなあ。無農薬志向の人をターゲットとして、「海士Webデパート」という巡の環が運営している通販にほとんどを納めています。でもまだこの島には農作物だと、岩牡蠣「春香」みたいな「これ!」といった特産品がないよね。
まあお米なんていうのはどこでもあっからなあ。日本全国、どこ行っても。1年のうち季節限定でもいいから、とにかく何か海士町でしかできないもんをつくりたい。
そこを目指して動き続けることで、巡り巡って島で食を自給できるようになると思うんだ。
お話をうかがった人
向山 剛之(むこやま たかゆき)
1947年4月5日生まれ。農家の子として生まれ、卒業後就農する。23才で結婚を機にバス会社に入社。父と早くに死別し、兼業に。28才で地方公務員になり安定した収入を得られるため、農業も規模が毎年拡大。最大四ヘクタールまでになる。これから個人ではいつかは担い手がいなくなる危機感を感じ、2001年1月に集落の若者に参加を呼びかけて営農組合を立ち上げる。2007年1月に「農事組合法人サンライズうづか」として法人化。2008年3月に退職し、今は水稲から畑や野菜などの管理に毎日奮闘。「これからの課題である、担い手の育成を早くやらないといけないと思っています」と向山さん。
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